取り付け騒ぎ

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取り付けから転送)
1893年恐慌を舞台にした劇の取り付け騒ぎのシーンを描いたポスター(アメリカ)

取り付け騒ぎ(とりつけさわぎ、英語:bank run)、取付騒動(とりつけそうどう)とは、特定の金融機関や金融制度に対する信用不安などから、預金者が預金貯金・掛け金等を取り戻そうとして(=取り付け)、急激に金融機関の店頭に殺到し、混乱をきたす現象のこと。

概要[編集]

経営破綻するというや、不確実な情報、デマが引き金となることが多い。

取り付け騒ぎが起きると他の金融機関の預金者にも不安が強まり金融不安となることがあることから、金融システムの維持にあたる政府や報道機関は情報提供を通じて事態の沈静化につとめることになる。

取り付け騒ぎが起こった金融機関では、窓口での対応や多額の預金払戻しによって、業務が停滞する。加えて、いかなる金融機関でも保持する資産の流動性は低いため、全預金を払い戻すことのできる現金は保有しておらず、殺到する預金の解約に応じるのは困難である。そのため、預金高の減少で経営が立ちゆかなくなり、経営危機に陥ったり、最悪の場合、経営破綻に至る場合もある[1]

銀行や信用金庫・信用組合など預金取扱金融機関が破綻した場合は、預金保険法の定めにより預金は保護される。しかし、保護額を超える預金についての支払い額減殺が行われることが想定される。金融危機を防ぐため政府が介入して預金保護を行うなど政治が関与することもある[2]

日本では、預金保険と比べて保護制度が万全ではない生命保険会社損害保険会社の貯蓄性保険商品(養老保険・積立型普通傷害保険・年金保険等)について、経営悪化の噂が流れると、解約が取り付け騒ぎのように殺到することで資産が目減りし、経営破綻の引き金となりうる状況が平成不況下で見られた。保険商品はもともと元本保証されていないものの、経営破綻しなければ(契約通りであれば)保険料をプールしている責任準備金の運用益(予定利率配当金)で、一定の利回りが得られる設計となっている。

しかし経営破綻すると、解約返戻金(責任準備金)が削減され、将来受け取る満期保険金ないし死亡保険金が一律カットされることで、大幅な元本割れが発生するリスクが高いため、これを回避するために、解約が殺到する現象が起こる(銀行振込による解約者への送金手段があるため、必ずしも窓口に多額の現金を準備する必要が無い点が、銀行等預金取扱金融機関と異なる)。実際に1990年代以降に破綻したいずれの保険会社も、破綻時の既契約に対しては責任準備金の削減を行った上で受け皿の保険会社へ契約譲渡をしている。

また、金融商品ではないものの、ペーパー商法マルチまがい商法和牛オーナー制度で、それまで定期的に得ていた配当金の支払が滞ると解約が急増し、経営破綻の引き金になるパターンがある。

取り付け騒ぎの防止[編集]

取り付け騒ぎの発生を予防し、また発生しても沈静化させるため、さまざまな方法が取られる。

  • 金融規制によって銀行の貸しすぎを防ぎ、取り付け騒ぎの原因となる経営不安の発生を予防する。
  • 預金保険制度により個々の預金者に一定額の預金を保障する。その場合預金者は取り付けの必要が無くなるため、他の人がそれを見て連鎖的に取り付けに参加して事態が悪化するようなことがなくなる。ただしこの場合、預金者が預金のリスクについて慎重に判断しようとはしなくなり、預金者のリスク回避行動を阻害する恐れがある(モラルハザードを参照)[2]
  • 取り付け騒ぎが発生した場合、一時的に預金払戻を停止する(預金封鎖)。
  • 取り付け騒ぎが発生した場合、中央銀行が「最後の貸し手」となって短期資金を融資し、資金枯渇を防ぐ[2]

取り付け騒ぎの例[編集]

日本の例[編集]

