古波蔵保好
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古波蔵 保好(古波藏 保好、こはぐら ほこう[1]・やすよし[2]、1910年3月23日 - 2001年8月30日[3])は、日本のエッセイスト、評論家。妻は服飾評論家の鯨岡阿美子[1][3]。妹は琉球料理研究家の古波蔵登美で、登美の孫(姪孫)にあたるのが[4]作家・与那原恵である。
来歴・人物
[編集]沖縄県首里市(現・那覇市)金城出身[1]。沖縄県立一中卒業[要出典]、東京外国語学校印語学科中退(1930年[5])[1]。 1931年[3][5]、当時県域新聞社として発行していた沖縄日日新聞(後の沖縄日報)に記者として入社。1941年[1][5]、大阪毎日新聞社に移籍し社会部記者、論説委員。
1964年[1][3][5]に退社後はエッセイスト、評論家として、日本エッセイストクラブ賞を獲得した[1]『沖縄物語』をはじめ、沖縄県の歴史、文化・世相風俗、食などに関する著書を多数発表した。また那覇市の中心部久茂地に、琉球料理専門店「美榮(みえ)」[6]の二代目店主[7]を務めていた[8]。
1972年には、第1回ベストドレッサー賞(学術・文化部門)を受賞している[1]。
2001年8月30日、肺癌により91歳で死去、喪主は長男保男が務めた[8]。
著書
[編集]- 『非常識夫婦論』ポケット文春(1963年、文藝春秋新社)
- 『航跡―日本人の記録』毎日ノンフィクション・シリーズ(1965年、毎日新聞社)
- 『航跡―造船士官福田烈の戦い』(1996年2月、光人社NF文庫)
- 『愛しはじめた人へ―心をとらえる愛の技法』大和人生文庫(1978年、新版1986年、大和書房)
- 『愛しはじめた人に―心をとらえる愛の技法』(1987年ほか、大和書房)、単行新版
- 『レディース街12番通り』(1978年、本郷出版社)
- 『ステーキの焼き加減』(1979年7月、文化出版局、1983年4月、新潮文庫)
- 『沖縄物語』(1981年4月、新潮社)
- 『男を磨くセンス』(1982年1月、大和書房)
- 『男の衣裳箪笥』(1983年1月、新潮文庫)
- 『磨かれた女にセンス・アップ』(1982年12月、大和書房)
- 『料理沖縄物語』(1983年1月、作品社)、朝日文庫、講談社文庫で再刊
- 『老いの教訓―生き生き八十年』(1994年4月、講談社)
- 『骨の髄までうまい話』(1997年6月、新潮社)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 読売新聞 2015年1月25日 よみほっと日曜版 「名言巡礼」
- ^ 古波蔵保好(こはぐら・やすよし)- 琉球新報(『最新版 沖縄コンパクト事典』2003年3月)
- ^ a b c d 古波蔵保好(こばくら やすよし)とは - コトバンク(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)
- ^ https://www.nikkei.com/article/DGKKZO66649230Y2A201C2BE0P00/
- ^ a b c d 古波蔵 保好(コバクラ ヤスヨシ)とは - コトバンク(20世紀日本人名事典)
- ^ 2016年秋に株式会社「琉球食文化研究所」を設立され経営を行っている。
- ^ 1958年に妹・登美(1912-1978年)が創業、1960年に移転。1978年に妹が亡くなり、二代目店主となった。長男夫人の古波蔵徳子が長年女将を務めた。
- ^ a b 沖縄タイムス 2001年8月31日 朝刊 “アーカイブされたコピー”. 2005年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2005年11月13日閲覧。