千歳型航空母艦

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千歳型航空母艦
10/10全力公試中の千代田(1943年12月1日)[1]
10/10全力公試中の千代田(1943年12月1日)[1]
基本情報
種別 航空母艦[2]
建造所 新造:呉海軍工廠[3]
空母改造:佐世保海軍工廠横須賀海軍工廠[3]
運用者  大日本帝国海軍
同型艦 千歳千代田
要目 (改造完成時)
基準排水量 11,190英トン[4]
公試排水量 13,502トン(改造計画時)[5]
13,600トン[3]
千代田 13,647トン[4]
全長 192.500m[4]
水線長 185.5m(改造計画時)[5]
185.93m[3]
千代田 184.650m[4]
全幅 21.50m[6]
水線幅 20.800m[4]
深さ 18.92m(飛行甲板まで)[4]
吃水 7.45m(改造計画時)[5]
公試平均 7.507m(千代田)[4][注釈 1]
飛行甲板 180.00m x 23.0m[4]
エレベーター2基[4]
ボイラー ロ号艦本式缶(空気余熱器付[7])4基[8]
主機関 艦本式タービン(高低圧)2基[8]
11号10型艦本式ディーゼル2基[8]
(フルカン・ギア接続)[9]
推進器 2軸 x 290rpm
直径4.000m、ピッチ3.900m[8]
出力 56,800馬力[4]
速力 29.2ノット(改造計画時)[5] または29.0ノット[3] または28.9ノット[4]
燃料 千歳 2,687トン[10][7][注釈 2]
千代田 2,679トン[10][4]
航続距離 千歳 11,000カイリ / 18ノット[10][4]
千代田 11,810カイリ / 18ノット[10](または改造計画時の値[5])
搭載能力 爆弾:800kg36個、250kg72個、60kg180個、30kg144個(千歳)[7]
魚雷18本(千歳)[7][注釈 3]
飛行機用ガソリン200トン[7]
乗員 785名[11][12] または 967名[4][6]
改造完成時定員 1,084人[13]
兵装 40口径12.7cm連装高角砲4基[4]
25mm3連装機銃10基[4][注釈 4]
搭載機 計画(常用+補用)[4]
零式艦上戦闘機 21+0機
九七式艦上攻撃機 9+0機
合計 30+0機
(うち零戦7機を露天繋止)[12]
搭載艇 11m内火艇2隻、9mカッター2隻、13m特型運貨船2隻[14][15]
レーダー 21号電探 1基[16][17]
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千歳型航空母艦(ちとせがたこうくうぼかん)は、大日本帝国海軍航空母艦千歳型水上機母艦太平洋戦争中に航空母艦に改造したものである。

なお、戦時中の艦艇類別等級別表では瑞鳳型航空母艦として分類されており、千歳型航空母艦は便宜上の呼称である[2]

概要[編集]

1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦で、一気に4隻の空母を失った日本海軍は空母兵力の建て直しを図り、同年6月30日に出された通達「官房機密第8107号」によって、水上機母艦から航空母艦へ改造が決定した[18]。このときに決定したのは本艦型の他に大型優秀客船のあるぜんちな丸ぶらじる丸、シャルンホルスト号の3隻も含まれる[18]。同年9月30日の訓令により同年末から改造に入った[19]

千歳型水上機母艦の計画段階では「必要ニ応ジ航空母艦ニ改造シ得ルコト」という要求があったが[20]、改造にはバルジ装着、格納庫設置、煙突の処理などが必要であり、急速改造に適した設計にするには非常に困難だった[21]。このため基本計画時には主機の力量を考慮したのみで、空母改造計画は先送りになった[21]。1942年時点で改造設計が十分行われていなかったため、工期はおおよそ10ヶ月とされ、実際に約1年を掛けて空母への改造を行い、1943年(昭和18年)末までに千代田、千歳の順で完成した[19]

完成後の千歳型は、龍鳳や瑞鳳に準じた性能をもつ小型空母で、乾舷がやや低い[注釈 5]こと以外はよく似たスタイルをもっていた。なお、1944年秋のレイテ沖海戦に於いて瑞鳳の飛行甲板後端に「づほ」と書かれた航空写真が残っているため、千歳にも「ちと」、千代田にも「ちよ」の文字が書かれていたとも言われているが、それを直接裏付ける写真や文献、証言等は現時点では存在しない。

2隻とも同年6月のマリアナ沖海戦で初陣を飾ったが、同年10月のレイテ沖海戦で両艦とも撃沈された[22]

