吉野町 (鹿児島市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
日本 > 鹿児島県 > 鹿児島市 > 吉野町
吉野町
—  町丁  —
鹿児島市役所吉野支所
吉野町の位置
吉野町
座標: 北緯31度38分20.6秒 東経130度33分36.7秒 / 北緯31.639056度 東経130.560194度 / 31.639056; 130.560194
日本の旗 日本
都道府県 鹿児島県の旗 鹿児島県
市町村 Flag of Kagoshima, Kagoshima.svg 鹿児島市
地域 吉野地域[* 1]
中央地域[* 2]
地区 上町地区(中央地域)[* 2]
面積
 - 計 33.1km2 (12.8mi2)
人口 (2011年(平成23年)9月末現在)
 - 計 32,583人
 - 人口密度 984.4人/km² (2,549.5人/mi²)
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 892-0871
市外局番 099
ナンバープレート 鹿児島

吉野町(よしのちょう Yoshino-Chō)は鹿児島県鹿児島市町名。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島近在吉野村及び大隅国始羅郡帖佐郷脇元村の一部[* 3]、鹿児島郡吉野村大字吉野の一部[* 4]郵便番号は892-0871、2011年9月末現在の人口は32,583人、世帯数は13,735世帯である[1]。2012年1月現在の町域の面積は約3,310ha[* 5]である[2]

1989年10月21日に発見された小惑星吉野英語版は、発見者の一人である向井優が鹿児島市吉野町出身であったことから、町名より命名された[3][4]

地理[編集]

鹿児島市の北東部、稲荷川上流域に位置している。町域の北方には鹿児島市川上町、鹿児島市宮之浦町姶良市脇元、南方には鹿児島市清水町祇園之洲町大明丘東坂元、西方には鹿児島市坂元町下田町がそれぞれ隣接しており、東方から南方にかけては鹿児島湾に面している。

町域の東部にあたる海岸部を国道10号がほぼ南北に通っており、それに沿って日豊本線が通っている。町域内には竜ヶ水駅が所在している。また、町域の中央部の台地上を鹿児島県道16号鹿児島吉田線が縦貫しており[5]、県立養護学校前交差点から鹿児島県道215号吉野公園線が寺山公園までを結んでおり、寺山公園付近から川上町までを鹿児島県道220号寺山公園線が結んでいる。

中央部の台地上には鹿児島市役所吉野支所があり、吉野支所は旧吉野村の区域のうち吉野町の磯、花倉、三船、竜ヶ水及び平松地区を除く区域を管轄区域としている[6]。また、吉野町のうち海岸部の磯、花倉、三船、竜ヶ水及び平松地区は鹿児島市役所本庁の管轄区域となっている。

教育施設は中央部に鹿児島市立吉野小学校鹿児島市立吉野中学校鹿児島県立鹿児島養護学校、東部に鹿児島市立吉野東小学校鹿児島市立吉野東中学校が設置されている。北東部には鹿児島市立少年自然の家がある。また、1970年までは磯から平松までの国道10号沿線区間及び上ノ原集落を通学区域とする鹿児島市立龍水小学校が竜ヶ水駅付近に所在していたが、清水小学校及び吉野小学校にそれぞれ統合された[7][8]

また、江戸期には鹿児島城下と大隅日向を結ぶ薩摩街道の大隅路があり、現在の国道10号のルートの一部となる海岸ルートが完成するまでは姶良より白銀坂、吉田、吉野を通り坂元から皷川へ抜けるルートが使用されていた[9]

土地の利用状況[編集]

吉野台地上にある吉野町の中心部付近の航空写真(1974年撮影)[10]

吉野台地[編集]

吉野町では古くから鹿児島市街地への野菜や花木などの供給地となっており、近郊農業が盛んであることから、町域の中央部から北部にかけて広がる吉野台地上の耕地の多くは畑地が占めている[11]

また中心部の住宅地では1992年平成4年)から2015年平成27年)にかけて吉野町の北部と隣接する川上町の一部及び西部と隣接する下田町の一部を含む114.1haの区域にて吉野地区土地区画整理事業が行われており[12]、道路の拡幅及び区画整理が実施されている[13][2]。この区域には鹿児島市役所吉野支所や教育施設などが所在している。

