吉四六

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉四六話から転送)
Jump to navigation Jump to search
豊後森駅のホームにある吉四六漬の看板

吉四六(きっちょむ)は、大分県中南部で伝承されている民話の主人公。とんち話で知られる。江戸時代初期の豊後国野津院(現在の大分県臼杵市野津地区(旧・大野郡野津町))の庄屋であった初代廣田吉右衛門(ひろた きちえもん)がモデルとされる[1][2]

概要[編集]

廣田吉右衛門は、名字帯刀を許された地方の庄屋であった。しかしながら、吉四六と吉右衛門のつながりを示す史料はなく、また、廣田吉右衛門の名は7代にわたって代々受け継がれたため、どの代の吉右衛門がモデルであったのかも確かではない。一応は、吉四六話や野津地区にある初代吉右衛門の墓の調査から、吉四六のモデルとなった人物は初代廣田吉右衛門(寛永5年(1628年[3] - 正徳5年12月27日1716年1月21日))であると見做されている[1][2]。「きっちょむ」という名は「きちえもん」が豊後弁によって転訛したものである[4]。また、同郷の頓智者として吉五(吉吾とも)という人物がいるが、彼も吉四六と同一人物とされる場合がある。

吉四六は、一休彦一と並び著名なとんち者であり、寺村輝夫他、児童文学、国語科教科書などにも題材として採り上げられていたこともあって知名度は高い。弱者や貧しい人に味方をしたことから現在でも人気が高く[2]、地元の大分県では、焼酎の銘柄[5]吉四六漬[6]など、その名を冠した商品も多数発売されている。また、九州旅客鉄道(JR九州)大分支社にはかつて「吉四六」の名称を持ったジョイフルトレインがあった(ジョイフルトレイン#過去のジョイフルトレインを参照)。

吉四六話[編集]

吉四六にまつわるとんち話を吉四六話というが、これは一種の民話であり、廣田吉右衛門の伝記とは別物である。実際、吉四六話とは明治時代以降に大分県中南部の伝承を集めて編纂したもので、話数は二百数十に及ぶが、編纂の過程で脚色や創作が加えられている[1]。たとえば、吉四六の嫁のオヘマは宮本清の創作である[7]。そのほか、落語の演目(壺算てれすこなどをアレンジしたもの)や他地方の伝承をそのまま郷土の伝承に置き換えたものも少なくない。

吉四六話が初めて活字化されたのは明治30年代に新聞に連載された『吉右衛門譚』であった。その後、1925年(大正14年)から、宮本清によって大分県の地方紙「大分民友新聞」で連載され、1927年(昭和2年)に『豊後の奇人 吉四六百話』として単行本化されたことから大分県内で広く知られるようになった[8]。この時に収録されたのは100話であったが、1934年(昭和9年)、1939年(昭和14年)には『豊後の奇人 吉四六さん物語』[9]1950年(昭和25年)には『豊後の奇人 吉四六さんものがたり』[10]1974年(昭和49年)には『吉四六ばなし』として徐々に増補され、収録話数は230にまで増えている[7]

一方、大分県外では、1926年(大正15年)に、柳田国男が主宰して東京で「きっちょむ研究会」が発足している[8]。1977年度(昭和52年度)からは光村図書版の国語科教科書にも採用されている[11]

主な説話[編集]

説話の数は優に200を超える[1]が、その中でも代表的なものを採り上げた。他地域のとんち者のエピソードと内容が重なるものも多い。また、子供向けには適さない色話も存在する[12]ほか、失敗談や怪奇話など[13]バリエーションも豊富だが、児童文学で採り上げられることは極めて少ない。

