周公楚

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周公楚
周公
王朝
姫楚

周公楚(しゅうこうそ)は、春秋時代初期のの君主。周公旦の末裔で公爵

成公11年(簡王6年、紀元前580年)、周公楚は王室の諸大臣と衝突し、政治闘争に失敗し、王畿を去った[1]。天子は康公中国語版を派遣し、説得したが失敗した[1]

魯の成公12年(簡王7年、紀元前579年)、周公楚は出奔しへ赴いた[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b 春秋左氏伝』成公十一年
  2. ^ 『春秋左氏伝』成公十二年
周公楚

不明 - 不明

先代
不明
周公
不明
次代
不明