錦江湾沿岸地区[編集]

この節では吉野町のうち、錦江湾沿岸部にある平松・竜ヶ水・三船・花倉・磯について述べる。

東部の吉野台地の崖下にあたる区域には海岸に沿って国道10号及び日豊本線が並行して通り、その付近に平成5年8月豪雨(8・6豪雨)で土石流被害にあった竜ヶ水地区や花倉(けくら)地区などの集落が点在している。8・6豪雨後には住民の多くが他の地域へ移転し、竜ヶ水駅の利用者も激減している[14]

南部には仙巌園尚古集成館磯海水浴場などがある磯地区がある[5]

竜ヶ水駅から桜島を望む。直下に見えるのは国道10号

歴史[編集]

先史時代[編集]

現在の吉野町の区域では縄文期のものと見られる遺跡が見つかっており、上ノ原の石郷遺跡は1915年大正4年)に発掘されたもので、縄文早期、中期、後期のものと見られ、発掘された土器は市来式、石坂式、阿高式、岩崎上層式、指宿式、鐘崎式、草野式がある。また住居跡も発見されている。

七社の七社遺跡では黒川式が発掘され、前平の前平遺跡ではここで発掘された土器が標式となり前平式土器と名付けられた[15]

弥生期のものとしては、石郷の縄文期の石郷遺跡に隣接して石郷遺跡があり、弥生後期のものと見られる遺物が発見されている。また、雀ケ宮遺跡でも後期のものと見られる遺物が散布している[16]

吉野の成立[編集]

吉野という地名は戦国期より見え、薩摩国のうちであった。吉野という地名は「山本氏日記」の弘治元年8月27日の項目にある記述が初見であると考えられ、その他にも「上井覚兼日記」に記述が多く見える[17]

近世の吉野村[編集]

1872年頃の磯地区。集成館事業に関連する建物が多く見える

江戸期には薩摩国鹿児島郡鹿児島近在のうちであり、鹿児島近在の区分では遠村に含まれた。なお、鹿児島近在は天明4年までは近村と呼ばれていた[18]。村高(石高)は寛文4年の「郡村高辻帳」では854石余、「三州御治世要覧」では963石余[19]、「天保郷帳」には854石余、「旧高旧領取調帳」には1,360石余であったと記載されている[17]、。

万治年間に島津光久が大磯に鹿児島城の別館を設け、その別館を仙巌園と名づけた。吉田・重富・帖佐にかかる付近には吉野馬牧があり、約400馬が放牧されていた[17]。吉野馬牧では慶長頃より原で藩庁主催の吉野の馬追いが行われていた。吉野の原に放牧されていた馬の群れを役員など百名が横隊となり鶴翼を作り、中に包み下方のオロと呼ばれるものに追い込むものであった[20]

1851年島津斉彬が薩摩藩当主に就任すると磯地区にアジア初となる製鉄、紡績、造船等の近代洋式工場群が建設された。1858年に島津斉彬が死去し、その後一時は規模を縮小するが、1863年に勃発した薩英戦争後に集成館機械工場や、日本初の紡績所である鹿児島紡績所が建造された[21]

慶応3年頃は吉野村には実方、帯迫、菖蒲谷、中町、中別府、雀ヶ宮、七社の七つの方限があった。江戸時代初期頃より竜ヶ水地区は大隅国帖佐郷(外城)脇元村(現在の姶良市脇元)の飛地であった。脇元村自体は大隅国に属していたが、飛地であった竜ヶ水地区は薩摩国に属していた[22]。竜ヶ水地区は明治までに吉野村に編入されている[19]

安永8年には吉野薬園と呼ばれる薬園が現在の吉野小学校の場所に設置され、70種類の薬草を生産していたが、後に行われた廃藩置県により薬園は廃止され、跡地は私学校の分校となったが西南戦争後に私学校は廃止され、小学校が設置された[23]

