及位ヤヱ

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及位 ヤヱ(のぞき やえ、1916年大正5年)9月16日 - 2005年平成17年))は、日本女性パイロット秋田県山本郡八竜町出身。通称は、及位ヤエ、及位野衣。戸籍名は『ヤヱ』であったが、第一航空学校()在籍時に男性名ばかりの名札の中で目立つことを嫌い、漢字を当てた『野衣』の名で飛行活動を行った[1]。単発小型機で日本一周に成功、NHK連続テレビ小説雲のじゅうたん』のモデルのひとりである。元社団法人日本婦人航空協会の設立者で理事長

経歴[編集]

1916年(大正5年)、秋田県山本郡八竜町に、及位キサ(母親)の子として生まれ、仙北郡角館町で育つ。山形県立鶴岡高等女学校(現:山形県立鶴岡北高等学校卒業後、1937年昭和12年)千葉県船橋市第一航空学校()に入学、二等飛行操縦士の資格を得ると兵頭精木部シゲノ今井小松西崎キクに続く日本女性パイロットの草分けとなる。同校助教授に翌1938年(昭和13年)に就任、その後、戦争中は女性パイロットの操縦が禁止されたことから、大日本航空に務めエアガールとして働く。 戦後は、操縦士の資格が無効となったため二等航空士免許を取り直し、逓信省運輸省航空局の職員となり、事業用操縦士も兼務。

単発小型機での日本一周に挑戦し、1972年(昭和47年)に成功。国際航空婦人年の1975年(昭和50年)には記念のアメリカ大陸横断レース「パウダー・パフビーダー」に、日本人女性として初めて参加する。「雲を追った四十年」と題した名古屋女子大学同窓会『春光会』の講演会(1976年(昭和51年))、また1981年(昭和56年)には東京・海運クラブに於いて「大空を飛ぶ夢」と題して述べるなど講演活動も進めた。テレビ番組「お元気ですか」にゲスト出演したのは1986年(昭和61年)9月28日である。

社会活動[編集]

社団法人日本婦人航空協会(現・日本女性航空協会)については、設立に携わった1952年(昭和27年)を経て1967年(昭和42年)理事長に就任した。1974年(昭和49年)8月7日には静岡県熱海市医王寺で行われた、女性パイロット・朴敬元慰霊祭に出席。羽田航空少年団では1988年(昭和63年)に理事、1990年(平成2年)から2001年3月31日まで監事を務める。

マスコミでは報じられなかったが、日本女性航空協会の機関誌『空のワルツ』2005年5月号(第623号)に「追悼 及位ヤヱ前理事長を偲ぶ」という記事が掲載されており、これに従えば2005年に死去したとみられる[2]

受賞歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 松村由利子. “女もすなる飛行機—第8回 後続の女性パイロットたち”. NTT出版Webマガジン. NTT出版. 2011年9月13日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2016年12月3日閲覧。
  2. ^ “追悼 及位ヤヱ前理事長を偲ぶ”. 空のワルツ (一般社団法人 日本女性航空協会) 623 (5月号). (2005年). http://www.jwaa.or.jp/newsletter/%e5%b9%b3%e6%88%9017%e5%b9%b42005/ 2016年12月3日閲覧。. 

出典[編集]

参考書籍[編集]

  • 浜田けい子 『はばたこう世界の空へ・女性パイロット・及位ヤエ—苦難と栄光の先駆者』 佼成出版社、1987年(昭和62年)
  • 『20世紀のすてきな女性たち』5、岩崎書店ISBN 978-4-265-05145-8 2000年(平成12年)
  • 創美社, ed (1981). 近代日本の女性史. 11. 集英社. OCLC 674632298. 

外部リンク[編集]