柿の見張り番[14][15][16]
代表的な説話の一つで、吉四六が子供の頃のエピソードである。ある日、吉四六の家のがたわわに実った。親は盗まれないように、吉四六に柿の木を見ているように言った。しかし、自分自身も食べたくてしょうがない。おまけに村の友人がやってきて、柿を食べようと吉四六をけしかける。そこで、吉四六は頓智を働かせ、友人と一緒に全部柿を平らげてしまった。畑仕事から戻ってきた親は吉四六をしかりつけるが、吉四六はこう言った。「柿の実は友達がもいで行ってしまったけど、柿の木はずっと見ていた」と。親は呆れて開いた口が塞がらなかった。
烏売り[16][15]
吉四六の家には毎日のようにが飛んでくる。この烏を何とか売れないかと吉四六はあれこれ考えた結果、彼は一羽のキジを籠の上に止まらせて、籠の中にありったけの烏を詰めて行商に出た。彼は売り文句に「烏はいらんかね」というが、客は籠の上に載っているキジを見て、吉四六が烏とキジの区別も付けられないで売っているのだと思いこむ。値打ちは雲泥の差であり、欲の深い客はこのキジを烏の値段で買って大もうけを企むが、吉四六は言葉通り烏を客に渡す。客が文句を言うが「キジは看板だから売らない。わしは烏はいらんかねといったが、キジを売るとは一言も言っていない」と言ってのけ、結局彼は烏を一羽も残らず売ってしまった。
天昇り[17][18]
怠け者の吉四六は田の代掻きを楽に行う方法は無いかと考え、田の真ん中に高いハシゴを立てる。そして町の衆に「天に昇ってくる」と言い回る。天昇り当日、吉四六がはしごを登りだすと、集まった町の衆は「危ない危ない」と言いながら田んぼの中で右往左往する。吉四六もはしごの上でふらついてみせる。しばらくすると「皆がそんなに危ないというなら天昇りはやめじゃ」とはしごを降りてくる。町の衆が右往左往してくれたおかげで田んぼはほどよく代掻きが行われていた(類似作に代掻きでなく、豆撒き用の畑を耕すものもある)。
悲しい木[19][15]
正月を目前に控えた日、吉四六は村人と山へ正月に使う薪を拾いに行った。村人達が薪を拾ってる間なぜか吉四六は薪を拾わずにずっと寝ていた。そして夕方。村人に起こされた吉四六は村人達が拾ってきた薪を見て「これは椎の木じゃ。椎の木は悲しい(椎)の木と言って、正月には縁起が悪い」と言った。これを聞いた村人は縁起が悪い木なぞいらんと薪を全部捨ててしまった。すると吉四六は村人の捨てた薪を拾い集め、それを持ち帰ろうとする。村人がその木は縁起が悪いんじゃないのかと聞くと「この木は悲しいの木じゃなく嬉しい(椎)の木じゃ」と言って、唖然とする村人を尻目に帰っていった。
川の渡し[20][14]
渡し舟の船頭をしていた吉四六、ある日のこと一人の侍を乗せることになったが、この侍が渡し賃を値切ろうとして言うことを聞かない。やむなく吉四六は侍を乗せて向こう岸へ漕ぎ出したが、後もう少しで向こう岸というところで止まってしまう。侍が「何でこんなところで止まるんだ」と聞くと、吉四六は「その渡し賃ではここまでしか来られません。後は降りて川の中を歩いてください」。「こんなところで降りられるか」と侍が言うので「ならば戻るまで」と元の岸へ戻ったあと侍の言う渡し賃の往復分(当然、値切る前より高額)を請求したので侍は渡し賃を値切るのを諦めた。尚、別バージョンでは侍の文句の後「では元に戻ります」と言って往復渡し賃を請求するものもある。
甕の値段[15]
吉四六が家内に頼まれ、を買いに行った。初めは小さい甕を30文で買って家に帰ったが、小さすぎるといわれた。そこで大きい60の甕を持って行こうとするが、店主にお金を貰っていないと言われる。しかし、吉四六は「30文払って、30文の甕を買った。その30文の甕を返したのを合わせて60文だから、お金は払う必要ない」といってそのまま帰ってしまう。他のとんち者の説話にも登場するほか、「壺算用/壺算」という題で落語にもなっている。
首のおかわり[18]
