日本トランスオーシャン航空

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日本トランスオーシャン航空
Japan Transocean Air
200px
IATA
NU
ICAO
JTA
コールサイン
JAY-OCEAN
設立 1967年6月20日
ハブ空港 那覇空港
マイレージサービス JALマイレージバンク
会員ラウンジ サクララウンジ
航空連合 ワンワールド
保有機材数 12機
就航地 11都市
親会社 日本航空
本拠地 沖縄県那覇市山下町3-24
代表者 丸川 潔 (代表取締役社長)
外部リンク http://www.jal.co.jp/jta/
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日本トランスオーシャン航空株式会社
Japan Transocean Air, Co.,Ltd.
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Japan Transocean Air Head Office.JPG
日本トランスオーシャン航空 本社
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 JTA
本社所在地 日本の旗 日本
900-0027
沖縄県那覇市山下町3-24
設立 1967年6月20日
業種 空運業
事業内容 定期航空運送事業及び不定期航空運送事業等, 航空機整備事業,その他の事業
代表者 丸川 潔 (代表取締役社長)
資本金 45億3,720万円
売上高 47,063百万円(2009年3月期)
営業利益 -338百万円(2009年3月期)
純利益 -404百万円(2009年3月期)
純資産 11,695百万円(2009年3月31日時点)
総資産 30,041百万円(2009年3月31日時点)
従業員数 724名 (2014年3月時点)[1]
決算期 3月31日
主要株主 日本航空 (70.1%)
沖縄県 (12.9%)
その他 (17%)
主要子会社 琉球エアーコミューター (74.5%)
JTA商事 (100%)
外部リンク http://www.jal.co.jp/jta/
特記事項:決算情報、会社基礎情報は平成21年3月期決算広告 (PDF) より。
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日本トランスオーシャン航空株式会社(にほんトランスオーシャンこうくう、Japan Transocean Air Co.,Ltd.)は、日本航空会社である。

概要[編集]

日本航空 (JAL) グループの一企業で、日本航空株式会社沖縄県等が株主第三セクター企業である。航空連合ワンワールド」に加盟する。

1958年那覇先島諸島宮古石垣の各空港を結ぶ[2]琉球航空運輸株式会社が米軍施政権下におかれた沖縄県で設立された。1967年、琉球航空に日本航空が出資し南西航空株式会社が設立された[3]。南西航空は設立時に離島6路線を加え[4]、以後、沖縄本島の那覇空港から離島を結ぶ路線を中心に運航する。1993年、現・商号に変更。

職種[編集]

  • 総合職業務企画系事務系
  • 総合職業務企画系技術系
  • 総合職整備系  日本航空グループの運航整備、整備も受託している。
  • 運航乗務員
  • 客室乗務員

沿革[編集]

南西航空 (SWAL) 時代[編集]