明治4年には廃藩置県が行われ、それまで薩摩国に属していた吉野村は鹿児島県に属した。また廃藩置県により失業した士族の士族授産のために西郷隆盛が吉野村を開墾すべく吉野開墾社を作り開墾が行われた[24]

明治期には村内に町村制施行まで戸長役場が置かれ、町村制施行後は戸長役場は吉野村役場となった[17]

近代の吉野[編集]

1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、鹿児島近在のうち5村(吉野村、坂元村、下田村、川上村、岡之原村)より吉野村が成立し、それまでの吉野村は吉野村の大字「吉野」となり、同時に坂元村の区域を編入した。

1934年昭和9年)には吉野村が鹿児島市へ編入され、大字吉野は鹿児島市の町名「吉野町」となった。その際、町村制施行と同時に大字吉野に編入した坂元村の区域から坂元町が設置された[17]

第二次世界大戦前には伊敷に設置されていた大日本帝国陸軍歩兵第45連隊演習場が吉野と花棚の境界上付近に展開されており、第二次世界大戦中には上花棚の区域まで拡大された[25]

現代の吉野[編集]

竜ヶ水駅に設置されている竜ヶ水災害復旧記念碑

1986年(昭和61年)2月9日に吉野町のうち大明ヶ丘団地として造成された区域に住居表示が実施されるのに伴い町名整理が行われ、吉野町の一部より分割され大明丘一丁目から大明丘三丁目が設置された[26][27]

翌年の1987年昭和62年)には吉野町北部を区域とする吉野地区土地区画整理事業の都市計画決定が告示され、1992年平成4年)に事業に着手した。吉野地区については2015年までの事業完了を予定している[13]

1993年平成5年)8月6日に発生した平成5年8月豪雨(8.6豪雨)では錦江湾沿岸部にある磯地区、花倉地区、竜ヶ水地区を通る国道10号及び日豊本線沿線で29か所の崖崩れが発生したことにより[28][29]竜ヶ水駅付近は孤立し国道10号を通行中であった自動車約800台に乗車していた者と竜ヶ水駅に停車中であった列車の乗客の合わせて約2,500名が取り残された。その後土石流は竜ヶ水駅に直撃し、孤立していた約2,500名が海に投げ出されたが、桜島フェリーや漁船などにより救出された[30][31]

竜ヶ水地区では竜ヶ水駅に停車中の列車内に留まっていた乗客3名が列車に直撃した土石流により死亡している。

また、花倉(けくら)地区では集落を土石流が直撃し花倉病院に入院していた患者9名と花倉地区の住民6名の合わせて15名が死亡した[32][33]。これらの被害を受けた竜ヶ水地区や花倉地区など付近の海岸沿いを通る国道10号日豊本線は土石流により壊滅的な被害を受けた[34]

災害後、住民は鹿児島市内の学校に避難した後、花倉地区に戻らず、市営住宅に入居した住民も多く、花倉地区の人口は水害発生以前は約200人であったのに対して水害後は60人程度に減少した[33]

沿革[編集]

  • 弘治元年8月27日 - 「山本氏日記」に吉野という地名が見える。
  • 安永8年 - 薩摩藩が吉野薬園を設置。
  • 江戸時代から明治時代 - 竜ヶ水地区を大隅国帖佐郷脇元村から編入。
  • 明治4年 - 廃藩置県により吉野村は鹿児島県に属す。
  • 1889年明治22年) - 町村制施行により、吉野村が成立。同時に旧吉野村と坂元村を合併し、吉野村大字吉野となる。
  • 1934年昭和9年) - 吉野村が鹿児島市に編入され、鹿児島市吉野町となる。同時に旧坂元村を分離(坂元町となる)。
  • 1986年昭和61年) - 吉野町の一部より大明丘一丁目から大明丘三丁目が分離する。

町域の変遷[編集]

実施後 実施年 実施前
吉野村大字吉野 1889年明治22年) 鹿児島郡吉野村(藩政村)
鹿児島郡坂元村(藩政村)
鹿児島市吉野町 1934年昭和9年) 吉野村大字吉野
鹿児島市坂元町
大明丘一丁目から大明丘三丁目 1986年(昭和61年) 吉野町の一部