吉四六の近所には人の話を聞くのが三度の飯より好きな男が居た。しかし、その男は悪い癖があり、自分に納得できない話には「まさかそげんなこと」といちゃもんをつける。ある時、その男が吉四六に何か話はないかと尋ねてくるが、吉四六は「まさかとは言うな。言ったら米一俵もらう」と約束をする。そこで吉四六は話を始めた。殿様が外を歩いていると持っていた扇子に鳶の糞がぺたっと落ちた。家来はすぐに「へい、扇子のお代わり」と言って代わりを持ってくる。それからしばらくすると、偶然にも殿様が持っていた刀にも鳶の糞が。すぐさま家来が「刀のお代わり」と言って持ってくる。しかし、話はその後…鳶が気になった殿様が空を見上げようとすると、何と今度は殿様の首に糞を落とした。そして家来が「首のお代わり!」というと、殿様は自分の首を切り落とし、首を付け替えまた駕籠に乗っていったという。さすがに男は我慢できず「まさかそげんなこと…」と漏らしてしまい、約束通り男は吉四六にまるまる米一俵持って行かれたのだった。
川の鰻[14]
吉四六が川でを掬っていた。しかし、そこには魚採り禁止と書かれており、それを見付けた隣村の役人が吉四六に注意をする。しかし吉四六は「この鰻は儂がうっかり逃がしたものだ」と言って魚籠(びく)を見せる。そして、前を大きな鰻が通ると「こいつ、今までどこに行ってた。早くわしの所に戻ってこい」とか言い、小さな鰻だと「こいつ、隣村から紛れ込んできたな。はよ帰れ」などと言って逃がしてしまう。結局茫然と立ち尽くす役人を後目に、適当にうまいことを言って、大きいうなぎだけを魚籠いっぱいに掬ってしまったのだった(類似作では、小さな鰻さえも「懲らしめてやる」と言ってどさくさに捕獲するバージョンもある)。
どじょう鍋
村の男達が囲炉裏端でどじょう鍋をしようとしていると、吉四六が入ってきて、豆腐を温めさせてくれないかという。男達は出汁になってちょうどいいとこれを許す。程よく煮えたところで、吉四六は豆腐を掬い上げて帰っていく。吉四六が帰った後、男達が鍋を見ると、中はもぬけの殻。鍋の熱さにどじょうたちが耐えかねて、吉四六の入れた豆腐の中にもぐりこんでしまったのである。まんまとどじょうを掻っ攫った吉四六だった。(どじょう豆腐参照)
小便酒[15]
酒を持って関所を通ろうとした吉四六だが、役人が中身の検分と称してこれを飲んでしまう。何度も酒を台無しにされ、業を煮やした吉四六は酒徳利に自分の小便を入れ、またも関所へ。役人は「この中身は小便でございます」との吉四六の言葉を信用せず、これを口にして一言、「…この正直者め!」(この説話は落語「禁酒関所/禁酒番屋」の元ネタにもなっている)
鴨撃ち[13]
庄屋が鴨汁をご馳走してくれると言うので出かけた吉四六だが、庄屋は自分の椀にばかり鴨肉を入れさせ、吉四六の椀の具は大根ばかりだった。それでも吉四六はその場は「美味しい鴨汁でした」と言って帰る。だが、帰り際に「青首(の鴨、すなわちマガモ)がたくさんいるところを知っている」として庄屋に豪勢な弁当を用意させ、翌朝二人で繰り出した。やがて吉四六は大根畑に着いて座り込むと、弁当をぱくつき始めた。庄屋が鉄砲を手に「いったい青首(の鴨)はどこにいるのか」と尋ねると、「ほれ、そこにいっぱいいるでしょう」と答える。庄屋が「どこにも青首なんかいないだろう」といぶかると、吉四六は澄ました顔で「青首(の大根)なら、目の前にいくらでも並んでるでしょう、あれこそ先日ご馳走になった鴨ですよ」とやり込めた。
ねずみの名作[15]
庄屋に「家には生きているようなネズミ彫り物がある」と自慢された吉四六はもっと見事な彫り物が自分の家にもあると言った。庄屋は「その彫り物を持って来い。もし自分のより見事だったらこのネズミの彫り物をくれてやる」と怒った。その晩、吉四六は一晩中なにかを作っていた。翌日、吉四六が庄屋に見せたのは見事な彫り物どころか馬の糞と間違うような酷い物だったが吉四六は慌てず「どちらがより素晴らしいかに判断させましょう。猫が飛びついた方が本物に見えるいうことです」と庄屋の家の猫を連れてきた。庄屋は自分が勝つに決まっていると思ったが、猫が飛びついたのは吉四六のネズミだった。実は吉四六のネズミはかつおぶしで作ってあり、猫が飛びつくのは当たり前だったのだ。