  • 1967年6月20日南西航空株式会社(略称 SWAL)発足。
  • 1967年7月1日CV-240 2機、ビーチH-18ビーチクラフト) 1機の計3機で運航開始。就航路線は那覇 - 石垣線・宮古線・久米島線・南大東線、宮古 - 石垣線、石垣 - 与那国線の6路線。コールサインは「NANSEI(ナンセイ)」。
  • 1967年12月:ビーチH-18 退役(日本航空へ返還、機種はCV-240のみに)。
  • 1968年6月8日YS-11 就航(当初の就航路線は那覇 - 石垣線・宮古線)。「ゆうな」「ばしょう」「あだん」の3機。
  • 1968年12月:CV-240 退役(日本航空へ返還、機種はYS-11のみとなる)。
  • 1972年5月15日本土復帰により、日本航空法が適用される。
  • 1973年7月:運輸相から定期航空運送事業の免許を取得。
  • 1973年12月:DHC-6 就航。与那国空港が航空法適用により滑走路が800mでの供用開始となったため、同空港唯一の路線だった石垣線にこれまでのYS-11に替わって就航。
  • 1974年7月26日:(旧)多良間空港開港により、宮古 - 多良間 - 石垣線 開設。
  • 1974年8月:南大東空港が国の航空法適用により滑走路が800mでの供用開始となり、DHC-6のみの運航となる。
  • 1975年7月20日沖縄国際海洋博覧会開催に合わせ伊江島空港が開港、同時に那覇 - 伊江島線 就航(全日本空輸と同時、使用機種 YS-11、1976年1月の海洋博覧会終了とともに運休)。
  • 1976年5月20日:波照間空港開港により、石垣 - 波照間線 就航(DHC-6)。
  • 1976年7月24日:那覇 - 伊江島線、DHC-6により運航再開(1977年2月に利用客低迷により運休)。
  • 1976年12月15日:那覇 - 多良間線 就航(DHC-6、1987年2月 廃止)。
  • 1978年6月30日:北大東空港開港により、那覇 - 北大東線 就航(DHC-6)。
  • 1978年7月6日:粟国空港開港により、那覇 - 粟国線 就航(DHC-6)。
  • 1978年7月17日:初のジェット旅客機となるボーイング737-200を導入(同日那覇空港に到着、24日から日本航空の那覇 - 福岡線にウェットリースという形で就航( - 10月15日))。
  • 1978年8月22日:初の沖縄県外路線となる那覇 - 与論線 就航(YS-11)。
  • 1978年12月1日:那覇 - 宮古線にボーイング737-200 投入、本格的な運航開始となる。
  • 1979年5月15日:那覇 - 石垣線にボーイング737-200 投入(石垣空港にとって初のジェット機就航)。
  • 1979年8月10日:那覇 - 沖永良部線 就航(YS-11)。
  • 1980年11月1日:那覇 - 下地線 就航(YS-11、1994年7月22日 休止)。
  • 1980年11月3日:那覇 - 沖永良部線を与論経由に変更(1987年11月、与論 - 沖永良部 間 廃止)。
  • 1982年8月26日:那覇発石垣行きの611便(ボーイング737-200、機体記号 JA8444)が石垣空港でオーバーラン事故が発生。
  • 1985年11月23日:のちに子会社となる琉球エアーコミューター (RAC) 設立。
  • 1986年4月:初の旅行商品となる「スワルプラン」(現社名変更後はJ-TAP)発売開始。
  • 1986年11月1日:初の本格的な沖縄県外路線(本土路線)となる那覇 - 松山線 就航(ボーイング737-200)。
  • 1987年2月12日:与那国空港の滑走路が1,500mに延長に伴い、石垣 - 与那国線にDHC-6に代わってYS-11が再投入。
  • 1987年2月15日:SWAL専用の那覇空港国内線第2ターミナルビルが旧国際ターミナルビル跡に移転。
  • 1988年3月11日:那覇 - 岡山線 開設(松山線に次ぐ2路線目の本土路線)。
  • 1989年7月22日:那覇空港以外では初の県外路線となる東京/羽田 - 宮古線(直行便) 就航(ボーイング737-200)。
  • 1990年7月21日:東京/羽田・那覇 - 宮古線にボーイング767-300が日本航空 (JAL) からのウェットリースという形で投入(8月31日までの夏季限定、以降毎年7月後半から8月に投入)。
  • 1991年6月1日:那覇 - 小松線 就航(ボーイング737-200)。
  • 1991年10月28日:初の国外へのチャーター便となる那覇 - ソウル/金浦線が運航(台風接近により前日27日に岡山経由で運航)。
  • 1992年4月24日:那覇 - 名古屋線をJALから一部移管(1993年1月から完全移管、1995年5月10日に再びJALに移管。2009年2月から石垣発名古屋/中部行きの経由便として運航再開)、初の沖縄県を発着しない路線となる名古屋 - 山形線を就航(1995年5月10日にJALに移管)。またボーイング767-300をこの年に限り1年間JALからリースで投入( - 1993年4月7日、5月中旬からはSWAL塗装での運航)。
  • 1992年11月16日:DHC-6就航路線 全路線を子会社の琉球エアーコミューターに移管(移管対象路線:那覇 - 南大東線・北大東線・粟国線、宮古 - 多良間 - 石垣線、石垣 - 波照間線)。
  • 1993年4月8日:これまでのボーイング767-300に替わり、ボーイング767-200が投入( - 1995年、JALからのリース、塗装が現社名塗装となる)。
  • 1993年4月22日:那覇 - 鹿児島線 就航(1970年代から検討してようやく実現したが2001年3月で運休、2006年2月からJALで運航再開するも2007年3月で運休)。

