和光晴生

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和光晴生
生年: 1948年6月12日
生地: 日本の旗 日本 宮城県仙台市
思想: 新左翼
活動: シンガポールシェル石油精油所爆破事件
ハーグ事件
クアラルンプール事件
所属: 日本赤軍
パレスチナ解放人民戦線
投獄: 徳島刑務所
裁判: 無期懲役(上告棄却)

和光 晴生(わこう はるお、1948年6月12日 - )は日本新左翼活動家。革命家日本赤軍元メンバー。

人物[編集]

宮城県仙台市出身。仙台第三高校卒業後、1968年慶應義塾大学文学部に入学。映画少年だったが[1]医学部米軍から研究資金を受けていたことが報道されたことを契機に起きた学内の抗議運動がきっかけで学生運動に参加[2]マルクス主義戦線派に近いノンセクトグループで活動していた[3]。一方で新宿の映画館「アンダーグラウンド蠍座」でアルバイトをしており[4]三島由紀夫寺山修司若松孝二といった文化人の知遇を得る機会を持った[4][5][6]。大学中退後、若松孝二の下で働き始め[7]1971年から1972年にかけて、若松と足立正生映画「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」の『赤バス隊』と呼ばれた上映隊で全国を巡った[8]。1972年には若松の最初のATG映画となる「天使の恍惚」で撮影助手を担当し、出演している。

1973年9月、日本赤軍に参加[9]

1974年シンガポール事件ハーグ事件1975年クアラルンプール事件に参加する。和光が関わったハーグ・クアラルンプール両事件で、日本赤軍から日本政府フランス政府に対して行われた要求によって、合計6人の囚人(日本赤軍メンバー、及び釈放後に日本赤軍に迎え入れられた他組織の日本人新左翼活動家)が超法規的措置として釈放された。

1979年、1975年から幹部が取り入れた「自己批判・相互批判による思想闘争」[10]や、パレスチナにありながら、世界を相手にしたテロを繰り返す日本赤軍に不満を持ち、脱退。パレスチナ人民解放軍の一員となる。

1997年レバノンにおいて偽造旅券・不法入国などの罪で起訴され、禁錮刑の確定・執行の後に国外追放、日本に移送された。日本ではハーグ、クアラルンプール両事件について逮捕監禁罪殺人未遂罪で起訴された。弁護側はハーグ事件では警察官に拳銃を発砲した奥平純三との共謀を否定し、殺人未遂罪の無罪を主張した。

第一審は2005年3月23日東京地裁無期懲役判決が下った。判決理由で殺傷力の高い拳銃などを所持していたことと至近距離からの発砲から、確定的な殺意があり、襲撃対象を共犯者に告げた時点には殺人の共謀があったと殺人未遂罪の共謀を認定し、実行犯グループのリーダー格で共犯者を指揮・統率したと認定した。2007年5月9日東京高裁控訴棄却[11]2009年10月27日最高裁上告棄却し、無期懲役が確定した[12]

なお、和光はダッカ日航機ハイジャック事件にも参加したとも言われる(実行犯として名が挙がっている)が、立件はされていない。

2005年3月、日本赤軍の元メンバーが万引きで逮捕されたとの報に接した和光は「この件が日本赤軍の実体・実情を示したもので、かつてヨーロッパ大使館占拠や飛行機乗っ取り等を実行してきた組織には、反社会的・反人民的性格があった」と、日本赤軍とかつての日本赤軍のメンバーたちを批判した[13]

2009年、和光は雑誌『情況』において「日本赤軍とは何だったのか その草創期をめぐって」というタイトルで、日本赤軍の結成における事情をつぶさに報告するレポートを4回にわたって連載している。

それによれば、日本赤軍は当初からパレスチナ解放人民戦線(PFLP)との連帯を目指し、世界同時革命を志向して結成されたものというよりも、先にパレスチナ入りした重信房子がPFLP内での存在感を示すために、いわば無理矢理にでっち上げた組織であって、その組織過程においてテルアビブ空港乱射事件をも日本赤軍の「業績」として神話化したものである、として重信ら執行部の無責任さと日和見主義、無計画ぶりを指弾している。また、高橋武智ら在欧日本人グループの「協力者」たちの様々な思惑や実相[14]、重信と北朝鮮の関わりを暴露し[15]、重信、丸岡修山田義昭らへの徹底的な人格批判を行っているなど、その内容は元メンバーなどの関係者、支援者らに波紋を起こすものだった[16]

2010年からは徳島刑務所で服役している[17]

著書[編集]

  • 『赤い春 私はパレスチナ・コマンドだった』(集英社インターナショナル、2007年)
  • 『日本赤軍とは何だったのか その草創期をめぐって』(彩流社、2010年)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『シリーズ六〇年代・七十年代を検証する(2)日本赤軍!世界を疾走した群像』図書新聞、2010年、p130
  2. ^ 『日本赤軍!世界を疾走した群像』、p132
  3. ^ 『日本赤軍!世界を疾走した群像』、p133
  4. ^ a b 寺山修司記念館に行った。青森全体が「寺山ワールド」だった。 「鈴木邦男をぶっとばせ!」、2014年6月16日
  5. ^ 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)平成21年(2009)6月1日(月曜日)通巻第322号
  6. ^ 『日本赤軍!世界を疾走した群像』、p245
  7. ^ 『日本赤軍!世界を疾走した群像』、p128、252-253
  8. ^ 「若松孝二と赤軍レッド・アーミー 」原渕勝仁著、世界書院、2016年7月、p123
  9. ^ 『日本赤軍!世界を疾走した群像』、p144
  10. ^ 『日本赤軍!世界を疾走した群像』、p150-154
  11. ^ 和光被告に2審も無期懲役 日本赤軍の大使館占拠事件 47NEWS 2007年5月9日
  12. ^ 元日本赤軍、和光被告無期確定へ 70年代の大使館占拠事件 47NEWS 2009年10月28日
  13. ^ 支援連ニュースNo.268「和光裁判は一審結審です」
  14. ^ 153 和光晴生「日本赤軍とは何だったのか――その草創期をめぐって――(第二回)」 (抄) 月刊 情況 2009年04月 (09/04/11搭載) 旧「ベ平連」運動の情報ページ
  15. ^ 東京新聞、2009年1月11日 朝刊
  16. ^ 『若松孝二と赤軍レッド・アーミー』 原渕勝仁著、世界書院、2016年7月、p115、p118、p124
  17. ^ 和光晴生さんの新刊 集英社インターナショナル公式ブログ、2010年6月1日

外部リンク[編集]