宙ぶらりん[15]
吉四六が寺へ行くと二人の男が言い争っていた。訳を聞くと寺の釣鐘が「ぶらっと下がっている」か「下がってぶらっとしてる」かを言い争っているのだと言う。そして、二人はお互い一両もの大金を賭けていた。知恵者の吉四六なら答えが判るだろうと言う二人に、吉四六はしばらく鐘の周りをうろうろした後「鐘はぶらっと下がっているのでも下がってぶらっとしているのでもない。宙ぶらりんだ」と答える。剰え、賭け金の二両も「この金も宙ぶらりんで困るじゃろうから、わしがもらっておくわい」と言って、ちゃっかり懐に仕舞い、帰ってしまうのだった。
牛の鼻ぐり[15][16]
ある日吉四六は変装をして、町の店という店に「の鼻ぐり(牛の鼻につけて手綱を通す道具)はないか?」と聞いて歩いた。どの店にも鼻ぐりは無く、吉四六は「困った困った。また来よう」と大きな声で言いながら帰っていった。数日後、今度は変装せずに牛の鼻ぐりを山ほど担いだ吉四六は町で鼻ぐりを売って歩いた。先日の男が吉四六だと知らない店の主人達は、あの男が買いに来れば大儲けが出来ると我先に鼻ぐりを買い求めた。当然それっきり鼻ぐりを買いにくる者など居ない。店の主人達が吉四六にいっぱい食わされたと気づいたのはだいぶ後のことだった。
タケノコの恩[15]
吉四六は、近所から物をもらうことは多かれ、自分から物を贈ったりすることはなかった。すると、近所のお婆さんが「何かお礼をしないと、このままでは悪い評判が立つよ」と窘められる。そこで、吉四六は竹藪に向かい、大ぶりの筍を2、3本用意して近所を廻った。最初こそお礼を返すが、皆はそれを受け取らず遠慮する。それもそのはず「儂の厠の傍で育った筍じゃから、よく肥やしが利いております」と付け加えるからだ。結局、三本の筍で、近所のみんなからお礼ができたのだった。
金を垂れる馬[15][16]
吉四六は馬を手放すことにしたが、痩せ馬なので高くは売れない。そこで高く売ろうとある作戦を考えた。そして馬喰に「この馬を高く買ってくれ」と持ちかけるが、そんな痩せ馬などと相手にしない。しかし、不思議なことに馬糞の中に金が混ざっていたのである。驚いた男は吉四六に尋ねると「そうじゃ、この馬は金を垂れるんじゃ」と告げる。それなら、どんなに高く買っても損はしないだろうと吉四六に大金を渡し手放した。しかし、それからしばらくして男が吉四六に文句を言う。餌も上等なものも与えているというが、それなら無理だと吉四六は首を振り「金を食わせないと、金を垂れるわけなかろう」と言いのけるのだった。
サザエ買い[16]
吉四六が臼杵の町に出歩き、魚屋の前でサザエをいくつか買う。だが、彼は中身をほじくってそのまま殻だけを持って帰るのだ。そして、もう一度サザエを買って帰るが同じようにサザエの殻だけを持って帰り、「しばらくしたらまた来るので、山盛り用意しといてくれ」とだけ伝える。魚屋はしめしめと思い、今度は樽一杯のサザエを用意した。どうせ、次も殻だけ持ち帰って、身は置いていくだろうと思い、次に訪れた吉四六に「旦那、またサザエ仕入れました。お代は少しでいいので、好きなだけどうぞ」という。しかし、今度は身を捨てることなく、捨て値で樽一杯のサザエを買い占め、呆気にとられる魚屋を後にした。そして、少し過ぎた街角で全部売りさばいてしまったという。
米の飯[16]
かつて、米は年貢として納めていたため、特別な日以外は食するものでなかった。しかし、稲刈りも終わった頃、吉四六は無性に米の飯を食べたくなった。そこで、いきなり門の外に出て「おー、今から行くぞー」と叫ぶ。家内が何事かと尋ねると今日は天気もいいので、若い衆を集めて橋を架ける工事に借り出されたと告げる。それなら仕方無く、家内は米の飯を弁当に拵えた。だが、その後雨が降り出す。吉四六はまた門を出て「おー、そうかー、橋架けはやめじゃあ」と一芝居を打った。そしてのんびりくつろぎながら自宅で米の飯を頬張るのであった。
