商長麻呂

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商長 麻呂(あきおさ の まろ、生没年不詳)は、奈良時代防人駿河国(現在の静岡県)の人。は首[1]

商長氏(商長首)は商人の長を意味し、権衡(はかり)を掌った氏族[2]。『新撰姓氏録』では上毛野氏の同族で多奇波世君の後裔とするが[3]渡来系氏族とする説もある[1]

麻呂は天平勝宝7歳(755年)2月、防人として筑紫に派遣される。『万葉集』に1首入集。

  • 忘らむて野ゆき山ゆき我来れど我が父母は忘れせのかも(万葉集20-4344)

脚注[編集]

  1. ^ a b 佐伯[1994: 9]
  2. ^ 太田[1963: 43]
  3. ^ 『新撰姓氏録』右京皇別

参考文献[編集]

関連項目[編集]