日本トランスオーシャン航空 (JTA) 時代[編集]

社名変更当時の塗装機
  • 1993年7月1日:南西航空株式会社から現社名の日本トランスオーシャン航空株式会社(略称 JTA)[5]に社名変更。
  • 1993年7月21日:現社名に変更後初の路線開設となる東京/羽田 - 石垣線 就航(ボーイング737-200、石垣空港にとって初の本土直行便となる。ただし石垣発東京/羽田行きは給油のため宮古経由の運航)。
  • 1994年7月22日:最新機種のボーイング737-400を導入。那覇 - 宮古線に投入(以後各路線に投入)。
  • 1994年9月4日:大阪/関西 - 石垣線 就航(石垣発大阪/関西行きは、給油のため宮古経由の運航)。
  • 1995年4月:ボーイング737-400のJALへのウェットリース開始(同社が同機種を導入したため)。
  • 1996年9月20日日本アジア航空 (JAA) とのウェットリースによる石垣 - 台北/桃園線のチャーターフライト運航。
  • 1997年4月15日:那覇 - 与論線を子会社の琉球エアーコミューターに移管(同社の最新機種DHC-8-Q100導入に伴うもの、機材もYS-11から変更)。
  • 1997年7月18日:久米島空港の滑走路が2,000mへ延長されジェット化に伴い、那覇 - 久米島線がこれまでのYS-11に代わって同空港初のジェット旅客機となるボーイング737-200での運航となる。また同時に東京/羽田 - 久米島線 就航( - 9月、以降1998年 - 2006年までは6月 - 9月、2007年以降は7月中旬 - 9月の季節限定運航となる。また2007年以降は久米島発は那覇経由となる)。
  • 1997年8月1日:東京/羽田 - 那覇線 就航(当社初の国内幹線路線の就航、最終便のみだが10月 - 翌年5月には那覇発のみ午前便が増便)。
  • 1998年10月1日:那覇 - 高知線 就航(松山線と交互で週3日の運航、2009年2月で運休)。
  • 1999年5月26日:那覇空港国内線ターミナルビルが現在地に移転・供用開始。これにより国内線ターミナルビルが統合され、これまで別ビルだったJALや全日空 (ANA) グループ、日本エアシステム (JAS・のちにJALに統合)との乗換えが便利になる。
  • 1999年7月1日:大阪/関西 - 那覇線 就航。
  • 1999年7月15日:YS-11が与那国空港のジェット化に伴い退役。
  • 1999年7月16日:与那国空港のジェット化に伴い、石垣 - 与那国線がこれまでのYS-11に替わって同空港初のジェット旅客機となるボーイング737-200での運航となる。
  • 2001年4月1日:福岡 - 那覇線 就航(JALの一部を移管)。那覇 - 福島線をJALから移管・就航(2009年2月で運休)。
  • 2002年2月9日:当社初のジェット旅客機であるボーイング737-200が退役(以降機種はボーイング737-400のみとなる)。
  • 2002年7月16日:那覇 - 富山線 就航(以後2005年まで7月中旬 - 8月の夏季限定運航)。
  • 2002年10月:持株会社日本航空システム(のちに日本航空に社名変更後、日本航空インターナショナルに吸収合併)発足に伴い、当社は日本航空インターナショナル(現・日本航空)の子会社となる。
  • 2003年1月:ロゴ・航空機塗装デザインを変更(JALにあわせて"JTAノ"ロゴに。変更初号機就航は同年2月より)。
  • 2003年7月17日:大阪/伊丹 - 石垣線 就航。同時に石垣発大阪/伊丹行きが宮古経由となるため宮古→大阪/伊丹線(宮古発の片道のみ)も就航。それに伴い石垣発大阪/関西行きの経由地が那覇空港となる。(いずれも2007年3月で運休、ただし石垣発大阪/関西行きの那覇経由は6月まで継続)。
