品川神社
| 品川神社 | |
|---|---|
|
| |
| 所在地 | 東京都品川区北品川三丁目7番15号 |
| 位置 |
北緯35度37分6.5秒 東経139度44分22.7秒座標: 北緯35度37分6.5秒 東経139度44分22.7秒 |
| 主祭神 |
天比理乃咩命 素盞嗚尊 宇賀之売命 |
| 社格等 | 元准勅祭社・旧郷社 |
| 創建 | 文治3年(1187年) |
| 本殿の様式 | 流造 |
品川神社(しながわじんじゃ)は、東京都品川区北品川三丁目にある神社。元准勅祭社として東京十社のひとつでもある。 また東海七福神の一社として、大黒天を祀る。
祭神[編集]
歴史[編集]
文治3年(1187年)、源頼朝が安房国の洲崎神社から、海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である天比理乃咩命を勧請して祀り、品川大明神と称したのに始まる。
鎌倉時代末期の元応元年(1319年)に北条高時の臣、二階堂道蘊が「宇賀之売命(稲荷神)」を、さらに室町時代中期の文明十年(1478年)に太田道灌が「素戔嗚尊(天王神)」をそれぞれ祀った。
慶長五年(1600年)、徳川家康が関ヶ原の戦いへ出陣の祭に品川神社を参拝して戦勝祈願し、その後、祈願成就の御礼として仮面(天下一嘗の面)・神輿(葵神輿)などを奉納し、天正19年(1591年)には徳川家康から5石の社領の朱印を受け、徳川家の尊崇する特別な神社として社紋も徳川家の家紋の「丸に三つ葉葵」と定め、「御修復所(神社の建物の再建・修復などは全て江戸幕府が賄う)」として徳川家の厚い庇護を受けた。 寛永14年(1637年)に三代将軍徳川家光が東海寺を建立した際には、境内の一部がその敷地となったため代替地を賜わり、神社の位置が東海寺の鬼門に当たることから、同社の鎮守とした。
1868年(明治元年)11月8日、明治天皇が品川神社を准勅祭社と定め、東京の鎮護と万民の安泰を祈る神社の一つとした。
明治5年(1872年)、郷社に列した。また昭和50年(1975年)には、東京十社に列している。
境内[編集]
- 鳥居
境内入り口の階段前に、門柱に龍の細工が施された石鳥居「双龍鳥居」がある。左の柱に昇り龍、右の柱に降り龍が彫刻されている。双龍鳥居は杉並区の高円寺と馬橋稲荷神社にもあり、当社のものと合わせて「東京三鳥居」ともいわれている[1]。
- 境内社
- 社殿の裏に所在。
- もともと品川東海寺の塔頭の高源院 (世田谷区)の境内であったが、関東大震災後に同寺が世田谷区烏山に移転したことで、墓だけが残る。
- このことにより、品川神社とは関係なく、神式の墓所ではない。しかし、今は同神社の境内を通らなければ参拝できない。
- 竹馬の友後藤象二郎の墓(青山霊園)の墓石と瓜二つである。表面に戒名、裏面に俗名というパターンも同じである。
- 退助の長男板垣鉾太郎、祖父の爵位を継いだ板垣守正の墓は同所にはなく、静岡の寺にあるという。
例大祭[編集]
主な文化財[編集]
- 東京都指定無形民俗文化財
- 品川区指定文化財
脚注[編集]
- ^ 文化財案内標示板本文一覧 馬橋稲荷神社 杉並区教育委員会。
- ^ 中世の紀年銘ある水盤久保常晴、立正大学文学部論叢 57, 1-25, 1977
外部リンク[編集]
| 東京十社(准勅祭社) | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 社名 | 主祭神 | 鎮座地(東京都) | 近代 | 別表 | |
| 根津神社 (根津権現) |
須佐之男命 大山咋命 誉田別命 大国主命 菅原道真公 |
文京区根津 | 府社 | ||
| 芝大神宮 (芝神明宮、飯倉神明宮) |
天照皇大御神 豊受大御神 |
港区芝大門 | 府社 | ||
| 神田明神 (神田神社) |
大己貴命 少彦名命 平将門神 |
千代田区外神田 | 府社 | 別表 | |
| 日枝神社 (山王権現、麹町山王) |
大山咋神 | 千代田区永田町 | 官幣大社 | 別表 | |
| 亀戸天神社 (東宰府、亀戸天満宮) |
天満大神 天菩日命 |
江東区亀戸 | 府社 | ||
| 白山神社 | 菊理姫命 伊弉諾命 伊弉冉命 |
文京区白山 | 郷社 | ||
| 品川神社 | 天比理乃咩命 素盞嗚尊 宇賀之売命 |
品川区北品川 | 郷社 | ||
| 富岡八幡宮 (深川八幡) |
品陀和気命 | 江東区富岡 | 府社 | 別表 | |
| 王子神社 (王子権現) |
伊弉諾命 伊弉冉命 天照大御神 速玉之男命 事解之男命 |
北区王子本町 | 郷社 | ||
| 氷川神社 (赤坂氷川神社) |
素盞鳴尊 奇稲田姫命 大己貴命 |
港区赤坂 | 府社 | ||