人口の変遷[編集]

人口推移のグラフ
人口 世帯数 出典
明治初期(15~17年) 4,396 1,244 [17]
1960年昭和35年) 10,503 不明 [11]
1965年昭和40年) 11,054 不明 [11]
1970年昭和45年) 17,331 不明 [11]
1979年昭和54年) 27,733 不明 [11]
1990年平成2年) 24,974 7,833 [35]
1995年平成7年) 27,850 9,162 [35]
2000年平成12年) 30,355 11,511 [36]
2005年平成17年) 31,628 12,692 [37]
2010年平成22年) 32,214 13,510 [38]

史跡[編集]

国指定文化財[編集]

旧鹿児島紡績所技師館
旧集成館機械工場
仙巌園内濾過池
名勝
  • 仙巌園 附:花倉御仮屋庭園
    1658年(万治元年)に第19代当主であった島津光久によって造園されたもので、借景技法を用い、桜島を築山に、鹿児島湾を池に見立てた景色と広大な庭園が特徴とされている[39]1958年昭和33年)5月15日に国の史跡名勝天然記念物に指定された[40]
建造物関係
  • 旧鹿児島紡績所技師館(異人館
    日本初の紡績工場である鹿児島紡績所を作るにあたり、技術指導の為に招聘したイギリス人技師の宿舎として建設されたものであり、異人館とも呼ばれる[41][42]1959年昭和34年)2月25日に国の重要文化財及び史跡に指定された[43]
  • 旧集成館機械工場
    日本初の本格的な洋式石造建造物であり、1863年薩英戦争で焼失した集成館の跡地に建設されたものである[44]1962年昭和37年)6月21日に国の重要文化財に指定された[45]
  • 旧集成館
    島津斉彬による集成館事業により建設された工場群の総称であり、1853年に集成館と名付けられたものである[46]1959年昭和34年)2月25日に国の史跡に指定された[47]
  • 磯珈琲館(旧芹ヶ野島津家金山鉱業事業所)
    1904年明治37年)に串木野村(串木野町・串木野市を経て現在はいちき串木野市の一部)に串木野鉱山の事業所として島津興業により建造されたもので、洋風の外観に和風の屋根を備えているなど独特の形態を持つ[48]1923年大正12年)と1986年昭和61年)に移築されている。1999年平成11年)8月23日登録有形文化財(建造物)に指定された[49]
  • 磯工芸館(旧島津家吉野殖林所)
    1909年明治42年)に吉田村(吉田町を経て現在は鹿児島市の一部)に島津家吉野殖林所として島津興業により建造されたものである。現在は磯工芸館として薩摩切子等の展示販売室となっている[50]1999年平成11年)8月23日に登録有形文化財(建造物)に指定された[51]
  • 仙巌園内濾過池
    1906年明治39年)に建造された仙巌園内にある濾過池であり、地下2.4mに敷設された水道石管から取水し濾過した後敷地内に配水する施設である[52]2001年平成13年)8月28日に登録有形文化財(建造物)に指定された[53]
  • キイレツチトリモチ産地
    ツチトリモチ科の1年生の寄生植物で、葉緑体を持たないことから光合成をおこなわず、トベラやネズミモチなどの根に寄生している[54]。珍しい種類であり「本自生地ハ鹿児島市ノ東方磯ノ海岸山林中ニアリ[55]」とされ吉野町の磯海岸の生育地が1921年大正10年)に史跡名勝天然記念物に指定された[56]
美術品関係
  • 文禄三年島津氏分国太閤検地尺
    太閤検地の際に島津氏分国検地で使用された地尺で、太閤検地の基準尺としては唯一の現存しているものである[57]1980年昭和55年)6月6日に国宝・重要文化財(美術品)に指定された[58]。尚古集成館に収蔵されている。
  • 木村嘉平関係資料
    島津斉彬の命を受けて三代木村嘉平が作製した活字印刷に関する器具セットである[59]1998年平成10年)6月30日に国宝・重要文化財(美術品)に指定された[60]。尚古集成館に収蔵されている。

