南方貨物線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
Japanese National Railway logo.svg 南方貨物線
建設途中で放棄された高架橋
建設途中で放棄された高架橋(2012年4月)
概要
現況 未開業
起終点 起点:八田貨物駅(仮称)
終点:大府駅
運営
所有者 Japanese National Railway logo.svg 日本国有鉄道
路線諸元
路線総延長 約 26 km
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 直流1,500 V 架空電車線方式
テンプレートを表示

南方貨物線(なんぽうかもつせん)とは、日本国有鉄道(国鉄)が愛知県名古屋市名古屋貨物ターミナル駅1980年開設)から笠寺駅を結び、笠寺駅から東海道本線と線路別複々線で並行し、同県大府市の東海道本線大府駅に至る予定だった、東海道本線の貨物支線(未成線)である。

概要[編集]

国鉄が貨物輸送においてまだシェアを多く持っていた昭和40年代、東海道本線の名古屋駅周辺において速度の遅い貨物列車旅客列車の妨げになっていたため、別線敷設による複々線化を行って、これを解消するとともに貨客分離を行い、増大する輸送量を増強することを目論むようになった[1][2]。また、名古屋における貨物駅は名古屋駅南方の都心部近くに設けられていた笹島駅であったが、これが手狭になっていたことから、南へ移転する形で「八田貨物駅(仮称、後に名古屋貨物ターミナル駅として開業)」という新駅を開設することにもなった。この両者の目的により、東海道本線のバイパスとして建設されることになったのが、この「南方貨物線」である[1][2]

当初の計画では東海道線(名古屋 - 稲沢枇杷島間及び笠寺 - 岡崎間)・岡多線(岡崎 - 瀬戸市間)・瀬戸線(瀬戸市 - 稲沢・枇杷島間。このうち勝川 - 高蔵寺間では中央線に並行)・関西線笹島信号場 - 名古屋間)とともに中京圏大環状線を形成する予定であった[1]

路線データ[編集]

  • 路線距離:八田貨物駅(仮称) - 大府駅間 約26km
  • 電化区間:全線(直流1500V)
  • 複線区間:全線
  • 三線区間:八田貨物駅(仮称) - 名古屋港線交点(仮称)


歴史[編集]

建設は輸送力の増強が目的であったため、日本鉄道建設公団でなく国鉄自身の手で行われ[1]高度経済成長期1967年(昭和42年)3月に建設を開始した[3][4]

だが、国鉄における貨物シェアがトラックの普及や労使紛争の影響で激減し、貨客混合の複線のままでも充分になったことにより路線の建設意義が薄くなってしまったことや[1][2]、地元から騒音振動公害を懸念して建設反対運動(名古屋新幹線訴訟)が起こったことから、1975年(昭和50年)に工事は事実上凍結された[1][3]。1980年(昭和55年)に工事が再開され[3]、用地買収は100%完了し[4]、その大半が高架橋である路盤も[4]、ほぼ全線の工事(名古屋貨物ターミナル - 笠寺間の高架橋部分12.7km、全体の約90%)は[1][3][4]、用地買収費用を含めて約345億円の工費をかけて完成し[1][3]、未完成部分の路盤わずか約500mを残すのみとなり[4]、完成部分は線路を敷くだけといった状況になっていた[1][4]

しかし1983年(昭和58年)、鉄道貨物輸送の低迷から、国鉄が新規投資を凍結し、工事がストップしてしまった[1][4]。名古屋貨物ターミナル駅は1980年(昭和55年)に開業したものの、その先の南方貨物線が開業しなかったことから、同駅から東海道本線東京方面への貨物列車は稲沢操車場までスイッチバックを強いられ[1]、その結果東京貨物ターミナル駅までの所要時間は当初の予定より約1時間長くなるタイムロスが発生することとなった[3]。また、名古屋貨物ターミナル駅北方には同駅と関西本線四日市方面を連絡する連絡線を敷設し、関西本線と西名古屋港線のデルタ線の形成が計画されていたが、この計画も中止されている。名古屋貨物ターミナル - 大府間の19.5kmは1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化で「処分対象資産」とされ、土地や高架橋の多くが日本国有鉄道清算事業団の所有となった[3]。1992年時点で東海道線名古屋 - 笠寺間を走る貨物列車の数は1日上下各60本ほどであったが、貨客混合の同区間のダイヤは既に過密状態で増発が困難な状況となっていた[3]

