古俣健次

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古俣 健次 Football pictogram.svg
名前
カタカナ コマタ ケンジ
ラテン文字 KOMATA Kenji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1964-03-05) 1964年3月5日(54歳)
出身地 新潟県
身長 166cm
体重 62kg
選手情報
ポジション MF
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

古俣 健次(こまた けんじ、1964年3月5日 - )は新潟県新潟市出身の元サッカー選手

来歴[編集]

新潟工業高校から大阪商業大学を経て、1987年に日本サッカーリーグ(JSL)のヤマハ発動機(現ジュビロ磐田)に入団。1987/88年シーズンに新人王を受賞。ジャパンフットボールリーグを経て、ジュビロがJリーグ昇格後の1994年まで主力の一角としてプレーしたが、1995年は首の負傷や、同じポジションのドゥンガ加入などが原因でわずか1試合の出場に留まり、オフに戦力外通告を受けて退団した。

翌1996年からは新天地として北信越サッカーリーグのアルビレオ新潟FC(現アルビレックス新潟)を選んだ。元Jリーガーとしての経験を生かし、当時アマチュア程度の意識しか無かったチームメイト達をプロサッカー選手として意識改革。1年目にして北信越リーグを優勝、MVPに選出される。又チーム内外での絶大的な存在感から、1997年北信越リーグのホームゲーム選手紹介アナウンスで「ミスター・アルビレックス」と称され、アルビレックス新潟の北信越リーグ2連覇、ジャパンフットボールリーグ昇格に貢献した。1998年途中、度重なる怪我の悪化により現役を引退した。

現在はサッカー解説者や、新潟市西蒲区のJrサッカークラブ「フリーダムスポーツクラブ」代表であり、怪我の治療目的で始めたアロマセラピーの講師を務めるなど、引退後も多方面で活躍している。

選手時代の特徴[編集]

守備的なMFとして中盤の底に位置し、ハードなマークで相手の攻撃の芽を摘むプレーが特徴。小柄な体ではあったが、抜群のスタミナを生かして戦うファイターだった[要出典]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1987-88 ヤマハ JSL1部 22 0
1988-89 ヤマハ JSL1部 0
1989-90 ヤマハ 22 JSL1部 12 0 1 0
1990-91 ヤマハ 22 JSL1部 9 0 2 0
1991-92 ヤマハ 22 JSL1部 5 0 1 0
1992 ヤマハ 旧JFL1部 10 1 -
1993 磐田 旧JFL1部 5 0 1 0 0 0 6 0
1994 磐田 - J 26 0 4 0 0 0 30 0
1995 磐田 - J 1 0 - 0 0 1 0
1996 新潟 18 北信越 - 1 0
1997 新潟 18 北信越 - 2 0
1998 新潟 18 旧JFL 10 1 - 0 0 10 1
通算 日本 J 27 0 4 0 0 0 31 0
日本 JSL1部 70 0
日本 旧JFL 25 2 1 0
日本 北信越 -
総通算

その他の公式戦

個人タイトル[編集]