市指定文化財[編集]

心岳寺跡にある平松神社
  • 寺山炭窯跡及び炭窯の碑 - 市指定記念物(史跡)
  • 心岳寺跡 - 市指定記念物(史跡)
    かつて字平松にあった曹洞宗の寺院で島津歳久を祀っていたが、明治3年の廃仏毀釈により平松神社となった[61]。戦前までは島津歳久の命日である8月18日に心岳寺詣りが行われており、妙円寺詣り、加世田日新寺詣りと並び鹿児島三大詣りと称されていた[62]

その他の史跡[編集]

  • 西郷隆盛蘇生の家
    1858年(安政8年)の安政の大獄により幕府から追われていた京都の僧の月照西郷隆盛と共に薩摩に逃げたが薩摩藩は幕府を恐れ匿わず日向国の高岡に行くように命じられたが、これは途中で斬り捨てよという意味であったため、西郷は月照と共に花倉で海に身を投げ自殺を図ったが、住民に救助された。月照は死亡したが、西郷はその住民の家で蘇生したことから西郷隆盛蘇生の家として現在の国道10号の沿線に現存している[63]

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[64]

町丁 地区 小学校 中学校
吉野町 天神山団地、実方 鹿児島市立大明丘小学校 鹿児島市立吉野中学校
吉野町 中別府、よしの台、七社
上之原、東菖蒲谷、西菖蒲谷
鹿児島市立吉野東小学校 鹿児島市立吉野東中学校
吉野町 磯、花倉、三船
竜ヶ水、平松
鹿児島市立清水小学校 鹿児島市立清水中学校
吉野町 その他 鹿児島市立吉野小学校 鹿児島市立吉野中学校

交通[編集]

国道10号(鹿児島市街方面)

道路[編集]

国道
  • 国道10号
    錦江湾の海岸沿いを日豊本線と並走して通っている。鹿児島市と姶良市等を結ぶ幹線道路であることから渋滞が深刻であり[65]鹿児島北バイパスの建設が検討されている。
県道

鉄道[編集]

九州旅客鉄道日豊本線
  • 竜ヶ水駅
    1915年大正4年)に重富~鹿児島間に設置された駅[66]。吉野台地上の区域から鉄道を利用する場合、竜ヶ水駅は急な崖の下にあり、台地と沿岸部を直接結ぶ道路がないことから、一部の地域を除いて利用不可能である。吉野台地上からの最寄駅は鹿児島駅となる。
  • 心岳寺仮乗降場(廃駅)
    1908年明治41年)に重富~鹿児島(当時は竜ヶ水駅未開業)間に設置された仮乗降場。平松神社で行われる「心岳寺詣り」の時期のみ使用され、戦後心岳寺詣りが衰退し、その影響により1967年昭和42年)に廃止された。

施設[編集]

この節では上記の史跡及び交通の節で記載された施設は割愛する。

公共
郵便局

宗教施設[編集]

  • 本門佛立宗不輕寺鹿児島別院[67]
  • 祥徳寺[68]
  • 帯迫鎮守神社
    天照皇大神及び天児屋根命を祀る神社であり、創建された時期は不明であるとされる。島津氏の代々の藩主に崇拝され、五穀豊穣を祈願したとされる[69]
  • 東本願寺吉野寺
  • 西本願寺吉野出張所
  • 原五社神社
    桜島の安政大噴火の際に避難し吉野に移住した桜島郷黒神村(現在の鹿児島市黒神町)の住民が黒神村にあった原五社の祭神を祀る神社として安政3年に創建されたという説と桜島の月読神社を勧請し、神社の所在地の字名である上之原から原五社と称するようになったという説がある[70]
  • 七社神社
    享保2年に七社集落の鎮護の神として勧請され、大己貴神を祀る[71]
  • 鶴嶺神社
    仙巌園の中に鎮座する神社であり、島津氏の先祖や家臣等を祀る為に明治2年(1869年)に創建された神社である[72]
  • 菅原神社(別名:磯天神)
    貞保3年に島津光久によって本宮である太宰府天満宮より勧請された神社であり、菅原道真を祭神としている[73][74]
  • 白山姫神社
    現在の石川県白山市にある白山比咩神社の分社として創建され、磯山下川に置かれたが、集成館事業拡張のために用地が不足したことから雀ヶ宮に移転した[75]
  • 実方神社
  • 照日神社
  • 日輪照大神神社
  • 三船神社

