南部利正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
南部 利正
Nanbu Toshimasa01.jpg
時代 江戸時代中期
生誕 寛延4年4月9日1751年5月4日
死没 天明4年5月5日1784年6月22日
改名 信由→利正
別名 幼名:幸吉
官位 従五位下修理大夫、大膳大夫
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家治
陸奥盛岡藩
氏族 南部氏
父母 父:南部利視、生母:瀬山氏
養父:南部信起南部利幹次男)、南部利雄
正室:南部信起の娘(観光院
側室:田中氏
実子(2男4女):利敬(次男)、娘(井伊直中正室)、娘(松平輝延継室)ら

南部 利正(なんぶ としまさ)は、陸奥盛岡藩の第9代藩主。第7代主・南部利視六男

経歴[編集]

宝暦2年(1752年)3月9日生まれともされる。

はじめ、分家である家格旗本寄合席南部信起(彦九郎、第6代藩主・南部利幹の子)の婿養子となる。明和7年(1770年)4月4日、将軍・徳川家治御目見する。安永2年(1773年)8月22日、旗本家の家督を相続する。安永3年(1774年)12月16日、本家である盛岡藩主・南部利雄の養子となる。それにともなって、旗本南部家(3,000石)は廃家となる。利雄との養子縁組は、利雄の実子・利謹廃嫡にともなうものであった。

同年12月22日、将軍・徳川家治に御目見する。同年12月28日、従五位下修理大夫に叙任する。後に大膳大夫に改める。安永9年(1780年)2月7日、養父・利雄の死去により家督を相続する。天明元年(1781年)4月22日、在国の許可を得る。天明4年(1784年)5月5日、死去、享年34。家督は2歳の慶次郎(後の利敬)が相続した。

参考文献[編集]