吉田調書
吉田調書(よしだちょうしょ)とは、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による福島第一原子力発電所事故で陣頭指揮にあたった、吉田昌郎・福島第一原子力発電所所長(当時)が「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」(政府事故調)の聴取に応じた際の記録の通称。
聴取日は2011年7月22日・7月29日・8月8日・8月9日・10月13日・11月6日。
公式な文書名としては「聴取結果書」。
概要[編集]
福島第一原子力発電所の吉田昌郎所長(当時)は福島第一原子力発電所事故の際、福島第一原子力発電所の所長として現場で事故対応の指揮を執った。彼の「聴取結果書」には、東京電力本店や民主党政権(当時)の政府官僚とのやりとり、現場の苦悩などが直裁に記録されている。その内容は他の関係者らへの聴取記録と共に検証され、政府事故調の報告書[1]に総合的に盛り込まれたほか、国会事故調にも開示された[2] 。
公開に至った経緯[編集]
吉田昌郎元所長に対する聴取の応答内容をまとめた「聴取結果書」(後の、いわゆる「吉田調書」)は当初、本人の上申書[3][2]に基づいて非公開とされていた。
国会事故調が内部で調査のために用いる限りにおいて承諾するものであり、本件資料が、国会事故調から第三者に向けて公表されることは望みません。(平成24年5月29日付け上申書より引用) |
しかし、吉田昌郎元所長が2013年(平成25年)7月に死去した翌年の2014年(平成26年)5月に、朝日新聞は非公式に入手した吉田昌郎元所長の「聴取結果書」の内容と称して「平成23年3月15日朝に福島第1原発にいた所員の9割に当たる約650人が吉田昌郎所長の待機命令に違反し、第2原発へ撤退したと報じた」などとするスクープを報じた[4][5][6]。これを受け、ニューヨーク・タイムズなどの海外有力メディアは「パニックに陥った作業員が原発から逃走」などと批判的な論調で一斉に報じた[7]。
朝日新聞の報道に対して、吉田元所長本人にインタビューしたジャーナリストの門田隆将は、朝日新聞の報じた内容に誤りがあると指摘するが[8]、朝日新聞は「朝日新聞社の名誉と信用を著しく毀損」しているとして、記事を掲載した週刊ポストと門田に対し抗議し、訂正と謝罪が無い場合は法的措置を検討すると通告した[9][10][11]。
同年8月には、他の報道機関も「吉田調書」を非公式に入手し、「命令違反し撤退」という朝日新聞のスクープ記事を真っ向から否定する報道を行った上(8月18日に産経新聞[7][12]、8月24日にはNHK[13]、8月30日には読売新聞[14]など)、「吉田調書」の全面公開を求める訴訟が起こされるに至って、状況が一変する。
これらの動きを受けて、日本国政府は吉田昌郎元所長の聴取記録書を公開するよう方針転換し[16]、2014年(平成26年)9月11日に内閣官房が吉田調書を含む「政府事故調査委員会ヒアリング記録」を正式に公開[17]。このとき、吉田昌郎元所長の聴取記録書も、上申書で非公開を明確に希望していた本人の遺志に反して、正式公開された[19]。同日夜、朝日新聞は木村伊量社長や杉浦信之取締役編集担当(いずれも当時)らによる記者会見を開き、記事を取り消したうえで謝罪した[20][21]。
朝日新聞「吉田調書」誤報問題[編集]
「吉田調書」スクープの背景[編集]
朝日新聞の「吉田調書」で取材に当たったと表記されていたのは宮崎知己、木村英昭、の二人であった[22]。
木村は、連載「プロメテウスの罠」の中の「官邸の5日間」で、東電が全面撤退をしようとしていたと報じた記者であり[23]、宮崎は、「プロメテウスの罠」取材を行う特別報道部のデスクであった[24]。しかし、当時の首相・菅直人が「東電全面撤退」を阻止したというストーリーは、菅の国会答弁で否定されただけでなく[25][26]、政府事故調ならびに国会事故調の報告書でも認められなかった[27][28]。社長謝罪会見後の翌年1月末、日本新聞労働組合連合が主催するジャーナリズム大賞の特別賞に宮崎、木村両名による吉田調書報道が選ばれ両名共に出席し「たいへん励みになる賞をいただいたと思っています。ありがとうございました」とコメントした。
評論家の古谷経衡は、朝日の「誤報問題」について、「『そうであって欲しい』という記者らの”願望”」が「”記事の方向性”」となる「構造的問題」を指摘している[29]。
吉田元所長への聴取結果書の一覧[編集]
最初の2回の聴取(7月22日と29日)には、政府事故調の畑村委員長、柳田委員、渕上技術顧問も立ち会っている。
