和三盆
和三盆(わさんぼん)は、主に香川県や徳島県などの四国東部で伝統的に生産されている砂糖の一種である。黒砂糖をまろやかにしたような独特の風味を持ち、淡い黄色をしており、細やかな粒子と口溶けの良さが特徴である。三盆の名は、「盆の上で砂糖を三度『研ぐ』」という日本で工夫された独自の精糖工程から来たもので、国産高級砂糖のひとつである。
歴史[編集]
日本では江戸時代に砂糖の存在が既に知られていたが、サトウキビの栽培地は南西諸島に限られており、作られる砂糖も黒砂糖が一般的であった。
日本の砂糖作りは、徳川吉宗が享保の改革において全国に糖業を奨励したことにより、全国に広まった。
讃岐和三盆・阿波和三盆[編集]
高松藩では、五代藩主松平頼恭公の命により、医師池田玄丈が砂糖作りの研究を始めた。その後弟子の向山周慶が後を継ぎ、砂糖キビの栽培及び製糖法の研究を進めていた。
あるとき、向山周慶は、お遍路の途中で病気にかかり、行き倒れになっている人を治療して助けた。
この人は薩摩藩奄美大島出身の関良介と言う人で、砂糖作りをしたことがある人だった。
そこで、向山周慶は砂糖作りを教えて欲しいと頼んだところ、関良介は命の恩人の頼みを聞き入れ、藩外へ持ち出し禁止のサトウキビを讃岐地方で育てた。そしてまず黒糖を作ることに成功し、その後、研究を重ね酒絞りの方法を応用した「押舟切櫂法」を発明して分蜜が簡単に出来るようになった。こうして寛政2年(1790年)讃岐の地で初めて白砂糖作りに成功した。この白砂糖が讃岐和三盆の始まりになる。
一方徳島藩では、板野郡引野村の山伏、玉泉(のちの丸山徳弥、1754年ごろ - 1827年)が、この地に立ち寄った九州の遍路から甘蔗(サトウキビ)の話を聞き、1776年(安永5年)日向国延岡に渡る。旅の修験者として栽培・貯蔵法をさぐり、甘蔗を竹杖に隠して持ち帰った。甘蔗は順調に増殖し、玉泉は製糖法探究のため数年後に再度延岡に渡った。帰国後は独力で、甘蔗の栽培法や製糖法の研究に取り組み、1798年(寛政10年)ごろには三盆糖の製造に成功した。徳島藩の奨励もあって甘蔗栽培は急速に広がり、阿波を代表する一大産業に発展した。阿波砂糖の最盛期は天保 - 文久年間の約30年間で、最盛期の甘蔗作付け面積 2,500ha、甘蔗生産量 75,000t、白下糖生産量 9,487t、白砂糖 3,450t と推定されている。
讃岐・阿波の和三盆は貴重な特産品として諸国へ売りに出され、全国の和菓子や郷土菓子の発展に大いなる貢献を果たした。
製法[編集]
近代的な精糖ではなく、伝統的な製法で製造されている。
和三盆の原料となるサトウキビは、地元産の在来品種「竹糖(ちくとう・たけとう)」という品種が用いられる。地元では細黍(ほそきび)と呼ばれる温帯での生育に適した竹糖は、イネ科「シネンセ種(S.sinense)」に属し、熱帯地方で一般的に栽培されるサトウキビのオフィシナルム種(S.officinarum)とは異なる栽培種である。晩秋に収穫した茎を搾って汁を出した後、石灰で中和を行い、ある程度まで精製濾過したのち結晶化させる。この結晶化させた原料糖は白下糖といい、成分的には黒砂糖とほぼ同じ「含蜜糖」である。
そして白下糖を盆の上で適量の水を加えて練り上げて、砂糖の粒子を細かくする「研ぎ」という作業を行った後、研いだ砂糖を麻の布に詰め「押し舟」という箱の中に入れて重石をかけ圧搾し、黒い糖蜜を抜いていく。この作業を数度繰り返し、最後に1週間ほどかけて乾燥させ完成となる。
盆の上で砂糖を3度ほど「研ぐ」ことが「和三盆」の名の由来になっているが、最近では製品の白さを求めて5回以上「研ぎ」と「押し舟」を行うことが多い。
こうして出来あがった和三盆は、粉砂糖に近いきめ細やかさを持ち、微量の糖蜜が残っていることから淡く黄色がかった白さとなる。甘さがくどくなく後味がよいため、和菓子の高級材料として使用される。また、口溶けのよさと風味のよい甘さから、和三盆そのものを固めただけの菓子が存在し、干菓子の代表格となるほどである。代表的なものとしては、落雁と似た製法による打ちもの、半球状に押し固めた二つ一組を和紙に包んでひねり羽根つきの羽根に似せたもの、懐紙に包んで懐に入れて持ち歩けるものがある。
和三盆には明確な規定が無い為、現在では竹糖ではないサトウキビを原材料とし和三盆を製造している製糖所もある。
和三盆と加工糖[編集]
和三盆は精糖の作業が複雑な上、寒冷時にしか作ることが出来ず、白下糖から和三盆を作ると全量の4割程度に目減りし、途中で原料の追加もできないため、砂糖の小売価格としては最も高価な部類に属する。
このため現在は、和三盆の代わりとして、白下糖に成分の似た粗糖などを使って類似の砂糖を工業的に製造し業務用に販売する、和菓子用の加工糖もある。
代表的産地[編集]
- 香川県東かがわ市引田 - 讃岐和三盆の三谷製糖[1]、ばいこう堂本店[2]などがある。和三盆に発音が似た「和三宝(わさんぼう)」という名称が引田で見られるが、これは、ばいこう堂による商標名である。
- 徳島県板野郡上板町、板野町- 阿波和三盆として岡田製糖所[3]のものが有名である。徳島県内の土産物店にも100gの小袋で売られている。地元の人間が土産として使うものとしてはピンクと白の半球を合わせ和紙で包んだものの詰め合わせなどが有名である。
- 徳島県阿波市 ‐ 阿波和三盆として株式会社服部製糖所(G20大阪summitで使用された最上質和三盆「大無類和三盆」が有名)、友江製糖所が所在する。
脚注[編集]
参考文献[編集]
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- 伊藤汎監修『砂糖の文化誌 ―日本人と砂糖』(八坂書房、2008年 ) ISBN 9784896949223
- 暮しの設計No127『城下町のお菓子 郷土菓子に残る日本の味と形』(中央公論社、1979年) 雑誌63223-27