名古屋アベック殺人事件

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名古屋アベック殺人事件(なごやアベックさつじんじけん)とは、1988年2月23日から25日にかけ愛知県名古屋市緑区において理容師と理容師見習いの男女2名が犠牲となった強盗殺人集団強姦事件。被害者2名が襲撃された場所の名前から「大高緑地公園アベック殺人事件」(おおだかりょくちこうえんアベックさつじんじけん)とも呼ばれる。非人道的で残忍な手口と身勝手な犯行動機で、日本中を震撼させた。犯人グループ計6名の大半が未成年であったことから、少年法改正に多大な影響を与えた事件である。

裁判[編集]

1989年6月28日名古屋地裁は、「このたばこを吸い終わるまで引っ張ろう」と話しながら平然と首を絞め続けるなど冷酷極まりないとして主犯Aに死刑、同じく殺害実行者ではあるものの犯行当時17歳であったBには少年法51条の規定により無期懲役、その他の4名の共犯者についてはそれぞれの事情を考慮して有期懲役刑の判決を言い渡した[1]。 Aは判決を聞いた瞬間、驚いたような様子で「えっ」と声を上げたことが当時の新聞で報じられている。

AとBはこれを不服として、特にAは「少年法があるから俺は絶対死刑にならない」と公言して[要出典]、即日控訴した。1996年12月16日名古屋高裁は一審判決を破棄。Aは「矯正可能性がある」として無期懲役(後に確定)[2]、Bは懲役13年に減刑すると言い渡した。

被害者遺族たちのその後[編集]

理容師遺族のその後[編集]

新潮45 2003年10月号に掲載された「反省し『シャバ』に戻った少年少女のそれから」という記事によると、理容師の父は1993年ごろ、名古屋市内のマンションの一室で誰にも看取られることなく、机に突っ伏したまま息を引き取っていたという。[要ページ番号]

理容師見習い遺族のその後[編集]

新潮45 2003年10月号に掲載された「反省し『シャバ』に戻った少年少女のそれから」という記事によると、理容師見習いの父は他の子供たち一家と暮らしているが、母は事件から9年後の1997年11月、59歳の若さで他界している[要ページ番号]

少年たちのその後[編集]

主犯Aの近況[編集]

主犯Aの近況については何度か報道されている。月刊現代2006年7月号などに掲載された元弁護人の話によると、Aは刑務所に入所後、遺族に作業賞与金と謝罪の手紙を送り続け、2005年には理容師見習いの父親から「頑張りなさいよ」と書かれた手紙を受け取ったという[要ページ番号]共同通信社2008年11月29日の報道によれば、Aは1989年の名古屋地裁での判決、つまり死刑判決を受けてから、2人の被害者の遺族へ謝罪の手紙を書き始め、岡山刑務所収監された1997年以降は作業賞与金(刑務作業に支払われる給与)も添えて送るようになり、2005年3月以降は理容師見習いの父親と文通を行っていると報道された[3]。殺人事件の被害者と加害者の文通は極めて異例であり、修復的司法の試みとされた[3]。理容師の遺族からの返信はないが、手紙を受け取ってもらえていることは分かっていると報道された[2]。ただしその「遺族」の、理容師との続柄についての記述はなく、どのような関係の人物なのかは2014年現在全く不明である。

元弁護人の発言[編集]

1996年より主犯少年らの弁護人に選任された安田好弘弁護士は、Aの高裁での無期判決時は「ヘラヘラ笑いながら『綱引きだぜ』などと言って殺したのではない。殺す時、震えて震えてどうしようもないからタバコを吸うんです」などとTV番組のインタビューで発言している。なお、2006年にも同じ趣旨の発言をした記録が存在している[4]

共犯者たちの出所後[編集]

上記の新潮45 2003年10月号記事によると、B・D・E子・F子の4人はいずれも既に刑期を終え出所していたが、当人もその親たちも、誰1人として遺族の元を訪れ謝罪した者はいないとのことである。

民事裁判で和解した賠償金も、出所した4人のうちBは出所後すぐ行方をくらませ消息不明で完全未払い。Dも同様に一銭も支払わないばかりか、遺族に自分の居場所を隠したまま結婚し妻子をもうけ平穏な生活を送っているという身勝手ぶりである。E子・F子は一部支払ったものの完済以前にいずれも住所変更し、かつ、現住所を遺族に通知していないままとのことである。

