千坂半左衛門
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ちさかはんざえもん 千坂半左衛門 | |
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生誕 |
1702年 志戸田村(現:富谷市) |
死没 |
1776年 志戸田村(現:富谷市) |
国籍 | 日本 |
職業 | 肝煎 |
著名な実績 | 農業用水路工事 |
千坂 半左衛門(ちさか はんざえもん、元禄15年(1702年) - 安永5年(1776年))は、江戸時代の陸奥国仙台藩領黒川郡志戸田村(現:宮城県富谷市)、舞野村、蒜袋村、高田村(いずれも現:大和町)4ヶ村の肝入(庄屋)、後に黒川郡の大肝煎[1]。今村(現大和町吉岡)に一家を創設した黒川郡の大肝煎、千坂仲内の実父。
来歴
[編集]- 1702年(元禄15年) 黒川郡志戸田村(現:富谷市)に生まれる。
- 1735年(享保20年) 父の跡を継ぎ、志戸田、舞野、蒜袋3ヶ村の肝煎となる。
- 1736年(享保21年) から、志戸田用水隧道を掘るなどして志戸田、舞野、蒜袋、高田4ヶ村の水田耕作用の水利を開く土木工事に着工、それを指揮した[2]。
- 1743年(寛保3年) 高田村の肝煎を兼帯する。
- 1754年(宝暦4年) 藩庁より表彰される。
- 1755年(宝暦5年) 肝煎を辞す。黒川郡の大肝煎となる。
- 1760年(宝暦10年) 黒川郡の大肝煎を辞す。
- 1763年(宝暦13年) 仙台藩から表彰される。
- 1776年(安永5年) 8月、志戸田用水隧道通水を見届けることなく死去。
没後
[編集]- 1786年(天明6年)頃 志戸田用水隧道に通水が開始される。これでおよそ160町歩(160ha)の水田が良田になった。
- 1988年(昭和63年) 志戸田、舞野地区の用水受益者一同が、志戸田地内三ヶ森の千坂家の墓前に集まり厚恩に感謝した。
- 1994年(平成4年) 富谷町教育委員会(当時)により顕彰の標柱が建てられる(写真参照)。
参考文献
[編集]- 浅野昭一『水利を開いた千坂一族』 創栄出版、2007年5月 ISBN 978-4-7559-0282-6 C-0044
脚注
[編集]- ^ 歴代黒川郡大肝入は、内ヶ崎作右衛門 内ヶ崎新三郎 高橋善八郎 千坂半左衛門 千坂仲内 渡辺良七 遠藤周右衛門 高橋藤作 渡辺作十郎 遠藤周右衛門 浅野寿家治」(『黒川郡誌』)
- ^ 加藤幸男. “「志戸田用水ずい道」の授業を創る”. 2015年2月14日閲覧。