吉田元所長への聴取のほとんどが行われたJヴィレッジは、福島第一原子力発電所から南に約20km離れた沿岸部にあるスポーツ施設で、事故後は原発事故の対応拠点として利用されていた。
結果書の日付 | 聴取日 | 聴取時間 | 聴取場所 | 聴取者 | 聴取内容 | ページ数 |
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平成23年8月16日 | 2011年7月22日 | 10:25-12:25 13:05-15:06 |
Jヴィレッジ JFAアカデミー福島女子寮2階ミーティングルームA | 畑村洋太郎、柳田邦男、渕上正朗、小川新二、加藤経将、永田利生 | 事故時の状況とその対応について | 58頁、図1枚 |
平成23年8月16日 | 2011年7月29日 | 10:00-11:57 12:31-14:50 |
Jヴィレッジ JFAアカデミー福島女子寮2階ミーティングルームA | 畑村洋太郎、柳田邦男、渕上正朗、加藤経将、及川敦嗣、永田利生 | 事故時の状況とその対応について | 60頁、図1枚 |
平成23年8月16日 | 2011年8月8日 2011年8月9日 |
8/8 10:01-12:02, 13:05-15:00, 15:06-17:13, 8/9 09:54-12:00, 12:58-15:53 |
Jヴィレッジ JFAアカデミー福島男子寮2階ミーティングルームB | 加藤経将参事官補佐、千葉哲主査 | 事故時の状況とその対応について | 68頁、資料46頁 |
平成23年8月14日 | 2011年8月9日 | 16:00-17:00 | Jヴィレッジ | 事故調査委員会事務局:岡田幸大 | 汚染水への対応について | 4頁 |
平成23年10月16日 | 2011年10月13日 | 16:00-17:00 | 東京電力福島第一原子力発電所免震重要棟 | 事故調査委員会事務局:高嶋智光、岡田幸大 | 高濃度汚染水の存在についての3月24日以前の想定について 4月4日統合本部会議における発言の趣旨・背景について |
3頁、別紙3頁 |
11月30日 | 2011年11月6日 | 11:00-16:20 | Jヴィレッジ JFAアカデミー福島男子寮2階ミーティングルームA | 加藤経将、松本朗、岡田祐樹 | 事故時の状況とその対応について | 66頁 |
11月25日 | 2011年11月6日 | 16:27-19:02 | Jヴィレッジ JFAアカデミー福島男子寮2階ミーティングルームA | 加藤経将、奥澤紘子 | 事故時の状況とその対応について | 37頁 |
脚注[編集]
- ^ 2012年7月23日に最終報告を提出
- ^ a b 上申書(PDF形式:254KB)
- ^ 吉田元所長の「上申書」の公表について - 内閣官房 平成26年5月
- ^ 福島第一の原発所員、命令違反し撤退 吉田調書で判明 - 木村英昭 宮崎知己.2014年5月20日
- ^ 葬られた命令違反 吉田調書から当時を再現 - 木村英昭.2014年5月20日
- ^ 「吉田調書」福島原発事故、吉田昌郎所長が語ったもの - 取材:宮崎知己、木村英昭 制作:佐久間盛大、上村伸也、白井政行、木村円
- ^ a b “朝日新聞、墜ちた2大スクープ「吉田調書」「慰安婦報道」 多数のメディアが検証・批判し否定”. 産経ニュース (2014年9月12日). 2019年6月30日閲覧。
- ^ 門田隆将 朝日新聞「吉田調書」報道の罪 全文掲載 - 2014.09.12
- ^ 週刊ポスト記事に朝日新聞社抗議 吉田調書めぐる報道 - 朝日新聞デジタル 2014年6月10日05時54分
- ^ 朝日新聞、誤報記事に法的措置匂わせる「抗議書」フリージャーナリストらに何度も送っていた - J-CAST 2014/9/12 19:47
- ^ 牧野 洋「吉田調書」スクープに相次ぐ疑義---説明責任を放棄して法的措置ちらつかせる朝日 - 現代ビジネス 2014年06月27日(金)
- ^ 吉田所長、「全面撤退」明確に否定 福島第1原発事故 - 2014.8.18 05:00、朝日新聞の報道は「所長命令に違反し、所員の9割が原発撤退」 - 2014.8.18 10:04
- ^ 退避した前後の判断などを証言 - NHK「かぶん」ブログ 2014年08月24日
- ^ 退避、命令違反なし - 読売新聞 2014年08月30日08時31分、「全面撤退」強く否定…福島第一 吉田調書 - 読売新聞 2014年08月30日08時35分
- ^ 吉田調書を公開 官房長官「非公開、遺志に反する」 - 日経 2014/9/11 16:28