教育施設[編集]

中学校
小学校
特別支援学校
  • 鹿児島県立鹿児島養護学校
    1965年昭和40年)に鹿児島県立養護学校として設置され、1967年昭和42年)には高等部が併置された。1975年昭和50年)に現在の校名である鹿児島県立鹿児島養護学校に改称した[79]。2013年には吉野町内の県高等学校合同グラウンド跡地に新校舎を建設し移転した[80]
幼稚園等
  • 吉野幼稚園
  • 錦ヶ丘幼稚園
  • 吉野保育園
  • ほぴあこども保育園
  • 滝の神保育園
  • 錦ヶ丘保育園
  • 教恵保育園

出身人物[編集]

近世
近現代
  • 向井優 - 吉野町出身のアマチュア天文家。2013年現在で共同発見者の武石正憲と共に13個の小惑星を発見している[84]

脚注[編集]

注釈[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 中央地域に属する磯、花倉、三船、竜ヶ水、平松を除く吉野町全域が吉野地域に含まれる
  2. ^ a b 中央地域には吉野町のうち、磯、花倉、三船、竜ヶ水、平松が属している
  3. ^ 明治時代頃まで竜ヶ水は脇元村の飛地であったが、竜ヶ水の区域自体は薩摩国の領域であった
  4. ^ 吉野村の大字吉野は現在の坂元町の区域が含まれるため現在の吉野町の区域は大字吉野の一部にあたる
  5. ^ 3,310ヘクタール=33.1平方キロメートル

出典[編集]