  • 2006年3月16日:那覇 - 北九州線 就航(2010年5月5日で運休)。
  • 2006年10月:一部機材にクラスJを設定。
  • 2007年4月1日:日本トランスオーシャン航空、日本航空インターナショナル、日本アジア航空JALウェイズJALエクスプレスジェイ・エアが『ワンワールド』に正式加盟・サービス開始。
  • 2007年7月1日:神戸 - 那覇線(JAL便の一部を移管)、神戸 - 石垣線(石垣発神戸行きは那覇経由、これにより石垣発大阪/関西行きの経由地が那覇空港から再び宮古空港となる)を就航。
  • 2008年7月1日:神戸 - 那覇線を全便JALより移管(一部はJAL機材・乗務員によるJTA便としてウェットリース運航)。東京/羽田 - 那覇線 深夜便運休。
  • 2009年2月1日:名古屋/中部 - 石垣線 就航(石垣発名古屋/中部行きは那覇経由、これにより那覇発のみだが那覇 - 名古屋/中部線が14年ぶりに運航再開(中部国際空港行きは初))、那覇 - 松山線が毎日運航再開(高知線 運休に伴うもの)。
  • 2010年5月31日:神戸 - 那覇線、神戸 - 石垣線 運休(これにより石垣発大阪/関西行きの経由地が宮古空港から再び那覇空港となる)。
  • 2010年10月30日:前身の南西航空時代に初の沖縄県外定期路線として就航した那覇 - 松山線が運休。
  • 2010年10月31日:福岡 - 那覇線の全便をJALより移管(ただし一部臨時便としてJALが運航する場合あり)。
  • 2011年3月27日:名古屋/中部 - 那覇線が16年ぶりに全便JALより再移管され運航再開(那覇発は石垣発の経由地として2009年2月から運航再開しているが、逆の名古屋/中部発那覇行きは初運航)。
  • 2011年7月:航空機塗装デザインを変更(変更初号機就航は同年7月中旬より)[6]
  • 2012年3月24日:名古屋/中部 - 石垣線 運休。(この路線は、ソラシドエア運航那覇経由便により継続運航中)
  • 2012年7月13日:大阪/関西 - 那覇線の一部をJALより移管(那覇発は石垣発便の経由地として運航している)。
  • 2013年1月8日:石垣 - 与那国線 運休(代替として琉球エアーコミューター便が増便)[7](運休後も同年2月29日から3月17日までの間、金・日曜に2往復4便を運航[8]
  • 2013年3月7日:石垣発着便を石垣空港から南ぬ島石垣空港に変更。それに伴い石垣発の東京/羽田線・大阪/関西線を直行化。
  • 2014年3月機材刷新計画で現在のB737-400からB737-800に移行すると発表した。
  • 2016年1月21日:JTAの次期新機材となるB737-800初号機を北米ボーイング・フィールドのデリバリーセンターで受領した。
  • 2016年2月10日:B737-800初号機就航。

就航路線[編集]

2014年現在の就航路線[編集]

かつて運航された路線[編集]

グループ会社に移管した路線も含む

機材[編集]

日本トランスオーシャン航空フリート
機材 機材数 発注 座席数
(エコノミー)
備考
ボーイング737 -400 11 0 156 2017年までに引退し、ボーイング737-800によって置き換えられる [9]
ボーイング737-800 3[10] 15[11] TBA 10機のオプションを含み、 5機がでそれぞれが2016年、 2017年、2018年にデリバリーされる[9]
合計 13 15