- ^ 「断片的に取り上げられた記事が複数の新聞に掲載され、一人歩きするというご本人の懸念が顕在化しており、このまま非公開となることでかえってご本人の遺志に反する結果になると考えた」[15]
- ^ 政府事故調査委員会ヒアリング記録の開示について - 内閣官房 平成26年9月11日
- ^ 朝日の「吉田調書」スクープで無関心は加速する 前代未聞のメディア・イベントはいかに成立したか - 社会学者・開沼 博 【第486回】 2014年9月16日
- ^ これについて社会学者の開沼博は「吉田調書の公開プロセス自体が歴史上の大きな「汚点」になり得る」と指摘している。[18]
- ^ みなさまに深くおわびします - 朝日新聞社社長 2014年9月12日
- ^ 朝日新聞社長らが会見 記者会見やりとり要旨
- ^ 吉田調書 - 特集・連載:朝日新聞デジタル 取材:宮崎知己、木村英昭
- ^ 後に「官邸の5日間」を加筆して『検証 福島原発事故 官邸の一〇〇時間』 (岩波書店 2012) を著している。
- ^ 朝日新聞活用ガイド・プロメテウスの罠
- ^ 朝日新聞朝刊連載「プロメテウスの罠」について - 東京電力株式会社 2012年/平成24年1月13日
- ^ 参議院 予算委員会 第12号 - 平成23年4月25日
- ^ 政府事故調
- ^ 国会事故調報告書
- ^ 古谷経衡 朝日新聞の「構造的問題点」とは?〜「吉田調書」等をめぐる誤報問題について〜 - 2014年9月11日
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 政府事故調査委員会ヒアリング記録(令和元年10月26日現在)
- 2011/7/22 事故時の状況とその対応について(PDF:7,010KB)
- 2011/7/29 事故時の状況とその対応について(PDF:7,170KB)
- 2011/8/8、2011/8/9
- 事故時の状況とその対応について 1 (PDF:3,639KB)
- 事故時の状況とその対応について 2 (PDF:3,514KB)
- 事故時の状況とその対応について 3 (PDF:3,513KB)
- 事故時の状況とその対応について 4 (PDF:6,870KB)
- 事故時の状況とその対応について (資料)(PDF:5,298KB)(『福島第一原子力発電所のアクシデントマネジメント整備報告書』平成14年5月 東京電力株式会社)
- 2011/8/9 汚染水への対応について (PDF:536KB)
- 2011/10/13 高濃度汚染水の存在についての3月24日以前の想定について、4月4日統合本部会議における発言の趣旨・背景について (PDF:625KB)
- 2011/11/6 事故時の状況とその対応について (PDF:7,481KB)
- 2011/11/6 事故時の状況とその対応について (PDF:4,233KB)
- 「吉田調書」公開 菅直人元首相、福島第一原発の撤退問題について「吉田所長と東電の言っていることに食い違い」 - The Huffigton Post 2014年09月11日
- 吉田調書・全文をテキスト化 - The Huffington Post 2014年09月11日. ハフィントンポストは、政府が正式公開した吉田調書の内容をPDFとテキスト化文書で公開している。
- 吉田調書・全文を電子書籍化 - 提灯書庫 2014年09月11日. 校正されたテキストと電子書籍で公開されている。
- 古谷経衡 朝日新聞の「構造的問題点」とは?〜「吉田調書」等をめぐる誤報問題について〜 - 2014年9月11日
- 開沼博 「吉田調書」を正しく読み解くための3つの前提 「朝日 vs. 産経」では事故の本質は見えてこないDOL特別レポート【第485回】 2014年9月12日 http://diamond.jp/articles/-/59001
- 開沼博 朝日の「吉田調書」スクープで無関心は加速する 前代未聞のメディア・イベントはいかに成立したか DOL特別レポート 【第486回】 2014年9月16日 http://diamond.jp/articles/-/59026
- 「福島原発事故・吉田調書」報道に関する見解 - 朝日新聞社報道と人権委員会 2014年11月12日
- 山口浩 (2014年9月18日). “朝日新聞慰安婦問題とメディアの誤報リスクマネジメント 山口浩 / 経営学”. SYNODOS 2017年9月16日閲覧。
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