原清 (海軍軍人)
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原 清 | |
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生誕 |
1889年5月2日 日本・佐賀県 |
死没 | 1976年8月26日(87歳没) |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1912 - 1943 |
最終階級 | 海軍中将 |
原 清(はら きよし、1889年〈明治22年〉5月2日 - 1976年〈昭和41年〉8月26日)は、日本の海軍軍人。逓信省海務院長官。海兵38期首席。最終階級は海軍中将。
経歴
[編集]教員、原権市の長男として佐賀県で生れる。唐津中学校を経て、1910年7月、海軍兵学校(38期)を首席で卒業し、同年12月に海軍少尉任官。海軍大学校で乙種学生、次いで航海術専修学生として学び、専修学生は優等で卒業した。運送艦「労山」航海長、練習艦隊参謀、第1艦隊参謀、海兵教官を経て、1923年10月、海大甲種21期を卒業した。
「夕張」航海長、呉軍需部員、アメリカ駐在、資源局事務官、給炭艦「野島」特務艦長、海軍省軍務局第2課長、「磐手」艦長、艦政本部総務部第1課長などを経て、1936年12月、海軍少将に進級。佐世保工廠造兵部長、企画院交通部長、同第6部長、佐世保工廠長を歴任し、1940年11月、海軍中将に進級した。
1941年12月、逓信省海務院長官となり、さらに第2遣支艦隊司令長官を勤め、軍令部出仕を経て、1943年9月、予備役に編入された。
親族
[編集]- 妻: 原ノブ(小田喜代蔵海軍少将の娘)