2017年1月現在

現在の機材[編集]

ランディング中のボーイング737-400

保有機材

  • ボーイング737-800 (3機保有)
    JTAの新主力機材となるB737長胴タイプで2014年3月27日に12機発注することを決定したと発表。2016年1月24日、米国で受領した初号機が太平洋渡洋のフェリーフライトを経て那覇空港に到着。順次B737-800型機を受領、同年2月10日より福岡-那覇線、那覇-宮古線で運航開始。本機材の導入に伴い、ボーイング737-400は順次退役となる。
    JTAの400型機は145席または150席の所、800型機ではクラスJ 20席・普通席 145席の165席仕様である。なお、日本航空で運航しているボーイング737-800とは一部仕様が異なる点が存在する。JALでは性能向上プログラム(PIP)を適用した機体は同社が保有する50機のうち1機[12]のみであるが、JTA導入機は全機がPIP適用となる。また、内装はJAL導入機では採用されなかった「ボーイング・スカイ・インテリア」(BSI)仕様となり同社導入機よりも荷物棚が大きくなるなどの改良がなされる。そして、導入当初から座席はJAL SKY NEXT仕様となる。クラスJのヘッドレストカバーは沖縄の伝統工芸である紅型デザインとなる。JAL SKY Wi-Fiも導入されるがJALのボーイング737-800とWi-Fiの仕様が異なり、同社では米gogo社の「Kuバンド」を採用しているがJTAでは米gogo社の新しい方式である「2Kuバンド」を採用するため2017年からサービス開始となる[13]
  • ボーイング737-400 (11機保有)
    1994年から2002年にかけて15機導入した。導入中に生産終了したため、海外航空会社で運航されていた中古機体が導入された。後に、それらの機体を置き換えるため、2009年から2011年にかけて旧JALエクスプレスで運航されていた8機移管された。2010年より退役が始まった。合計23機が在籍したが、同時期に全機揃ったことはない[14]
    主に本土 - 那覇線に使用されるクラスJ 20席・普通席 125席の145席仕様と、主に沖縄県内路線に使用される普通席のみ150席仕様の2タイプが存在している。社名変更後の導入であることから、南西航空塗装の737-400は存在しなかったが、新石垣空港の開港を記念し2013年3月5日よりJA8999が「SWALジェット」として南西航空時代の塗装を施されることになった[15]。2011年7月にJA8524が新しい鶴丸塗装(後述)に変更され、同年7月19日より就航開始した。JEXで運航されていた機体は、社名表記もJAL EXPRESSままの状態で運用され続けていたが、順次JTAの鶴丸塗装(JA8999はSWALジェット)への塗り替えが進められ、現在は全ての機体の塗装変更が完了した。中にはJALとJEXが合併した後も、JEXの塗装のまま運航され続けてきた機体も存在していた。
    就航当初は「スカイマンタ」という愛称が付けられていた。

発注する可能性がある機材

  • ボーイング737MAX-8
    前述の通り、JTAはボーイング737-800を12機発注することになっているが、JTAとボーイングとの契約にはボーイング737-800からボーイング737MAX-8に調達機材を一部変更することが可能な条項が含まれている。JTAがボーイング737MAX-8への調達機材変更を行った場合は、日本国内の航空会社で初めて737MAXを採用することとなる。なお、調達機材の変更が可能なのは導入予定の12機のうち後半の6機が対象となっており、前半の6機は現行型であるボーイング737-800で引き渡しとなることが確定している[16][17]

かつての機材[編集]

YS-11を導入するまでの機材(いずれもJALからのリース)