その後、1991年(平成3年)2月15日の衆議院連絡委員会では、運輸省(現・国土交通省)の審議官が「南方貨物線を旅客線として活用したい」との意向を示したが、2月20日の記者会見で東海旅客鉄道(JR東海)社長の須田寛は「議事録を精読したが『JR東海に売る』とまで踏み込んだ答弁内容ではなかったと認識している。旅客線として活用しても採算が合わない見込みが強く、活用するとなれば(この時点で)さらに百数十億円の投資が必要であり、とても当社の手におえる代物ではない。買い取る意思は全くない」と述べ、運営に関わりを持つことを否定した[5]

1992年(平成4年)1月10日、運輸政策審議会答申12号(名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について)にて、東海道本線の混雑緩和を目的に、西名古屋港線とともに[6]、旅客線としての開業を行ってはどうかという提案が、運輸省事務次官の中村徹から出され[7]、「鉄道貨物輸送力増強の必要性、旅客輸送動向などを勘案して検討する」とされた[8]。しかし、名古屋駅 - 熱田駅間を、名古屋地区第二のターミナルである金山駅を経由せずに迂回している上、同区間の当時の混雑率(約135%)では意義は薄いとされ、見送られた[1][9]。西名古屋港線の旅客化工事の際には、南方貨物線が分岐できる構造となっていた高架橋が、その阻害となったため、該当部分が撤去された[1]

この頃には、トラック輸送業界の人手不足や大気汚染交通渋滞による遅配などから、モーダルシフトが進み、特に長距離の貨物輸送にて鉄道貨物輸送が見直されてきており[10]日本放送協会(NHK)の解説委員だった藤吉洋一郎は、1992年に放送されたNHKの番組で「当初計画通り、南方貨物線を整備する必要がある。さらに、東京 - 大阪間に貨物専用線を新たに敷くと、2兆円を超す経費が掛かるが、貨物列車がその分増発でき、トラックからの輸送転換ができる」として、南方貨物線の建設再開の必要性を訴えていた[11]。開業による所要時間短縮で東京方面まで本来より約1時間のタイムロスが解消できることへの期待からも[3]、1992年6月5日に名古屋商工会議所ホールで開かれた鉄道貨物協会名古屋支部の通常総会で早期開業を国に働き掛ける決議がなされ[12]西濃運輸会長だった田口利夫も「何とか完成を」関係機関への働き掛けを強めるなど、陸運業界を中心に開業への期待が高まっていた[3]。課題である建設費の資金難については、幹事会でも「トラック運送業界や愛知県・名古屋市など関係自治体、JR東海や日本貨物鉄道(JR貨物)などで第三セクターを設立するしかない」と意見こそ一致していたが[10][3]、資金負担を巡って思うように計画が進まず、開業後貨物列車の運行で南方貨物線の使用が予想されたJR貨物も「開業に必要な建設費は我々ではとても負担できない」、土地や高架橋を保有する日本国有鉄道清算事業団(現・鉄道建設・運輸施設整備支援機構)も「資産を処分するのが役割で、建設主体になるのはあり得ない」という反応だった[3]

