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哀王 (楚)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
哀王 熊猶
第25代王
国名
在位期間 前228年
都城 寿春
姓・諱 熊猶
諡号 哀王
生年 不詳
没年 幽王10年(前228年
考烈王
李環李園の妹)

哀王(あいおう)は、中国戦国時代の王(在位:紀元前228年)。考烈王の子[1]で、幽王の同母弟。

生涯

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幽王10年(紀元前228年)、兄の幽王が死去したため、楚王に即位した[2]

哀王は即位後わずか2カ月余りで、庶兄[3]負芻の一派によって母の李環や叔父の李園と共に殺害され、負芻自ら楚王に即位した[2]

劉向の『列女伝』によると負芻の一派は、幽王が考烈王の子ではなく春申君の子であることを知り、その同母弟で遺腹子の哀王の王統に疑いを抱いたとされる。

脚注

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  1. 史記』春申君列伝によると同母兄の幽王は春申君の子である。
  2. 1 2 『史記』楚世家
  3. 『列女伝』弁通伝によると叔父とする。
先代
幽王
前228年
次代
負芻