原浅

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はら あさ
原 浅
養子原貢(中央)と。左が浅。
生誕 1871年
日本の旗 日本 岩手県江刺郡岩谷堂町
死没 1923年3月2日
日本の旗 日本 東京府東京市芝区
配偶者 原敬(夫)
菅野弥太郎(父)
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原浅(はら あさ、1871年明治4年4月〉 - 1923年大正12年〉3月2日[1])は、日本の第19代内閣総理大臣である原敬の妻(内閣総理大臣夫人)。岩手県江刺郡岩谷堂町出身。

経歴[編集]

1871年明治4年)、岩手県江刺郡岩谷堂町(現在の奥州市)で生まれ育つ。父は菅野弥太郎。実家が貧しかったため、東京・烏森にある「紅葉館」の芸者として働く[2]

1896年(明治29年)に後の夫である原敬の母・リツと会わされ、原家に出入りするようになり、1908年(明治41年)に入籍[3]。敬には貞子という前妻がいたが、1905年(明治38年)に離婚している。原敬の暗殺の際には遺言状を忠実に実行し、盛岡市で葬儀を執り行っている[3]

1923年大正12年)3月2日、感冒で療養中に肺炎を併発して死去[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『大正過去帳 : 物故人名辞典』(東京美術、1973年)p.275
  2. ^ 『明治美人伝』長谷川時雨、1921
  3. ^ a b 『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 明治・大正篇』竹内正浩、実業之日本社, 2017, 「第三章 原敬」の項
先代
寺内タキ
内閣総理大臣夫人
1918年9月29日 - 1921年11月4日
次代
高橋品子