千貫樋

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千貫樋 (せんがんどい)は、静岡県三島市静岡県駿東郡清水町をまたぐ鉄筋コンクリート製のである。

概要[編集]

楽寿園小浜池の湧水を、清水町に灌漑用水として送水するために、境川の上に架設されている[1]。全長42.7m、幅1.9m、深さ0.45mで、地上より4.2mの高さを流れる[1]。稲作期が終わると、三島市加屋町内に設置されている水門によりせき止められるため水は流れない。

創設された経緯については諸説あるが、1555年天文24年)、今川武田北条の三家が和睦(甲相駿三国同盟)した際に、北条氏康から今川氏真に聟引出物として、小浜池から長堤(蓮沼川)を築き、駿河の今川領に送水させたというのが一般的な説である[1][2]

この疏水により、駿河側である現在の駿東郡清水町の玉川、伏見、八幡、長沢、柿田、新宿の田畑約130haが多大な恩恵を受けるに至った。

千貫樋の維持管理費は上記新宿村を除く村々が収入に応じた分金額を負担した。新宿村も分担するようになったのは明治時代に入ってからである[2]

江戸時代の享保年間に町奉行で地方御用を兼任した大岡忠相配下の役人である田中丘隅が修理のために招かれたという記録が残っている。

1923年大正12年)には関東大震災で崩落。その後の復興で鉄筋コンクリートを使用し、従来のものとほぼ同規模で再建されて現在に至る[1]

創設にまつわる異説[編集]

  • 応仁1467年1469年)に造られたと伝えられてもいる、材質は同じく木製だったとのこと。
  • 文明元年(1469年)に木樋の千貫樋が完成した。

名称の由来(説)[編集]

  • 作る技術が千に値する[2][3]
  • 建設費に千貫を費やした[2][3]
  • 5つの地域で収穫される米が千貫に相当する[2][3]

現状と見学[編集]

以前は静岡県道145号沼津三島線を歩けば平行する千貫樋を見ることができたが、現在は建物によって遮られている。再建から80年余りが経過し、漏水や鉄筋の腐食によるコンクリートの崩落が目立つ。

千貫樋と平行して架かる境川橋から望めるが、旧道の加屋町バス停及び千貫樋バス停間のタバコ自動販売機正面の路地を入り、加屋町町内会倉庫の裏へ回ると説明文と全貌が見られる。

千貫樋に因む名称[編集]

蓮沼川(宮さんの川)の経路[編集]

楽寿園三島市泉町(宮さんの川通り) ― 広小路町 ― 西本町 ― 加屋町 ― 千貫樋 ― 駿東郡清水町新宿 ― 新宿児童公園 ― 伏見 ― 黄瀬川

脚注・出典[編集]

  1. ^ a b c d 出典 : 東部地域施設概要 千貫樋 - 静岡県、2015年3月閲覧
  2. ^ a b c d e 出典 : 遠藤秀男・辻真澄『富士・富士宮・沼津・三島・駿東 歴史散歩』静岡新聞社、1987年
  3. ^ a b c 出典 : 市の紹介 三嶋大社周辺(最下段) - 三島市、2015年3月閲覧
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外部リンク[編集]

座標: 北緯35度6分56.7秒 東経138度54分16.9秒