吉倉汪聖

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吉倉 汪聖(よしくら おうせい、1868年明治元年)11月 - 1930年昭和5年)12月30日)は、日本のジャーナリストアジア主義者大陸浪人

経歴[編集]

1868年明治元年)、金沢藩士の子として生まれる。東京法学校(現・法政大学)を卒業し、民権運動に参加した後、朝鮮に渡る。釜山貿易新聞を経て、元山時事、遼東新報を創刊し、ジャーナリストとして活躍する。1895年(明治27年)に天佑侠団に加わり、1901年(明治33年)に内田良平らとともに黒龍会を創設する。内田の『露西亜論』は吉倉の執筆によるものといわれている。

人物[編集]

詩人評論家北村透谷と交友があった。

参考[編集]