その後も、西名古屋港線の金城ふ頭駅から海底トンネルで空港まで結ぶ案とともに、笠寺駅で接続する名古屋臨海鉄道東港線南港線経由で名鉄常滑線と接続し、常滑市沖に建設された中部国際空港(セントレア)への空港連絡鉄道として活用する案も出されたが[10][4]2000年(平成12年)に国鉄清算事業本部が改めて、JR東海・JR貨物両社に引き受けを打診するも拒否され、翌2001年(平成13年)5月には、愛知県・名古屋市両社にも活用案が断られた[13][14]。結局、活用方法が見つからなかったため、景観の改善や老朽化による崩壊の危険性から2002年(平成14年)より[1][2]、笠寺駅や大高駅周辺などJR東海に移管された約8kmを除く未開通区間の高架橋約12km分を解体費用約300億円をかけて撤去し、更地にして土地を一般競争入札で売却することが決定した[13][14]。3月27日に成立した国の新年度当初予算で、2002年度分の撤去費用として46億円が計上されたが、バブル経済崩壊による地価下落の影響、幅10mほどの細長い土地形状という事情から、撤去費との差額分にも国費が負担されることとなった[13]。結局、河川上に架かった橋梁の撤去費用を除いても、約13kmの高架橋を更地化するのに、約200億円の経費が必要になったのに対し、売却で回収できる金額は約40億円程度に留まることになった[15]

南方貨物線の建設中止について、名古屋新幹線訴訟の弁護団は「南方貨物線の撤去はそれ自体朗報であった」「これを廃線に追い込んだことは周辺住民の生活環境保全にプラスである」としている[16]

2010年(平成22年)現在、高架橋の撤去はその莫大な撤去費用故にあまり進んでいないが[2]、貸借関係のない部分から先に行われており、高架下を事務所駐車場等に賃貸している部分はそのまま残っている場合が多い。また、大高駅付近のように現在の東海道本線の高架橋と一体で建設されている部分については高架橋の撤去はされず、橋脚の耐震補強が行われている。ただし施行は東海旅客鉄道〈JR東海〉ではなく所有者の鉄道建設・運輸施設整備支援機構による。

ルート[編集]

計画は、当時貨物の操車場が設けられていた稲沢駅の手前より笹島駅まで完成していた、事実上東海道本線の複々線である貨物用別線「稲沢線」と、笹島駅から南に伸びて西名古屋港駅までの間を結び、稲沢線と一体になっていた貨物支線「西名古屋港線」を活用する形であった[1]

当時単線非電化であった西名古屋港線を複線化電化高架化して一部スラブ軌道化し[注釈 1]、西名古屋港線の途中に設けられる名古屋貨物ターミナル駅の南より分岐して[1]、左カーブして東進、名古屋港駅へ向かう貨物支線(名古屋港線)と立体交差し[注釈 2]、そして堀川付近からスラブ軌道の高架で東海道新幹線の西側を並行[1]して名古屋鉄道(名鉄)常滑線を跨ぎ、さらに右カーブして東海道新幹線を2度アンダークロスし、笠寺駅の手前で東海道本線に合流し、そこから先は東海道本線と並行する線路別複々線化を行い、ルート上にある大高駅付近を高架化した上で[1]、大府駅に至るものであった[1][2]

高架線の現況[編集]

大高駅 - 笠寺駅間では東海道本線の天白川橋梁が老朽化したため、東海道本線の線路を南方貨物線側に振り替えているが速度制限はかからず、120km/hにて走行できる[1]。また、大府駅南方の東海道本線および武豊線それぞれにおける、旅客線と貨物線の分岐と立体交差は南方貨物線計画の一環として建設され、この部分は本来の目的通りに使用されている[17]

また、西名古屋港線の中島駅からしばらく高架橋に沿って歩くと、上り線は南方貨物線当時に建設されたものを利用した部分があるのが分かる。単線高架橋の並列となっており、上り線は鉄板で耐震補強してあるが、下り線は当初から耐震基準に沿った高架橋のため、鉄板がないためであるが、これは西名古屋港線に乗車したままでは分からない。また、西名古屋港線と南方貨物線が分岐する予定だった地点には中部鋼鈑の工場敷地の一部と隣地に橋脚が残されている。西名古屋港線の車窓から、中部鋼鈑の工場越しにそのまま残された高架橋が、近隣工場の立体駐車場として利用されているのが分かる。

