和漢混淆文
和漢混淆文(わかんこんこうぶん)は、日本語の文語体の一種で、漢文訓読体・変体漢文の語彙・語法と、仮名日記や物語などの和文の語彙・語法を併用する文体である。和漢混交文ともいう。一般には漢字仮名交じり文で表記される。[1]漢字仮名交じり文が、用いる文字種とその配列規則による表記上の分類であるのに対し、和漢混淆文は語彙と文法的特徴による文体上の分類である。[2]
特徴と展開
[編集]和漢混淆文の概念は従来必ずしも厳密に定義されておらず、研究者によって範囲に差がある。漢文訓読体の要素には変体漢文的なものが、和文の要素には雅語と俗語の双方が含まれる。[3]
平安時代末から盛行し、明治時代まで用いられた。[1]代表例としては、鎌倉時代以降の『平家物語』『保元物語』『太平記』などの軍記物語、『海道記』『方丈記』などの紀行・随筆、謡曲や幸若舞の詞章が挙げられる。[3]『今昔物語集』も平安時代末の和漢混淆文の資料とされる。[4]同書では、原拠となった文献の文体を反映し、漢文訓読調の強い部分と和文調の強い部分が混在する。[5]『徒然草』は、和漢混淆文、漢文脈、和文脈などの異なる表現を含み、その一部は和漢混淆文的な文章と説明されている。[6]
『山川 日本史小辞典 改訂新版』は、江戸時代には広く用いられ、明治期に言文一致体が成立・流行すると衰退したと説明している。[3]
名称の成立
[編集]国立国語研究所の見坊豪紀は、「和漢混淆文」の命名者を国学者の小中村清矩とし、明治11年(1878年)の講演草稿「國文ノ性質並沿革」にこの名称が確認できることを示した。[7]小中村のいう和漢混淆文は、漢文に和語を交えた文体を中心とし、軍記物語を含めていなかった。刊本の『古事類苑』は、仮名文に多くの漢語を交えた軍記物語を第三類に組み入れ、後世にはこの類が和漢混淆文の典型とみなされるようになった。[7]
関連項目
[編集]脚注
[編集]- 1 2 “百科事典マイペディア「和漢混淆文」”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2026年8月22日閲覧。
- ↑ 矢田勉 (2024年3月30日). “明治期日本語表記の革新性と限界”. 出版・報道文化の近代化2――視覚表現、言語表現、編集手法. 東京大学東アジア藝文書院. p. 2. 2026年8月22日閲覧。
- 1 2 3 “山川 日本史小辞典 改訂新版「和漢混淆文」”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2026年8月22日閲覧。
- ↑ 小木曽智信・小町守・松本裕治「歴史的日本語資料を対象とした形態素解析」『自然言語処理』第20巻第5号、2013年、727–748頁、doi:10.5715/jnlp.20.727。
- ↑ “世界大百科事典「今昔物語集」”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2026年8月22日閲覧。
- ↑ “『徒然草』について調べている。文体が「和漢混淆文(和漢混交文)」だと説明された本はないか。”. レファレンス協同データベース. 国立国会図書館 (2024年7月31日). 2026年8月22日閲覧。
- 1 2 見坊豪紀「「和漢混淆文」という名称の起原」『ことばの研究』第1巻、国立国語研究所、1959年2月、303–314頁、doi:10.15084/00001719。