池田めぐみ (フェンシング選手)
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(原田めぐみから転送)
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基本情報 | ||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||
所属 | 山形県体育協会 | |||||||||||
誕生日 | 1979年8月1日(45歳) | |||||||||||
出身地 | 山形県南陽市 | |||||||||||
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池田 めぐみ(いけだ めぐみ、1979年8月1日 - )は、山形県南陽市出身の元フェンシング選手。旧姓は原田[1]。東京女子体育大学卒。筑波大学大学院修了[1]。
YAMAGATA ATHLETE LAB.(ヤマガタアスリートラボ) 創業者、代表[2][3]。
日本アンチ・ドーピング機構(JADA)アスリート委員[4][5]。
人物
[編集]- オリンピックに目覚めたのは5歳の時で、ロサンゼルスオリンピックの入場行進を見て、「私も行きたい」と感動[1]。中学校は陸上部に所属し、三種競技(走り高跳び・100m・砲丸投げ)で山形県大会・東北大会で優勝[1]。
- 高校は県の進学校の名門山形県立米沢興譲館高等学校に入学、今度はフェンシング部に所属、きっかけは姉がフェンシング部の選手だったので、顧問の先生に誘われたからである[1]。すると3年生の時にインターハイで4位に輝き[6]、フェンシングジュニア世界選手権に出場。
- 両親から大学は地元の医科系の大学に進もうと考えたら、東京女子体育大学に入学。しかし両親は反対した[6]。挫けずにフェンシングでの猛練習を励み、インターカレッジでエペ個人2年連続優勝・2001年アジア選手権エペ個人3位・2003年から2005年の全日本選手権はエペ個人で3連覇、努力が実り、アテネオリンピック日本代表なり、2回戦で敗退した。
- 大学院を修了後、2006年に地元に戻り山形県体育協会(現・山梨県スポーツ協会)スポーツ技術員に就任[7]、11月に右足十字靭帯断裂で手術、2007年に復帰[8]、その年の7月中旬に亀田興毅・大毅の異種スパーリングに参加した[9]。
- 2008年の北京オリンピックにアジアオセアニア大陸別代表選考会で優勝、2度目の出場、初戦のオーストラリアのパーキンソン選手と15対9で勝利、2回戦は銀メダリストのルーマニアのブランサ選手と15対11で敗れ、個人のエペ部門で日本人最高の15位だった[10]。ブランサは2008年8月14日時点で世界ランキング1位。
- 2009年の結婚して休養、その後復帰となり、2010年の第16回アジア競技大会フェンシング女子エペ団体(中野希望・下大川綾華)で金メダルを獲得。期待したが、2011年のアジア選手権後に乳がんと診断、8月に手術を行い成功したが、現役続行は難しいと判断、12月に引退した[10]。
その他の出場歴
[編集]- 2005年世界選手権(ドイツ・ライプチヒ):エペ個人 16位
- 2006年ワールドカップバンクーバーAランク世界大会:エペ個人2位(日本人初の銀メダルを獲得)[8]
- 2006年ワールドカップグランプリ(オーストラリア・シドニー):エペ個人 11位
- 2006年世界選手権(イタリア・トリノ):エペ団体8位(史上初の入賞)
- 2007年世界選手権(ロシア・サンクトペテルブルク):エペ個人16位
役職
[編集]- 国際フェンシング連盟選手委員会委員[11]
参考資料
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e アスリートライブ(池田めぐみ)
- ^ https://yonezawakojokan.info/2023/02/24/h10ikeda-7/
- ^ https://yamagata-athlete.com/about
- ^ JADAアスリート委員 池田めぐみさんがアジア大会優勝!!
- ^ https://www.playtruejapan.org/jada/organization/committee.html
- ^ a b 公益財団法人日本アンチドーピング機構(インタビュー・池田めぐみ)
- ^ スポーツのこころプロジェクト(池田めぐみ)
- ^ a b 日刊スポーツ(2008年北京オリンピック)
- ^ 楽天ブログ
- ^ a b 朝日新聞(2011年12月11日)
- ^ 国立スポーツ科学センター