名古屋少年匕首殺害事件

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名古屋少年匕首殺害事件
地図
場所 日本の旗 日本愛知県名古屋市北区生駒町七丁目[1]
座標
北緯35度11分36.8秒 東経136度55分23.4秒 / 北緯35.193556度 東経136.923167度 / 35.193556; 136.923167座標: 北緯35度11分36.8秒 東経136度55分23.4秒 / 北緯35.193556度 東経136.923167度 / 35.193556; 136.923167
日付 1945年昭和20年)8月30日[1]
21時過ぎごろ[1] (UTC+9)
概要 男2人が[1]、通りすがりの少年3人[2]に因縁をつけ、現金115円を恐喝[1]。その後、少年たちから反撃された男1人があいくちで少年2人を殺傷した[1]
攻撃手段 あいくちで斬りつける[1]
攻撃側人数 2人(うち1人は恐喝罪、もう1人は恐喝罪および殺人・殺人未遂罪[3]
武器 あいくち[1]
死亡者 1人[1]
負傷者 1人[1]
被害者 少年3人[2]
損害 現金115円[1]
対処 加害者2人を逮捕起訴[1]
刑事訴訟 1人(恐喝罪で起訴)に判決宣告、もう1人(恐喝罪・殺人罪などで起訴 / 起訴後に脱獄)は免訴判決[1]
管轄
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名古屋少年匕首殺害事件(なごやしょうねんあいくちさつがいじけん)とは、1945年昭和20年)8月30日愛知県名古屋市北区で発生した恐喝殺人・殺人未遂事件[1]

犯人2人が逮捕起訴されたが、うち殺人罪などに問われた男X(在日韓国人:2001年時点で76歳)は起訴後に名古屋拘置所から脱獄[2]。旧刑事訴訟法(公判が開かれないと公訴時効が停止しない)の規定により、名古屋地裁は14年以内に1回ずつ、被告人Xの公判期日を指定し続けていたが[2]、Xは逃走後、韓国へ密出国[4]。名古屋地裁は事件発生から56年後の2001年平成13年)、「今後、Xが日本に再入国する可能性は低い」と判断し、Xを免訴する判決を言い渡した[2]

事件の概要[編集]

予審請求書[注 1]によれば[4]韓国人の男X[2](2001年時点で76歳・朝鮮半島出身)[注 2][4]、男1人 (Y) と共謀し、他人を脅迫して金品を脅し取ることを企て、1945年8月30日21時過ぎごろに名古屋市北区杉栄町四丁目付近の路上で[1]、少年3人[2]を呼び止め、同区生駒町七丁目に連行した[1]。この時、XとYはそれぞれ被害者のうち2人(AおよびB)を脅し、現金計115円[注 3]を奪った[1]。しかし、Aたちは恐喝されたことに憤慨し、AがX・Yに拳で殴りかかったため、入り乱れて組み討ちになり、Xは匕首で[1]少年C(当時18歳)[4]を斬り殺したほか[注 4]、少年B[1](当時16歳)[4]にも右腕を切る全治2週間の怪我を負わせた[注 5][1]

その後の顛末[編集]

加害者Xはその後、恐喝罪および(被害者Bへの)殺人未遂罪・(被害者Cへの)殺人罪で逮捕され[6]名古屋地方裁判所検事局(現:名古屋地方検察庁)により[4]、同年9月20日に名古屋地裁へ[1]予審請求[注 1][注 6]起訴)された[4]。しかし、同月27日に勾留先の名古屋拘置所から脱獄[注 7][1]、行方をくらましたため、同年11月16日にXに対する予審手続は中止された[1]。なお、共犯者Yは恐喝罪に問われ[6]1946年(昭和21年)1月28日に判決を言い渡されている[1]

戦後制定された刑事訴訟法では、起訴によって公訴時効が停止される[4]一方、それ以前の旧刑事訴訟法第284条では、「(公訴)時効は犯罪行為の終わったときから進行する」と規定されている一方、第285条で「時効は公訴の提起、公判若しくは予審の処分などにより中断する」と規定されているが、第286条では「時効は中断の事由の終了した時よりさらに進行する」と規定されている[10]。一方、日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律1947年(昭和22年)5月3日施行]によって、旧刑事訴訟法で規定されていた予審制度は廃止され[注 6]、本事件は起訴後の合議事件として扱われることとなり[1]、予審手続中止の効力は失われた[注 8][6]

その後、名古屋地裁は時効を中断させるため、14年以内に1回ずつ公判期日を指定し続けてきた[9]。公判期日指定は、1957年(昭和32年)5月11日を始めとして、1986年(昭和61年)7月3日まで計7回にわたって行われた[1]。なお、共犯者Yが起訴された恐喝罪については、予審手続の効力が失われた後、Xに対する第1回目の公判期日指定がされるまでの間、同法で規定された公訴時効の中断・停止事由がないまま、時効期間(7年)が経過したことにより、公訴時効が成立した[注 9][6]

免訴判決[編集]

その後、事件から56年目となる2001年平成13年)より数年前になって、被告人Xは韓国へ密出国していたことが判明[4]。これを受け、名古屋地裁が名古屋地方検察庁と協議したところ、事件から56年が経過し、Xが日本に再入国する可能性も低いことなどから、名古屋地検は公判維持を断念[4]。名古屋地裁も新たに公判期日を指定しないことを決めた[9]ため、殺人罪および殺人未遂罪については[1]、前回期日から15年目となる[4]2001年7月3日をもって公訴時効(15年)[注 10]が成立した[9][11]