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ 名古屋貨物ターミナル駅北方に西名古屋港線名古屋貨物ターミナル駅方面⇔関西本線四日市方面の連絡線も設置し、関西本線と西名古屋港線のデルタ線を形成する計画だった。
  2. ^ 名古屋貨物ターミナル方面⇔名古屋港駅方面への連絡線も設置する予定だった。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 川島 1996, pp. 167-174 川島 2003, pp. 202-209
  2. ^ a b c d e f 川島 2010, pp. 316-318
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 『朝日新聞』1992年7月19日朝刊7面「『無用の長物』南方貨物線生かせ 陸運界、完成働きかけ【名古屋】」
  4. ^ a b c d e f g h 読売新聞』1996年1月5日中部朝刊1面「中部新空港 鉄道アクセス新ルート浮上 南方貨物線→名古屋臨海鉄道→名鉄常滑線」
  5. ^ 中日新聞』1991年2月21日朝刊1面「買い取る意思ない JR東海社長 南方貨物線で表明」
  6. ^ 2004年名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線(通称「あおなみ線」)として旅客開業した。
  7. ^ 『中日新聞』1992年1月11日朝刊3面「南方貨物線を旅客線に 中村運輸次官 活用の意向を示す」
  8. ^ 『中日新聞』1993年3月6日朝刊東海総合面19面「南方貨物線 完成急げ 経団連物流部会 地元財界と懇談」
  9. ^ 『中日新聞』1992年6月4日朝刊東海総合面19面「名古屋圏交通網整備推進協の初会合 上飯田連絡線 実務者級で検討 地下鉄4号、上飯田連絡線 次期路線で準備」
  10. ^ a b c 『中日新聞』1993年1月26日朝刊東海総合面15面「東海TODAY/実現高まる中部新空港 西名古屋港線 旅客線化へ機運 南方貨物線 アクセスの手段に 沿線開発計画も 幹事会組織 『問題は資金』」
  11. ^ 読売新聞』1995年9月27日大阪朝刊特集面23面「モーダルシフト・フォーラム95 社会と調和した物流を=特集」
  12. ^ 『中日新聞』1992年6月5日朝刊地域経済面11面「『旧南方線の早期開通を』 鉄道貨物協会名支部が総会」
  13. ^ a b c 『中日新聞』2002年3月30日夕刊11面「建設345億+撤去300億 名古屋南部 - 大府南方貨物線の未開通20キロ 凍結20年再び国費 新年度投入」
  14. ^ a b 『朝日新聞』2002年3月28日朝刊社会面35面「345億円投入、撤去へ300億円 旧国鉄がムダ35年【名古屋】」
  15. ^ 『読売新聞』2002年11月8日東京朝刊2面「旧国鉄用地、売却完了時200億円の赤字 有効な処分方法求める/検査員試算」
  16. ^ 第32回総会議案書”. 全国公害弁護団連絡会議 (2003年3月21日). 2017年10月19日閲覧。
    名古屋新幹線公害訴訟(和解後)の報告”. 名古屋新幹線公害訴訟弁護団(全国公害弁護団連絡会議) (2003年3月21日). 2017年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月19日閲覧。
    第33回総会議案書”. 全国公害弁護団連絡会議 (2004年3月21日). 2017年10月19日閲覧。
    名古屋新幹線公害訴訟(和解後)の報告”. 名古屋新幹線公害訴訟弁護団(全国公害弁護団連絡会議) (2004年3月21日). 2017年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月19日閲覧。
  17. ^ 祖田圭介「国鉄 - JR東海 名古屋圏の線路配線の興味」、『鉄道ピクトリアル』第689号、電気車研究会、2000年8月、 45頁。

参考文献[編集]

  1. ^ 川島 1996, pp. 167-174.
  2. ^ 川島 2003, pp. 202-209.
  3. ^ 川島 2010, pp. 316-318.