嘘の種本/米一俵[16][14]
前後編含め、様々な人物で説話がある[21]。吉四六の頓智は臼杵城下の評判となり、殿様に披露することとなった。そして殿様は吉四六に向かい、こう告げる。「今からわしを頓智で騙してみせよ。うまくいけば、褒美をとらす」。しかし、吉四六は困り果て「それには種本が必要ですが、生憎自宅に置いてきました」と返す。すると、殿様は家来を遣わし、その種本を取りに行かせる。しかし、そんな本は見付からなかったとの知らせを受けると殿様は激怒。そこへ吉四六が「殿様が騙してみせよと仰ったのです。約束通り褒美を下さい」とすかさず返せば、流石の殿様も、もう何も言い返せない。そんなわけで、殿様からお礼に米一俵をもらえることになり、家来の一人が馬を一頭牽いてきた。そして米を一俵もらうと、わざと鞍の片方にでんと積み、馬を転倒させてしまう。吉四六は「なんじゃだらしのない馬じゃ」と罵り、それならばともう反対側に廻り、同じようにでんと積むが、やはり馬は転倒してしまう。それを見かねた殿様が「それでは重心が取れず、馬が可哀想ではないか」と告げると、吉四六は「ははっ、それでしたらもう一俵もらえれば、左右の重心が取れて大丈夫でございます」と告げ、結局米二俵をまんまと手に入れて、持ち帰るのだった。
薪買い[15]
吉四六の家の前を、ちょうど薪売りが通った。吉四六は彼を呼び止め「薪一束全部もらおう」と告げる。薪売りは喜んで家に持ち運ぼうとするが、そのとき吉四六は「門をくぐる時は、根元の方から入れてくれ」と注文を付けた。薪売りは変わり者がいるものだと首をかしげつつも薪を家に放り込もうとするが、如何せん根が引っかかって悪戦苦闘、その間に出っ張った根元がばらばらとほぐれていく。何とか苦労して薪を収めて、薪売りが100文の値段を付けると「高い、1文に負けろ」と無茶を言う。薪売りは「そんな安値で売れるわけないだろう」と言い返すと、結局吉四六は買うのはやめだと告げて薪売りを怒らせて返してしまった。しかし、薪は根の広がり部分がすっかり削ぎ落とされており、吉四六は大喜びで散らばった根元の細切れを掻き集めるのだった。
尾張と陸奥[15]
町人が吉四六に「日本で一番遠い国はどこじゃ?」と尋ねると、咄嗟に吉四六が「それは尾張(今の愛知県北部)じゃ。名前からして終わりじゃからの」と即答。それを聞いて別の町人が「そんなわけがない、陸奥(今の青森県)が一番遠い[22]に決まっておる」と言い返す。二人は言い争いになり、どちらが正しいかお金を賭けることになった。ちょうど、そこへ御遍路さんが通る。町人が公平に判断するため彼を呼び止め、二人は同じ質問をした。そこへ、吉四六がお布施を喜捨する。お遍路さんが「おありがとうございます」と言うと、吉四六は「それ見ろ、尾張(おあり)が遠ございます」と言ったからわしの勝ちじゃ」と告げ、賭けに勝ってしまうのだった。
吉四六と庄屋/火事の知らせ[18][16]
吉四六の町で火事が発生した。それにも拘わらず、彼は何とも悠々として庄屋に向かい優しい小声で「お庄屋様、お庄屋様、火事でござりまする」と告げる。これに気付いた家内が「吉四六さん、何を小声で呟いておる?」と訊くと「お庄屋さんに火事と申し伝えください」と伝えるのだ。彼女は大慌てで旦那に告げると、彼は飛び起きて役場に駆けつける。しかし、既に火事は消えており、庄屋は役人から厳しい御叱りを受けた。庄屋は「お前のせいで、儂は大目玉じゃ。これからはもっとはっきり伝えよ」と厳しく吉四六に迫った。かくしてその夜、吉四六は、丸太ん棒をつっかかえ庄屋の家の前でそれを撞きながら「庄屋様、火事じゃ、火事じゃ、大火事じゃあ!」と叫び、その弾みで扉も壊してしまう。すると庄屋が「分かった分かった、これ以上つつくな、家が壊れてしまう。で、火事はどこじゃ?」と吉四六に話し掛けると、「庄屋様、次はこの程度で教えれば宜しいですか」と返すのだ。庄屋は呆れて開いた口が塞がらなかったという。