旧刑事訴訟法第363条では、「確定判決を経た時」「犯罪後の法令により、刑が廃止された時」「大赦がなされた時」「時効が完成した時」に、免訴の判決を言い渡すことが規定されている[12]。このため、名古屋地裁刑事第4部(片山俊雄裁判長)は、2001年8月14日に被告人を免訴する判決を言い渡した[3]

類似事例[編集]

同じく旧刑事訴訟法適用事件で、被告人が逃亡して所在不明になり、長期間にわたり審理ができない状態が続いたため、公訴時効の完成を理由に免訴判決が言い渡された事例として、大阪地裁[1980年(昭和55年)12月24日]・大阪地裁[1981年(昭和56年)7月14日]・東京地裁[1998年(平成10年)1月30日]などがある[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b 予審請求書は、現行刑事訴訟法における起訴状に相当する[4]。同法における刑事訴訟では、公訴の提起(起訴)は予審請求書または公判請求書の提出によって行われた[5]
  2. ^ 男Xは事件当時、愛知県西加茂郡保見村(現:豊田市)に在住していた[4]
  3. ^ XがAから100円を、YがBから15円を奪った[1]
  4. ^ Cは頭部・左胸など数か所を刺されて失血死した[1]
  5. ^ Xは被害者Bも殺そうとしたが、Bは逃走した[1]
  6. ^ a b 予審とは、旧刑事訴訟法において被告人を起訴後、事件を公判に付すべきか否かを決定する手続のこと[7]。手続が非公開で、人権保証上の問題があった(手続は非公開で、弁護人の立ち会いも認められていない)[7]。このため、「日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律」第9条によって廃止された[8]
  7. ^ 当時、Xは取り調べを受けている最中だった[9]
  8. ^ なお、同法第287条では「時効は、予審手続や公判手続を停止している期間内は進行しない」と規定されている[10]が、『判例タイムズ』 (2002) は「同条は被告人の所在不明を理由とする予審手続の中止を時効停止事由から除外しているので、本件のような予審手続の中止によっては公訴時効は停止しないと解される」と解説している[6]
  9. ^ これは、Yに判決が言い渡される(1946年1月28日)までの間、Xについても時効中断の効力がおよんでいたが、Yへの判決言い渡し後は時効が進行していたため[6]
  10. ^ 法定刑死刑に当たる罪(殺人罪など)の公訴時効は(1945年および2001年当時)15年だった[4]が、2004年(平成16年)12月の刑事訴訟法改正によって25年に延長され、2010年(平成2年)4月の同法改正によって廃止された。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae 判例タイムズ 2002, p. 233.
  2. ^ a b c d e f g h 中日新聞』2001年8月14日夕刊第二社会面10頁「拘置中逃走の韓国人被告 56年前の殺人免訴 名地裁」(中日新聞社
  3. ^ a b 判例タイムズ 2002, pp. 232–233.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『読売新聞』2001年7月26日中部朝刊東海第三面26頁「逃走から56年、時効成立 韓国に密出国の被告 名古屋地裁、殺人免訴へ=東海」(読売新聞中部本社)
  5. ^ 山田道郎刑事訴訟における連続性と非連続性―訴因制度を中心に―」『明治大学法学部創立百三十周年記念論文集』第130巻、明治大学法学部、2011年11月1日、427頁、2021年4月20日閲覧 
  6. ^ a b c d e f 判例タイムズ 2002, p. 232.
  7. ^ a b 予審. コトバンクより2021年4月19日閲覧
  8. ^ 御名 昭和二十二年四月十八日」『官報』第6077号、大蔵省印刷局、1947年4月19日。2021年4月19日閲覧。「法律第七十六号(中略)第九條 予審は、これを行わない。」
  9. ^ a b c d 『中日新聞』2001年7月25日夕刊第二社会面12頁「56年前の殺人免訴へ 名地裁 逃走韓国人の時効成立」(中日新聞社)
  10. ^ a b 新刑事訴訟法・刑事訴訟規則・旧刑事訴訟法対照条文」『刑事裁判資料』第11号、最高裁判所事務局刑事部、1948年、158-159頁、2021年4月19日閲覧 
  11. ^ 東京新聞』2001年8月14日夕刊第一社会面11頁「拘置中に逃走 殺人被告免訴 名古屋地裁」(中日新聞東京本社
  12. ^ 新刑事訴訟法・刑事訴訟規則・旧刑事訴訟法対照条文」『刑事裁判資料』第11号、最高裁判所事務局刑事部、1948年、211頁、2021年4月19日閲覧 

参考文献[編集]

  • 「旧刑事訴訟法の適用される事件につき、公訴時効の成立を理由に免訴判決を言い渡した事例 名古屋地裁昭22(刑)第75号(昭和20年(予)第9号)、恐喝、殺人未遂、殺人被告事件、平13.8.14刑事第三部判決、免訴・確定」『判例タイムズ』第53巻第26号、判例タイムズ社、2002年10月15日、232-233頁。  - 通号1098号