  1. ^ 統計情報 - 鹿児島市ホームページ。
  2. ^ a b 『南日本新聞』 2012年1月24日付 15面(373ワイドタウン 吉野新聞)
  3. ^ JPL Small-Body Database Browser 5640 Yoshino - アメリカ航空宇宙局 2011年11月20日閲覧。
  4. ^ ニュース(2009年6月) - 薩摩川内市せんだい宇宙館 2011年11月27日閲覧。
  5. ^ a b 角川日本地名大辞典 p.694
  6. ^ 鹿児島市役所支所設置条例 - 鹿児島市例規集 2012年7月14日閲覧。
  7. ^ 学校の沿革 - 鹿児島市立清水小学校 2011年9月15日閲覧。
  8. ^ 学校沿革 - 鹿児島市立吉野小学校 2011年9月15日閲覧。
  9. ^ 古地図にみるかごしまの町 p.162
  10. ^ 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
  11. ^ a b c d e 鹿児島大百科 p.1022
  12. ^ 鹿児島都市計画事業吉野地区土地区画整理事業施行条例 - 鹿児島市、2013年9月22日閲覧。
  13. ^ a b 吉野地区の土地区画整理事業について - 鹿児島市 2011年9月15日閲覧。
  14. ^ JR日豊線 竜ヶ水駅/九州の駅ゆったり紀行/旅・観光 - 西日本新聞 2012年7月14日閲覧。
  15. ^ 鹿児島市史 I pp.39-40(第2編 原始古代編)
  16. ^ 鹿児島市史 I pp.58-59(第2編 原始古代編)
  17. ^ a b c d e f 角川日本地名大辞典 pp.654-655
  18. ^ 鹿児島市史 Ⅰ p.403(第4編 近世編)
  19. ^ a b 鹿児島県の地名 p.180-181
  20. ^ 鹿児島市史 Ⅰ pp.587-589(第4編 近世編)
  21. ^ 日本最初の洋式紡績工場 鹿児島紡績所跡と異人館 - 鹿児島市 2012年7月14日閲覧。
  22. ^ 角川日本地名大辞典 p.667
  23. ^ 吉野薬園跡 - 鹿児島市 2011年11月27日閲覧。
  24. ^ 鹿児島市史 Ⅰ p.654(第5編 明治前期の鹿児島)
  25. ^ 古地図に見るかごしまの町 p.166
  26. ^ 1987年 (昭和62年2月号) 第237号 (PDF) p.3 - 鹿児島市広報デジタルアーカイブ 2012年4月22日閲覧。
  27. ^ 昭和62年鹿児島県告示第244号(町の区域の設定、昭和62年2月6日付鹿児島県公報第8497号所収)
  28. ^ 鹿児島市竜ヶ水駅でおきた土石流による列車切断について - 高谷精二(南九州大学砂防学会 2013年1月13日閲覧。
  29. ^ 風水害 - 鹿児島市 2011年11月27日閲覧。
  30. ^ 『南日本新聞』 2013年1月3日付 25面(前を向いて かごしま 8・6水害20年)
  31. ^ 主な災害の概要:鹿児島水害 - 国土交通省 2011年11月27日閲覧。
  32. ^ 8・6水害18年 冥福祈り防災誓う/鹿児島市花倉 - 南日本新聞社(373news) 2011年11月27日閲覧。
  33. ^ a b 『南日本新聞』 2013年1月1日付 35面(前を向いて かごしま 8・6水害20年)
  34. ^ 第4章 県の地域特性及び災害特性 - 鹿児島県 2011年11月27日閲覧。
  35. ^ a b 町・丁別推計人口-統計書-(平成2~22年度) - 鹿児島市 2012年4月23日閲覧。
  36. ^ 年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成6~23年:各年3月末現在)<5歳階級別町丁別住基人口(H12~H14:3月末)> - 鹿児島市 2012年4月23日閲覧。
  37. ^ 年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成6~23年:各年3月末現在)<5歳階級別町丁別住基人口(H15~H17:3月末)> - 鹿児島市 2012年6月10日閲覧。
  38. ^ 年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成6~23年:各年3月末現在)<5歳階級別町丁別住基人口(H21~H22:3月末)> - 鹿児島市 2012年6月10日閲覧。
  39. ^ 仙巌園とは1 - 仙巌園ウェブサイト 2011年11月19日閲覧。
  40. ^ 仙巌園附:花倉御仮屋庭園 - 国指定文化財等データベース 2011年11月19日閲覧。
  41. ^ 異人館(旧鹿児島紡績所技師館) - 鹿児島県総合観光サイ:ゆっくり・悠・遊 観光かごしま(鹿児島県サイト内) 2011年11月19日閲覧。
  42. ^ 日本最初の洋式紡績工場 鹿児島紡績所と異人館 - 鹿児島市 2011年11月19日閲覧。
  43. ^ 鹿児島紡績所技師館(異人館) - 国指定文化財等データベース 2011年11月19日閲覧。