ほか。なお、以上の説話の多くは宮本清著『吉四六ばなし』に収載されている[13]

オペラ化[編集]

1973年(昭和48年)に大分県民オペラが吉四六昇天としてオペラ化(作曲:清水脩)して大分県内で上演。後に九州を中心に全国各地で上演され、さらにテレビで全国放送も行われた。主演の吉四六を大分県出身の立川清登が演じた[23]。大分県民オペラ協会はこのオペラの上演等の活動により、1979年(昭和54年)にサントリー地域文化賞を受賞している[24]

脚注と出典[編集]

  1. ^ a b c d 吉四六さんについて知りたい。 大分県立図書館
  2. ^ a b c 大分の先人 吉四六”. 2014年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月13日閲覧。 大分市情報学習センター
  3. ^ 宮本清『吉四六ばなし』の「後がき」では、生年を寛永15年(1638年)としてる。
  4. ^ きっちょむ話 デジタル大辞泉(コトバンク)
  5. ^ 吉四六 二階堂酒造
  6. ^ 吉四六漬 JA玖珠九重
  7. ^ a b 宮本 (1974), 前がき
  8. ^ a b 昔話”. 2001年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月13日閲覧。 大分歴史事典(大分放送)
  9. ^ 豊後の奇人吉四六さん物語 九大コレクション 九州大学附属図書館
  10. ^ 豊後の奇人吉四六さんものがたり 九大コレクション 九州大学附属図書館
  11. ^ 小学校 昭和52年度版(昭和52年〜昭和54年使用) 4年│教科書クロニクル1小学校編 光村図書出版
  12. ^ 『吉四六の里』公式HP資料より。現当該ページ閲覧不可
  13. ^ a b c 宮本 (1974)
  14. ^ a b c d 光村版国語科教科書
  15. ^ a b c d e f g h i j k l 学研『日本のとんち話事典』
  16. ^ a b c d e f g h 寺村 (1976)
  17. ^ 武田 (1970), p. 207
  18. ^ a b c 学研『まんが昔話事典』
  19. ^ 武田 (1970), p. 211
  20. ^ 武田 (1970), p. 206
  21. ^ 学研『日本のとんち話事典』では前半は吉五、後半は薩摩藩の武士、侏儒の話となっている
  22. ^ 当時、蝦夷は日本国内に含めていない
  23. ^ 大分県民オペラの歩み (PDF) 大分県民オペラ協会
  24. ^ 大分県民オペラ協会 民話を題材にした創作オペラ上演など、アマチュアオペラ界の先駆け的存在 サントリー地域文化賞 サントリー文化財団

参考文献[編集]

  • 『日本笑話集』 武田明、社会思想社〈現代教養文庫〉、1970年
  • 寺村輝夫 『吉四六さん』 あかね書房〈寺村輝夫のとんち話〉、1976年ISBN 4251060024
  • 宮本清 『吉四六ばなし』 大分合同新聞社、1974年

関連項目[編集]

  • 普現寺 - 吉四六の墓がある。
  • 桃太郎伝説 - キャラクターの一人として登場。桃太郎に「灼熱の弓矢」を渡す。