YS-11導入以降の使用機材

  • YS-11(1968年 - 1999年、最盛期の1970年代後半に8機保有) : 設立当時から宮古・石垣 両空港がジェット化するまで主力機、以降久米島空港がジェット化するまで準主力機として運航された。最後まで残ったJA8794「ふくぎ」はキューバハイジャックに遭遇後、南西航空に移籍してきた経歴を持つ。また、JA8795「でいご」は僅か6年あまりの短期間で東亜国内航空に転出したため、8機が全て揃った期間は4年弱しかなかった。
  • デ・ハビランド・カナダ DHC-6(ツインオッター・1973年 - 2002年、4機) : 本土復帰後の日本の航空法適用によりYS-11が就航不可能な空港に対応するために導入、以後滑走路が短い小さな離島空港に就航。1992年に琉球エアーコミューター(RAC)に移管した後も整備は引き続き南西航空 → 日本トランスオーシャン航空が行っていた。
  • ボーイング737-200(1978年 - 2002年、11機導入) : ジェット化から現行のボーイング737-400を導入するまでの主力機として運航。製造ラインが閉じる1988年までに8機導入したが増える需要に追い付かず、1993年までに中古機を3機購入した。1号機のJA8443は導入直後の1978年夏季に日本航空の福岡 - 那覇線に就航。同年12月より那覇 - 宮古線、翌1979年に那覇 - 石垣線に就航しYS-11路線をジェット化したほか、1986年に初の本土路線となる那覇 - 松山線にも就航した。1996年には「スカイシーサー」の愛称が付され、この時点で稼動中の9機それぞれに「バンザイシーサー」、「はずかシーサー」など、異なったペットネームとイラストが与えられた[18]

JALからのリース機材

  • ボーイング767-200(1992年 - 1995年) : 那覇 - 名古屋 - 山形線 就航時に使用され、機体塗装もJTA自社のものであった。

なお、日本トランスオーシャン航空が新造機で受領したボーイング社製航空機の顧客番号(カスタマーコード)はQ3で、航空機の形式名は737-2Q3、737-4Q3となる。

機材削減[編集]

  • JTAは2012年1月17日、16機体制から2013年1月までに4機削減し、12機体制とすると発表した。格安航空会社の沖縄進出を前にした構造改革の一環。これに伴い、2012年3月に那覇 - 久米島線を減便、名古屋/中部 - 石垣線を運休した。また2013年1月には石垣 - 与那国線を減便。那覇 - 久米島線・石垣 - 与那国線は琉球エアーコミューターの増便で対応する[19]

整備を受託しているJALグループ他社、官公庁機材[編集]

ボンバルディア・エアロスペース社機材

エンブラエル社機材

機内サービス[編集]

おおむね日本航空のサービス基準に従うが、日本航空の便とは以下の点で異なる。

  • 独自の機内誌『Coralway』(隔月刊)を用意している。内容は沖縄に特化しており無料で持ち帰り可。この他、日本航空の『SKYWARD』も置いている。
  • オーディオサービスは、本土 - 沖縄線に限り実施し、沖縄県内便では提供されない。また一部チャンネルは放送されない。JTA独自のサービスで沖縄に関係あるミュージシャンのチャンネルが設定されているのも特徴。
  • 本土 - 沖縄線に限りオリオンビールを販売。
  • 機内販売の商品は独自のものとなる。販売品は『Coralway』で紹介している。

機体塗装[編集]

南西航空時代は独自のデザインを採用していた時期もあったが、社名変更後は基本的にJALデザインと同じである。

SWAL時代[編集]

設立当時
当時のJALのスタイルに似た青と赤のラインと「南西航空」の文字が施され、操縦席窓の横と垂直尾翼に鳥が輪を作り(鶴丸ではない)中に斜体字で「SWAL」と表記されたロゴマークが描かれた。
2代目
JALの塗装とはまったく異なり、オレンジを基調としたラインと「南西航空 SOWTHWEST AIR LINES」の文字が施され、垂直尾翼はオレンジ色の縁どりとその中心に設立当時と同じロゴマークが描かれた。JTAへ社名変更後も一部の機体は尾翼のロゴマークを消したうえでしばらく用いられていた。現在新石垣空港の開港を記念してJA8999が「SWALジェット」として南西航空時代の復刻塗装が施されている。