#日本航空母艦史では「千歳型の空母改造は日本海軍空母部隊の再建を最も必要としたな大戦中期における決戦兵力の造成に大きく寄与し、(以下略)」と評価される[12]

艦型[編集]

上述のように、先に改造された瑞鳳とほぼ同じ要領の平甲板型空母である[5]。ただ飛行甲板の高さは同規模の瑞鳳より1m以上低かった[23]。 また船体に最大幅1mのバルジを装着した。

機関は水上機母艦時と変化はない[23]。煙突は日本海軍空母特有の右舷から下方へ向けるもので、1番高角砲直後にある煙突がボイラー用、3番高角砲直前のそれがディーゼル用の2本となった[22][17]

航空兵装[編集]

飛行甲板は長さ180m、幅は前端13m、後部23m、後端16m[24]、最大幅は23mだった[25][注釈 6]。エレベーターは2基で大きさは前後共に長さ13m、幅12mだった[24]。格納庫は2段[4]、下部格納庫は甲標的格納甲板に設けてあり、この甲板の高さは水面上1mほどしかなかった[5]

航空艤装類としては呉式四型着艦制動装置7基7索、空廠式三型滑走制止装置1基を装備、遮風柵は装備していない[26]

対空兵装[編集]

12.7cm連装高角砲は左右舷に2機ずつの計4基、25mm3連装機銃は左右舷に4基ずつ、艦尾機銃座に2基の計10基を装備した[17]。あ号作戦前には橇式の25mm単装機銃12挺を装備[27]、あ号作戦後に同単装機銃12挺を増備し、単装機銃は計30挺とされる[28][注釈 7]。レイテ沖海戦時には噴進砲も装備した[29]。装備位置は千歳戦闘詳報が正しいとすると左舷は2番高角砲直後、右舷は無線マスト2本を前方へ移動し、4番高角砲直前の無線マスト位置跡とした[29]

電探[編集]

改造完成時には21号電探を前部エレベーター前に昇降式に装備した[16][17]。あ号作戦後に13号電探1基を増備したとされる[28]

防御[編集]

直接防御は有しない。そのため間接防御に力を入れ防水区画や下部区画への交通路などに特に気をつけた[5]。また上述のように下部格納庫は水面上1mほどしかないため、艦尾は隔壁の数を増やして3区画とするなど、格納庫への浸水防止に留意した[5]

同型艦[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ #日本航空母艦史p.88などは5.71mとする。
  2. ^ 阿部安雄「日本海軍航空母艦・水上機母艦要目表」#日本空母物語pp.442-443では2,637トンになっている。
  3. ^ #昭和造船史1pp.780-781の表では千歳に爆弾、魚雷の搭載量は記入されているが、千代田の欄は空白になっている。
  4. ^ #写真日本の軍艦第4巻p.92では機銃(口径X基数)で「25III X 37」となっているが何らかの間違いと思われる。
  5. ^ #写真日本の軍艦第4巻p.92によると公試吃水線から飛行甲板までの高さは瑞鳳の12.8m、龍鳳の12.86mに対し、千歳は11.65m。
  6. ^ #海軍艦艇史3p.323によると中央で24.5m。
  7. ^ #日本空母物語pp.417-418の「あ号作戦前後の対空兵装強化と戦訓改正」による。合計数が合わないがそのままとした。

出典[編集]

