向井周太郎
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向井 周太郎(むかい しゅうたろう、1932年10月25日 - 2024年10月24日[1])は、東京都出身のデザイナー・デザイン教育者[2]、具体詩の詩人。武蔵野美術大学名誉教授。基礎デザイン学創設者(初代会長)、専門分野はデザイン学、基礎デザイン学、インダストリアルデザイン。
略年譜
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- 1932年10月25日、東京生まれ。
- 1955年、早稲田大学商学部卒業。
- 1956-1957年、同文科系大学院商学研究科(経営経済学専攻)在学中にJETROのデザイン留学制度で一年間、ドイツ・ウルム造形大学に留学。同大学においてマックス・ビル、オトル・アイヒャー、マックス・ベンゼ、トーマス・マルドナード、オイゲン・ゴムリンガー、ヘレーネ・ノンネ=シュミット、エリザベート・ヴァルターらに学ぶ。
- 1957年に帰国後、通産省工業技術院産業工芸試験所意匠研究部嘱託、豊口デザイン研究所(インダストリアル・デザイン、インテリア・デザインに従事)に勤務。
- 1963–64年、ウルム造形大学インダストリアル・デザイン研究所フェロー、1964–65年、ハノーヴァー大学インダストリアル・デザイン研究所フェロー(アレクサンダー・フォン・フンボルト財団学術フェロー)としてデザインの教育と研究開発に従事する。
- 1965年、帰国直後より、武蔵野美術大学で新設学科として基礎デザイン学科の起案と設立に従事。
- 1967年、武蔵野美術大学に基礎デザイン学科を発足。以降、デザイナーとして活動するとともに、「基礎デザイン学」という教育・研究を一つのプロジェクトとして捉え、デザインと関連科学との横断的な教育を通じて、「可能性に広く開かれた新しいタイプの人材の育成」と「基礎デザイン学」の形成に力を注ぐ。
- 1970年より同大基礎デザイン学科主任教授(2003年の定年退任まで)。
- 1995-96年、ドイツ・エッセン大学客員教授。
- 1998年、同大基礎デザイン学科創設30周年を契機に「基礎デザイン学という構想が、単に教育の場にとどまらず、現代の生活世界の切実な多くの問題解決のために広く社会に共同の『生成空間』として開かれていくべきだ」という卒業生や内外の関係者や研究者の声によって、設立準備会代表を務め同学会を設立。初代会長を務める。
- 2000年、ドイツで行われたハノーヴァー万国博覧会併設事業「今日は明日–経験と構成の未来展」において「世界プロセスとしての身振り」を出品する。
- 2003年、武蔵野美術大学退任。同年4月より、武蔵野美術大学名誉教授となる。
- 2013年、武蔵野美術大学 美術館にて、2000年に行われたドイツの展示を再現した「向井周太郎 世界プロセスとしての身振り」が行われる。
- 2024年10月24日に死去。享年91[1]。
著書
[編集]- 「かたちのセミオシス セリ・ポイエシス 2」(思潮社、1986)
- 「ふすま」住まい学大系081(住まいの図書館出版局、1997)
- 「ふすま 文化のランドスケープ」(中央公論新社、2007)
- 「デザインの理念と形成1–6」(武蔵野美術大学 造形学部 基礎デザイン学科研究室、1966-2003)執筆・監修
- 「かたちの詩学 morphopoiesis I II」(美術出版社、2003)
- 「生とデザイン かたちの詩学I」(中央公論新社、2008)
- 「デザインの原像 かたちの詩学II」(中央公論新社、2008)
- 「デザイン学 思索のコンステレーション 」(武蔵野美術大学出版局、2009)[第8回竹尾賞優秀賞
- 「形象の記憶 デザインのいのち 」(武蔵野美術大学出版局、2021) 他、共著多数
翻訳
[編集]- 『現代デザインの水脈―ウルム造形大学展』武蔵野美術大学、1989年
- 『一般記号学―パース理論の展開と応用』(著:エリーザベト・ヴァルター/菊池武弘、脇阪豊との共訳)勁草書房、1987年
- 「バウハウスの人々 - 回想と告白」(エッカート・ノイマン編、向井周太郎・相沢千加子・山下仁訳、みすず書房、2018)
脚注
[編集]- ^ a b c “[訃報]向井周太郎 名誉教授のご逝去について”. 武蔵野美術大学 (2024年10月28日). 2024年10月28日閲覧。
- ^ a b 向井周太郎 (2009). デザイン学 思索のコンステレーション. 武蔵野美術大学出版局. ISBN 9784901631907. OCLC 675231000