JTA時代[編集]

3代目
当時のJALと同じくランドーアソシエイツによる灰色と赤色のブロックを組み合わせたデザインである。ただし「JAL」ではなく「JTA」(Tの間に赤いブロックが入り、Aの横棒がない)に置き換えられ、垂直尾翼は鶴丸ではなく赤を基調とし、中間部から下に横方向に灰色のラインを横方向に配し、付け根は灰色となるデザインであった。
4代目
当時のJALで採用されていた「The Arc of the Sun(太陽のアーク)」によるデザインである。ただし「JAL」ではなく「JTA」(Aの横棒がなくノが入る)のロゴが配置され、「JAPAN TRANSOCEAN AIR」とその横に表記されていた。
5代目
JALの鶴丸採用によるデザインであり、白を基調に斜体黒字で「JAPAN TRANSOCEAN AIR」と表記され、尾翼に鶴丸が配される。ただし鶴丸の文字は「JAL」である。その他、機首部分には「うちなーの翼」のロゴ表記が、乗降扉周りにはデイゴのシルエットがそれぞれ配されている。

主な旅行商品[編集]

  • J-TAP (ジェイ・タップ、南西航空だった頃は「スワルプラン」で社名変更と同時に現ブランド名となった)

JALグループ航空事業者[編集]

◎JALグループは国際航空連合(アライアンス)「ワンワールド」に加盟している。但し、※のある航空会社は経営施策上、ワンワールドには加盟していない。また、●の航空会社は「運送の共同引受」により全便をJAL便として運航する(2016年10月30日現在)。

関連会社(航空事業者以外)[編集]

イメージガール[編集]

沖縄県出身者が選ばれている。

脚注[編集]

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  1. ^ 日本トランスオーシャン航空株式会社 - JALグループ会社情報 (JAL)
  2. ^ この先島定期路線は、1956年に沖縄旅行社が民航空運公司とともに開設したものである。那覇空港プロジェクト―那覇空港のうつりかわり 内閣府 沖縄総合事務局
  3. ^ 第58回国会 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第12号 昭和四十三年四月二十五日(木曜日)
  4. ^ 那覇空港の歴史 那覇港湾・空港整備事務所
  5. ^ 全日本トラック協会とは関係ない。
  6. ^ JTA、新デザイン機就航 〜うちなーの翼、日本の翼〜 (PDF) 日本トランスオーシャン航空プレスリリース 2011年7月4日
  7. ^ JTA、あす与那国路線から撤退 RAC単独運航へ 八重山毎日新聞 2013年1月6日付、2014年5月27日閲覧
  8. ^ JTAがジェット便石垣与那国線で3月17日まで 八重山毎日新聞 2013年2月24日付、2014年5月27日閲覧
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  10. ^ Japan Transocean - First B737-8Q3”. Airliners.net. 201-06-08閲覧。
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  13. ^ 米Gogo、機内インターネット接続技術「2Ku」をJTA新規導入機に
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  15. ^ 新石垣空港にSWALジェット就航!!~懐かしい南西航空塗装の機体が復活~ (PDF) 日本トランスオーシャン航空プレスリリース 2013年2月15日
  16. ^ JTA、ボーイング737-800型機の導入方針を決定 日本トランスオーシャン航空 2014年3月27日付
  17. ^ ボーイング次世代737型機、日本トランスオーシャン航空が12機を導入へ 〜 737-400型機の後継機として737-800型機を選定 〜 ボーイング・ジャパン 2014年3月27日付
  18. ^ 伊藤久巳「日本トランスオーシャン航空B737-200、最後の咆哮!」、『月刊エアライン』、イカロス出版、2002年4月、 72 - 77頁。
  19. ^ 来年1月までに4機減 JTAが12機体制へ 琉球新報 2012年1月18日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]