和を以て貴しと為す
和を以て貴しと為す(わをもってたっとしとなす、あまないをもってたっとしとなす、わをもってとうとしとなす、やわらかなりをもちてとうとしとす、和を以て尊しと為す)は、聖徳太子が制定した『十七条憲法』第一条に記される語句。
中国の『論語』にある「礼之用、和為貴」(礼を運用する際に最も重要なのは和である)という一節から採られた。
概要
[編集]人と人とは睦ましく貴いものであるべきということ。人々が協調すること、和を大切にしなさいということが意味されている。これは互いを尊重し合い、認め合って協力することが大切であるということである。また怒らず、争わない”人としての在り方”が大切であるとされている。そのため人との関わり方として、争いを避けて和を大切にするだけでなく、互いに妥協をせずに、納得するまで話し合うことも必要である。自分の気持ちや感情を抑えるのみでひたすら我慢をしたり、相手の気持ちや意見を考慮しないことは和ではない。和というのは妥協や感情に流された主張ではなく、互いに分かり合って調和や協調するということ、とされている[1]。
第一条全文
一に曰(いわ)く、和をもって貴(とうと)しとし、忤(さから)うことなきを宗(むね)とせよ。人みな党(たむら)あり。また達(さと)れる 者少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぶ)にしたが順(したが)わず。また隣里に違(たが)う。しかれども、上和(かみやわら)らぎ、下睦(しもむつ)びて、事を、論(あげつら)うに諧(かな)うときは、事理(じり)おのずから通ず。何事か成らざらん。
おたがいの心が和らいで協力することが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。それが根本的態度でなければならぬ。ところが人にはそれぞれ党派心があり、大局をみとおしているものは少ない。だから【主君や父】に従わず、あるいは近隣の人びとと争いを起こすようになる。しかしながら、人びとが上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらは道理にかない、何ごとも成しとげられないことはない。
【主君や父に】とあるように儒教の考えが含まれている。
歴史
[編集]中国
[編集]礼記の儒行でこの言葉が述べられている。ここでは「礼は和を用って貴しと為す」とある[2]。儀式においての作法では、その場においての人々の心が調和することが大切であるということが意味されている。論語の学而でもこの言葉が述べられている。ここでは「礼は之和を用って貴しと為す」とある。儒教においての和とは、名分を守り秩序を重んじる礼を行うにあたっては、和らぎ睦みあうことが大切であるということが説かれている[3]。
日本
[編集]日本書紀では7世紀の始めに聖徳太子が定めた十七条憲法の第一条は以和爲貴(和を以て貴しと為し)であると伝えられているということがよく知られている。十七条憲法とは、役人たちが守るべきとする道徳的な戒めが記されており、この第一条では儒教における学問の和の概念を超えて、仏教の和合の精神の重要さも説かれていた。この第一条では和を大切にすることに加えて、逆らったり争いを起こさないことを根本とするということが説かれていた。そして上下関係にとらわれることが無く話し合いができたならば、何もかもを成し遂げられるだろうと説かれていた[1]。