台東区立黒門小学校

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台東区立黒門小学校(たいとうくりつ くろもんしょうがっこう)は、東京都台東区上野一丁目(黒門町)にある公立小学校

概要[編集]

明治43年5月7日創立。江戸時代から日本を代表する繁華街である上野をそっくり学区域に持つ小学校で、校舎は、今は内でも少なくなった、いわゆる震災復興校舎(昭和5年竣工)を、大きく手を加えることなく現在も使用している。建築当初からある地下の防空壕と二宮金次郎像もそのまま残っている[1]。しかし現在は校舎耐震化のため、プレハブで授業を行っているクラスがある。(2017年6月現在)

現校舎建築当初から平成元年まで使っていた旧体育館には、戦前に御真影を安置していた奉安殿が残っていたが[2]、体育館の改築とともに消滅した。

歴代校長には、道徳研究の全国の会長を経験した者が多く、特に昭和40年代には全国の先駆けとなる道徳授業を実践していた。卒業生の中には私立・国立の有名中学に進学する者がおり、公立小学校の名門として都内や近県からの区域外就学児が生徒の半数以上を占めている。

上野にある小学校として、上野公園内にある文化施設との連携・協力も密にしており、地の利を生かした教育活動を実践している。同窓会も活発で、黒門小学校育ての会(PTA組織)や地域との連携しながら黒門小学校の教育活動や児童の為に活動している。

著名な出身者[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 防空壕は、入口が特殊な場所にあって施錠されており、普段はまったく人の出入りがないこともあり、中は昔の雰囲気がよく残っている。建設当時のものと思しき、壁を碍子一つで伝う裸電線に電灯、昭和30年代の生徒の手によると思しき落書きなどが残る。学校の正面玄関を入って左右に行くと、同じ1階であるにもかかわらず、廊下を進むのに不自然にも若干の階段を登らなければいけないのは、上げ底となった部分の下に防空壕があるからである。
  2. ^ 舞台の奥に大理石で囲まれ、複雑なレリーフが施された大きな木の引き戸があり、扉を開けた奥行き僅かなスペースが奉安殿として使われていた。戦後は、学校教育から国体思想が排除されたことに伴って奉安殿として使うことを止め、全面を緞帳で覆って存在を隠し、運動会の入退場門を収納するなどの大物用倉庫としてひっそりと使っていた。

外部リンク[編集]