善正寺 (京都市)
ナビゲーションに移動
検索に移動
| 善正寺 | |
|---|---|
| 所在地 | 京都府京都市左京区岡崎東福ノ川町9 |
| 位置 |
北緯35度1分14.9秒 東経135度47分4.3秒 |
| 山号 | 妙慧山 |
| 宗派 | 日蓮宗 |
| 本尊 | 三宝尊 |
| 創建年 | 1600年(慶長5年) |
| 開山 | 日鋭 |
| 開基 | 三好智子 |
| 法人番号 |
9130005002078 |
善正寺(ぜんしょうじ)は、京都府京都市左京区にある、日蓮宗の寺院。山号は妙慧山。旧本山は、大本山本圀寺(六条門流)。達師法縁。
概要[編集]
善正寺[1]は、豊臣秀吉の実姉・日秀(とも)が、豊臣秀次(ただし秀次とするのは誤伝で、正しくは秀次の弟豊臣秀勝を葬ったものであるという説もある[2])の菩提を弔うため、嵯峨亀山に庵を結んだことに始まる。秀次は秀吉の養子になり関白にもなったが、秀吉に実子・秀頼が生まれると疎まれるようになり、ついには切腹を命じられ、秀次の妻妾と子も三条河原でことごとく処刑された。この事件の後、智子は出家して日秀尼と名乗り、開山に本圀寺・日鋭を招いて、現在の地に堂宇を建立した。秀次の法号「善正院殿高岸道意大居士」に因み、寺号を善正寺と名付けた。また、日秀尼は瑞龍寺[3]を、自らの菩提寺としていた。黒谷龍光院の西にあたる。門には「妙慧山善正寺」「豊臣秀次公、村雲門跡瑞龍寺御墓所」と札がかかる。
歴史[編集]
- 1595年(文禄4年)日秀尼は豊臣秀次の菩提を弔うため、嵯峨亀山に一宇を建立する。
- 1600年(慶長5年)現在の地に移転する。
- 1600年(慶長5年)日秀尼は本圀寺・日鋭を招いて、善正寺を建立する。
- 1624年(寛永元年)善正寺・日演は東山檀林を開檀する。
- 1872年(明治5年)学制発布により、東山檀林は廃檀する。
瑞龍寺歴代墓所[編集]
- 1世 瑞龍院日秀尼 豊臣秀吉の姉
- 2世 瑞円院日怡尼 九条幸家の三女[4]
- 3世 瑞照院日通尼 二条康道の女子
- 4世 瑞法院日寿尼 鷹司教平の女子
- 5世 瑞現院日顕尼 鷹司房輔の女子
- 6世 瑞應院日慈尼 女子
- 7世 瑞妙院日護尼 二条吉忠の女子
- 8世 常孝院日照尼 有栖川宮音仁親王王女・茂美宮
- 9世 瑞政院日尊尼 伏見宮貞敬親王王女・為宮
- 10世 瑞法院日栄尼 伏見宮邦家親王王女・万佐宮
- 11世 瑞珠院日浄尼 仙石政敬の女子
- 12世 瑞興院日英尼 小笠原長幹の女子
- 13世 瑞華院日凰尼 桜緋紗子
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 山折哲雄、槇野修「京都の寺社505を歩く」PHP新書2007年 ISBN 978-4-569-69247-0