  44. ^ 機械工場 - 尚古集成館(島津興業) 2011年11月19日閲覧。
  45. ^ 旧集成館機械工場 - 国指定文化財等データベース 2011年11月19日閲覧。
  46. ^ 旧集成館 - 尚古集成館(島津興業) 2011年11月19日閲覧。
  47. ^ 旧集成館 - 国指定文化財等データベース 2011年11月19日閲覧。
  48. ^ 磯珈琲館(旧芹ケ野島津家興業事業所) - 文化遺産オンライン(文化庁) 2011年11月20日閲覧。
  49. ^ 磯珈琲館(旧芹ヶ野島津家金山鉱業事業所) - 国指定文化財等データベース 2011年11月20日閲覧。
  50. ^ 磯工芸館(旧島津家吉野殖林所) - 文化遺産オンライン(文化庁) 2011年11月20日閲覧。
  51. ^ 磯工芸館(旧島津家吉野殖林所) - 国指定文化財等データベース 2011年11月20日閲覧。
  52. ^ 仙巌園内濾過池 - 文化遺産オンライン(文化庁) 2011年11月20日閲覧。
  53. ^ 仙巌園内濾過池 - 国指定文化財等データベース 2011年11月20日閲覧。
  54. ^ キイレツチトリモチ - 鹿児島県 2011年11月20日閲覧。
  55. ^ キイレツチトリモチ - 文化遺産オンライン(文化庁) 2011年11月20日閲覧。
  56. ^ キイレツチトリモチ - 国指定文化財等データベース 2011年11月20日閲覧。
  57. ^ 文禄三年島津氏分国太閤検地尺〈石田三成署判/〉 - 文化遺産オンライン(文化庁) 2012年3月24日閲覧。
  58. ^ 文禄三年島津氏分国太閤検地尺〈石田三成署判/〉 - 国指定文化財等データベース 2012年3月24日閲覧。
  59. ^ 木村嘉平関係資料 - 文化遺産オンライン(文化庁) 2012年3月24日閲覧。
  60. ^ 木村嘉平関係資料 - 国指定文化財等データベース 2012年3月24日閲覧。
  61. ^ 平松神社 - 鹿児島県神社庁 2012年3月24日閲覧。
  62. ^ 「心岳寺詣り」(平成23年11月23日開催)を紹介します! - 鹿児島県 2012年3月24日閲覧。
  63. ^ 西郷隆盛蘇生の家 - 鹿児島市 2011年11月27日閲覧。
  64. ^ 小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2010年6月24日閲覧。
  65. ^ 第1回鹿児島北バイパス磯の道づくりPI委員会 - 国土交通省鹿児島国道事務所 2011年11月30日閲覧。
  66. ^ 『日本鉄道旅行地図帳 12号 九州・沖縄』 p.59 新潮社
  67. ^ 本門佛立宗不輕寺鹿児島別院 - 本門佛立宗 2011年12月4日閲覧。
  68. ^ 祥徳寺 TOP of 慈明山 祥徳寺 - 慈明山祥徳寺 2011年12月4日閲覧。
  69. ^ 鎮守神社 - 鹿児島県神社庁 2011年12月4日閲覧。
  70. ^ 原五社神社 - 鹿児島県神社庁 2012年11月20日閲覧。
  71. ^ 七社神社 - 鹿児島県神社庁 2011年12月4日閲覧。
  72. ^ 鶴嶺神社 - 鹿児島県神社庁 2011年12月4日閲覧。
  73. ^ 菅原神社 - 鹿児島県神社庁 2011年12月4日閲覧。
  74. ^ 菅原神社 - 鹿児島市 2011年12月4日閲覧。
  75. ^ 白山姫神社 - 鹿児島県神社庁 2011年12月4日閲覧。
  76. ^ a b 本校の歴史 - 鹿児島市立吉野東中学校 2011年12月4日閲覧。
  77. ^ a b 学校沿革 - 鹿児島市立吉野小学校 2011年12月4日閲覧。
  78. ^ 学校紹介 - 鹿児島市立吉野東小学校 2011年12月4日閲覧。
  79. ^ 沿革 - 鹿児島県立鹿児島養護学校 2011年12月4日閲覧。
  80. ^ H25新校舎移転に向けて - 鹿児島県立鹿児島養護学校 2013年3月25日閲覧。
  81. ^ 桐野利秋 - 鹿児島市 2013年6月29日閲覧。
  82. ^ 別府晋介 - 鹿児島市 2013年6月29日閲覧。
  83. ^ 川上操六 - 鹿児島市 2012年12月13日閲覧。
  84. ^ Minor Planet Discoverers (Alphabetically)(英語) - 小惑星センター 2013年3月21日閲覧

参考文献[編集]

  • 鹿児島市史編さん委員会 『鹿児島市史Ⅰ』 鹿児島市、1969年
  • 南日本新聞社鹿児島大百科事典編纂室 『鹿児島大百科事典』 南日本新聞社1981年
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』 角川書店1983年ISBN 978-4040014609
  • 豊増哲雄 『古地図に見る かごしまの町』 春苑堂出版、1996年ISBN 4-915-09337-9
  • 『日本歴史地名体系 47 鹿児島県の地名』 平凡社、1998年ISBN 4-582-49047-6

関連項目[編集]

座標: 北緯31度38分20.6秒 東経130度33分36.7秒