  1. ^ #海軍艦艇史3p.191
  2. ^ a b #昭和18年11月~12月内令5巻/昭和18年12月(3)画像22、『| 内令第二千七百八號 | 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス | 昭和十八年十二月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎 | 軍艦、航空母艦瑞鳳型ノ項中「龍鳳」ノ下ニ「、千歳、千代田」ヲ、同大鷹型ノ項中「冲鷹」ノ下二「、神鷹」を加フ | 同水上機母艦ノ部中「、千歳、千代田」ヲ削ル | 駆逐艦、一等初雪型ノ項中「、夕霧」ヲ削ル | (内令提要巻三、三三頁参照) |』
  3. ^ a b c d e #海軍造船技術概要p.295
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r #海軍造船技術概要p.296、千代田の値。
  5. ^ a b c d e f g h i #海軍造船技術概要p.282
  6. ^ a b #写真日本の軍艦第4巻p.92
  7. ^ a b c d e #昭和造船史1pp.780-781
  8. ^ a b c d #海軍造船技術概要p.1684
  9. ^ #海軍造船技術概要pp.1685-1686
  10. ^ a b c d 「表B あ号作戦直前における空母の最大速力、航続距離、満載重油搭載量(昭和19年5月調査)」#日本空母物語p.417
  11. ^ 阿部安雄「日本海軍航空母艦・水上機母艦要目表」#日本空母物語pp.442-443
  12. ^ a b c #日本航空母艦史p.88
  13. ^ #昭和18年11月~12月内令5巻/昭和18年12月(3)画像14-16『| 内令第二千七百二號 | 海軍定員令中左ノ通改正セラル | 昭和十八年十二月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎 | 航空母艦定員表其ノ十一ヲ別表ノ如ク定ム 第五十四表水上機母艦定員表其ノ二 削除 | (別表一葉添) | (内令提要巻一、四〇七頁参照) |』『 | 第五十二表ノ八 | (昭和十八年内令第二千七百二號) | 航空母艦定員表 其ノ十一 | 千歳、千代田 | (詳細、備考省略) |』。士官47人、特務士官21人、准士官31人、下士官268人、兵717人、計1084人。
  14. ^ #日本の航空母艦p.296
  15. ^ #日本海軍艦艇公式図面集1『空母「千代田」(一般艤装図) (2) 上甲板平面』
  16. ^ a b #日本航空母艦史p.89上「千歳」の写真及び解説。
  17. ^ a b c d #日本海軍艦艇公式図面集1空母「千代田」(一般艤装図)。
  18. ^ a b #日本の航空母艦パーフェクトガイドp.121
  19. ^ a b #日本の航空母艦パーフェクトガイドp.122
  20. ^ #海軍造船技術概要p.751
  21. ^ a b #海軍造船技術概要p.753
  22. ^ a b #日本空母物語pp.290-291
  23. ^ a b 東清二「図で見る『瑞鳳型・龍鳳・千歳型・信濃・伊吹・大鷹型・神鷹・海鷹』変遷史」#写真日本の軍艦第4巻p.25
  24. ^ a b #海軍艦艇史3p.323、「航空母艦飛行甲板比較図 4.千歳、千代田」
  25. ^ #日本海軍艦艇公式図面集1空母千代田(一般艤装図)の正面線図による。
  26. ^ #日本航空母艦史p.89下の写真解説。
  27. ^ 「表A あ号作戦直前の空母対空兵装(昭和19年5月現在)」#日本空母物語p.417
  28. ^ a b 「表C あ号作戦直後の対空兵装等強化(昭和19年7月現在)」#日本空母物語p.418
  29. ^ a b #畑中2015pp.74-75の図と76-77の本文。

参考文献[編集]

  • 『海軍制度沿革 巻八』明治百年史叢書 第180巻、海軍省/編、原書房、1971年10月(原著1941年)。
  • 『日本航空母艦史』世界の艦船 2011年1月号増刊 第736集(増刊第95集)、海人社、2010年12月
  • 『昭和造船史(第1巻)』明治百年史叢書 第207巻、(社)日本造船学会/編、原書房、1981年(原著1977年10月)、第3版。ISBN 4-562-00302-2
  • 長谷川藤一 『軍艦メカニズム図鑑 日本の航空母艦』 グランプリ出版、1998年12月(原著1997年9月)、第3刷。ISBN 4-87687-184-1
  • 『日本海軍艦艇公式図面集1 空母「千代田」+「陸軍M丙型空母」』 戸高一成/監修、発行プレアデス出版、発売 国文社、2004年ISBN 4-7720-0893-4
  • 畑中省吾「日本の軽空母考」、『艦船模型スペシャル』No.56、モデルアート社、2015年6月、 66-80頁。
  • 福井静夫 『海軍艦艇史 3 航空母艦、水上機母艦、水雷・潜水母艦』 KKベストセラーズ、1982年4月ISBN 4-584-17023-1
  • 福井静夫 『日本空母物語』福井静夫著作集第7巻、光人社、1996年8月ISBN 4-7698-0655-8
  • 『海軍造船技術概要』 牧野茂福井静夫/編、今日の話題社、1987年5月ISBN 4-87565-205-4
  • 写真日本の軍艦 第4巻 空母II』 雑誌『』編集部/編、光人社、1989年10月ISBN 4-7698-0454-7
  • 『日本の航空母艦パーフェクトガイド』〈歴史群像〉太平洋戦史シリーズ 特別編集、学習研究社、2003年4月ISBN 4-05-603055-3

関連項目[編集]