司馬柬

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司馬 柬(しば かん、262年 - 291年)は、中国西晋皇族弘度。初代皇帝武帝の第3子。生母は恵帝と同じ楊元后。優秀で兄弟の中で父から最も寵愛されていた。

生涯[編集]

270年11月、汝南王に封ぜられた。

277年8月、南陽王に移り、左将軍・領右軍将軍・散騎常侍になった。左将軍として斉王司馬攸の故府に居て、天下の注目を集めた。

289年11月、秦王に移り、鎮西将軍・西戎校尉・仮節・都督関中諸軍事になって、父の武帝の意向により楚王司馬瑋淮南王司馬允と共に領国に赴任した。

恵帝の即位後、洛陽に戻り驃騎将軍開府儀同三司となった。侍中を加号され録尚書事となった。291年3月、大将軍となった。外戚の楊駿らが誅殺された事に心をいため、自分の不安定な地位を憂慮し、武帝の意向だと領国への帰還を求めたが、汝南王司馬亮は司馬柬を洛陽に留め、輔政の任についた。 9月、亡くなると人々はその死を惜しんだ。

子は無く、淮南王司馬允の子の司馬郁を嗣子としたが、司馬允と一緒に殺された。その後、呉王司馬晏の子の司馬鄴が嗣子となった。