名古屋帯
名古屋帯(なごやおび)とは日本の女帯の一種。名古屋で考案されたことに由来する。
概要[編集]
袋帯より長さが短く一重太鼓結びにする長さの帯で、軽く締めやすい帯である。 当初は染め帯であったが、織り帯も作られるようになり、金糸銀糸を使用したものは付け下げ、色無地に合わせて準礼装に、その他のものは小紋や紬などのお洒落着に合わせる[1]。
種類[編集]
以下の2つの種類に大別される。時代と共に寸法が変わっており、近年は、お太鼓の部分の仕立て上がり幅は、いずれも鯨尺8寸2分となる。寸法は、西陣織工業組合(京都)の規格。
九寸名古屋帯[編集]
仕立てる前の幅が鯨尺9寸なので、九寸名古屋帯と呼ばれる。未仕立ての巻物として売られており、お太鼓の部分を8寸2分幅で、残りの部分は半幅に折りたたみ、帆布や、綿の帯芯を入れて仕立てる[2]。
織りの帯と染めの帯があり、素材と色柄が豊富である。
昭和50年代頃までは、胴回りの部分に帯板を入れるためのポケットをつけて仕立てられることがあった。
格調の高い柄の織り帯は準礼装にも使うことができる。染め帯はお洒落用として用いる。[3]
八寸名古屋帯[編集]
鯨尺8寸2分の幅で織られた地厚の織り帯で、お太鼓部分を折り返して二重にし、帯芯を入れずに両端をかがって仕立てる。綴織などの格調ある織りは準礼装に使うことができるが、一般的には紬や小紋に合わせる。[3]
袋名古屋帯や八寸帯、かがり帯など、さまざまな名前で呼ばれる。昭和初期ごろから八寸名古屋帯が使われはじめ、昭和30年代に人気となり、普及した[4]。
歴史[編集]
大正末期に名古屋女学校(現在の名古屋女子大学)の創始者越原春子が考案した。名古屋の松坂屋が率先して売りだし、全国的に広まった。[5]
また、もう一つ説がある。当時、飯田志よう(名古屋在住)が、中部の工芸展覧会に考案し出品したものが入賞し「文化帯」の名で普及したものが、後に名古屋帯と改められたものである。
1991年に日本テレビ系列中京テレビにて、「名古屋帯は誰の発明か?」という番組が放送されたが、番組内で当時の記録などを辿っても明確な事は分からなかった。両者とも教育者であり、名古屋帯を語るには忘れてはならない人物である。