原坦山

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原 坦山(はら たんざん、俗名:新井良作、文政2年10月18日1819年12月5日)- 明治25年(1892年7月27日)は、幕末・明治期における仏教学者曹洞宗。諱は覚仙。号は鶴巣。

経歴[編集]

15歳で昌平坂学問所に入って儒学医術を学んだが、旃檀林(後の駒澤大学)にて講義を行った際、大中京璨との論争をきっかけに20歳(または26歳)のとき、大中京璨の師の英仙に就いて出家。

三河国青眼寺、宇治興聖寺で修行を重ね、風外本高の下で悟りを開き、大中京璨の法を嗣いだ。

心性寺最乗寺の住職を歴任し、教導職では大講義に、1879年には東京大学印度哲学科の最初の講師となり、東京学士会院の会員、曹洞宗大学林総監となった。

著書[編集]

弟子[編集]

大内青巒

参考文献[編集]

  • クラウタウ・オリオン『近代日本思想としての仏教史学』(法蔵館、2012年)
  • 吉永進一「原坦山の心理学的禅 - その思想と歴史的影響」(『人体科学』15/2、2006年)
  • 木村清孝「原坦山と「印度哲学」の誕生 - 近代日本仏教史の一断面」(『印度學佛教學研究』49-2、2001)PDF
  • 『禅学大辞典』(大修館書店)p1031

外部リンク[編集]