  • 大阪金融恐慌
    • 1901年、大阪の第七十九銀行と難波銀行が休業した。
  • 北浜銀行
  • 第二銀行
    • 1925年、横須賀市内の銀行が破綻する[4]中、第二銀行横須賀支店にも預金者が払い戻しに殺到。銀行側は準備を整え営業時間を延長、日曜日も通常営業を行い[5]持ちこたえた。
  • 昭和金融恐慌
  • 豊川信用金庫事件
    • 1973年、高校生同士の会話での「信用金庫なんて(強盗とか)危ないわよ」という冗談から「(豊川)信用金庫(の経営)が危ない」という経営不安の噂となり、豊川信用金庫が取り付け騒ぎに陥る。実際には経営は健全であった。調査により原因から噂が広がる途中経過まで明らかになった稀有な例。
  • コスモ信用組合
    • 1995年、預金者が預金払戻を求めて殺到した。東京都知事より業務停止命令を受け最終的には破綻。
  • 木津信用組合
    • 1995年、預金者が預金払戻を求めて殺到したことが「取り付け騒ぎ」の語を用いずに報道される。最終的には破綻。
  • 能代信用金庫(現:羽後信用金庫
    • 1995年5月2日、「能代信金が清算へ…」と一部で報道されたことをきっかけに預金者が殺到。能代信用金庫の理事長、大蔵省の東北財務局長、日銀の秋田支店長が相次いで会見し、「清算」という報道は「事実無根」と否定したが混乱を収拾できず、最後の顧客が取引を終えたのは午後5時30分を回り、同日中に流出した預金額は約27億円に達した。その後、1997年3月24日に同じ秋田県内の大曲信用金庫による救済合併の結果、秋田ふれあい信用金庫が発足した(秋田ふれあい信用金庫は2009年7月13日にやはり同じ秋田県内の羽後信用金庫と合併し、新名称は羽後信用金庫となった)。
  • 紀陽銀行
    • 1997年11月、経営不安の風評被害により、一部支店にて取り付け騒ぎが発生し、数日で3000億円の預金が流出した。
  • 北海道拓殖銀行
    • 1997年11月17日、拓銀の破綻を発表。預金の払い戻しを受けるため、本支店で解約する顧客が列を作ったり、混乱に備え北海道警察が本支店を警備した。
  • 山一證券
    • 1997年11月24日、自主廃業。店舗と社員の一部はメリルリンチ日本証券が承継することになったが、各地の支店で証券口座を解約する顧客が列を作った。
  • 足利銀行
    • 1997年9月に騒ぎとなり、親密行の東京三菱銀行(現:三菱UFJ銀行)から資金供給を受ける事態となった。なお当該騒ぎとは無関係に、2003年11月29日に特別危機管理銀行の認定を受けるに至った(預金は全額保護)が、こちらは目立った騒ぎは起きなかった。
  • 佐賀銀行倒産メール事件
    • 2003年12月、20代の女性が知人に「佐賀銀行が26日に倒産する」という事実無根の電子メールを出し、それがチェーンメール化。噂が広がって取り付け騒ぎとなる。
  • 平成不況期に経営破綻した保険会社(日産生命第百生命第一火災(損保)・東邦生命千代田生命東京生命協栄生命大和生命

その他の例[編集]

早朝からノーザン・ロック銀行の前に列を作る人々
2008年9月24日、香港の東亜銀行の支店に列を作る人々

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 日本放送協会. “米銀行の経営破綻 SNSも大きく影響 日本の備えは万全か【コラム】 | NHK”. NHKニュース. 2023年3月19日閲覧。
  2. ^ a b c 日本放送協会. “相次ぐ銀行破綻 アメリカで何が起きている?背景に何が…|サクサク経済Q&A|NHK”. NHK NEWS WEB. 2023年3月19日閲覧。
  3. ^ 下川耿史 家庭総合研究会 編『明治・大正家庭史年表:1868-1925』河出書房新社、2000年、394頁。ISBN 4-309-22361-3 
  4. ^ 横須賀の共信銀行が休業『中外商業新報』大正14年3月24日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p143 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  5. ^ 第ニ銀行横須賀支店で取り付け『中外商業新報』大正14年4月12日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p143)
  6. ^ Kelvin Wong (2008年9月25日). “香港の東亜銀行で取り付け騒ぎ-銀行側はうわさに反論、当局も擁護”. Broomberg. 2016年4月20日閲覧。
  7. ^ 2007年9月15日現在の為替レート

関連項目[編集]