親たちについては、Aの親とE子の親は既に完済している。しかしながら、Bの親は最初から親権放棄を決め込んで調停に出席すらしておらず、C・Dの親は我関せずとばかりに息子の公判に顔さえ出さなかった。B・C・Dの親は全員、無関係であると主張して賠償の支払いを拒否しており、今後もその意思は一切無いという。なお、F子の親は一部未払いである。

同記事によると、Dはインタビューに対し「事件にばかり引きずられていてもアレでしょう、前に進めないと思う」「娘が同じ目にあったら許さないと思う。許さないんじゃないでしょうか」「賠償金については親が示談したが、親とも連絡をとらなくなって、忘れてるというかそれで終わってる」「被害者の墓参り?行く時間がないので難しいね」などと答え、事件への悔恨も、償いの意思も全くないどころか逆に開き直った無反省な態度と身勝手さを隠そうともしなかったとのことである。

これらは2003年の時点でのことであるが、遺族への謝罪、賠償金の支払いなどについてその後何らかの動きがあったか否かについての続報は2014年現在、主犯Aだった元少年からのものを除き、確認されていない。上記の安田弁護士[4]も、主犯Aだった元少年以外については一切関わっておらず、出所した共犯者たちの現状については全く言及していない。

ジャーナリストの中尾幸司によると、出所した4名のうちの1人と面談したことを明かし(特定は避けたものの男性であることは明言した)、「身なりにしても顔にも生気が感じられず、うだつが上がらない中年男という雰囲気」だったという。元少年に事件について今はどう考えているか尋ねたところ、「事件の記憶が無い。自分が罪を犯したという現実感が無く、反省しようがない」と返答され閉口したと述べている。中尾はこれを「過剰な暴力を振るうことに異常に興奮し、記憶が遮断されている状態」と解説しており、「かつて人間の脚を棒でめちゃくちゃに叩き折った人間に、いくら詰め寄っても覚えていないの一点張り。これでは遺族の方はいたたまれません」と語っている[5][6]

漫画化作品[編集]

下記の単行本、雑誌において、この事件の短編漫画が掲載された。

  • 「現代猟奇伝(3)」 桜桃書房 1990年8月
  • 「日本列島ウラ事情 Vol. 1」 マイウェイ出版 2003年6月
  • 「衝撃王 Vol. 1」 バウハウス 2003年11月
  • 「凶悪犯罪ファイル4 謀虐惨鬼編」 竹書房 2007年5月
  •  :コンビニ販売の実話コミック本。取り上げられている5事件中の1話として、この事件が収録された。

雑誌掲載記事[編集]

検察による冒頭陳述書を収録した記事。加害者6人及び被害者2人の経歴、本件の前に起こした2件の恐喝未遂及び恐喝事件、及び本件の犯行内容が記述されている。

文庫本[編集]

  • 「新潮45」編集部「殺戮者は二度わらう―放たれし業、跳梁跋扈の9事件」 新潮文庫 2004年6月
    • 取り上げられている9事件中の1話として、上記の「新潮45」の記事が収録されている。本件の犯行内容及び、理容師見習遺族、D、Aの母親へのインタビューなどで構成されている。

脚注[編集]

  1. ^ “アベック殺人事件の「少年死刑」判決理由<要旨>”. 朝日新聞. (1989年6月28日) 
  2. ^ a b “矯正 生きて償う意味知る 命日に遺族へ謝罪文―連載” (日本語). 西日本新聞. (2009年7月6日) 
  3. ^ a b “娘殺した無期囚と文通 父親「許せぬが人として接す」” (日本語). 共同通信. (2008年11月29日). http://www.47news.jp/CN/200811/CN2008112901000138.html 
  4. ^ a b 【安田好弘】【名古屋アベック殺人】無期刑になった元少年
  5. ^ 2013年4月4日放送分。解禁!暴露ナイト公式ホームページより。解禁!暴露ナイト バックナンバー
  6. ^ [1]

関連項目[編集]