十字路 (1928年の映画)

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十字路
Shadows of the Yoshiwara
Jujiro poster.jpg
監督 衣笠貞之助
脚本 衣笠貞之助
出演者 千早晶子
阪東寿之助
撮影 杉山公平
製作会社 衣笠映画連盟
松竹京都撮影所
配給 松竹キネマ
公開 日本の旗 1928年5月11日
アメリカ合衆国の旗 1930年7月4日
上映時間 76分 / 現存 88分[1]
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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十字路』(じゅうじろ)は、1928年昭和3年)製作・公開、衣笠貞之助監督による日本の長篇劇映画、サイレント映画時代劇によるアヴァンギャルド映画であり、日本映画で初めてヨーロッパへ輸出された作品である。

略歴・概要[編集]

衣笠貞之助がマキノ・プロダクションから独立して設立した衣笠映画連盟の最後の作品である[2]。本作の日本公開後には、衣笠は本作を携えて、ヨーロッパに渡航し、同連盟は解散した。

当時、日本の活動写真は観衆の強い支持を受けた娯楽中心の「チャンバラ映画」が主流だった。本作はこうした現状に不満を抱いた衣笠貞之助監督が、「時代劇から剣を奪え」のスローガンを掲げて製作したもので、まったくチャンバラのない、貧しい姉弟の愛を描いた実験映画となっている。

この昭和3年、剣戟スタア阪東妻三郎は現代劇『霊の審判』を企画して挫折し、スランプに陥っていた。また時代劇活動写真の元祖牧野省三は『忠魂義烈・実録忠臣蔵』完成を目前に自宅で編集中、失火でフィルムの大半を焼失して窮地に立ち、その牧野のもとを嵐長三郎(嵐寛寿郎)、片岡千恵蔵の二大剣戟スタアが去っていき、長三郎改め寛寿郎は第一次寛プロを興し、その経営に破産して東亜キネマへ、千恵蔵は千恵プロを興し、食うや食わずの独立体制で「文芸時代劇」の地平を開き始めるという、「時代劇映画」そのものが変革の時を迎えていた時期だった。このなかで製作された「実験作」が本作だった[3]

本作の上映用プリントは、現在、東京国立近代美術館フィルムセンターが、以下の4ヴァージョンを所蔵している[4]

  1. 87分、16mmフィルム、2343.37フィート、714.25メートル
  2. 87分、35mmフィルム、5857.11フィート、1,785.24メートル
  3. 88分、35mmフィルム、5967.12フィート、1,818.77メートル
  4. 65分、16mmフィルム、1757.09フィート、535.56メートル

これらのほかに、1975年(昭和50年)に衣笠自身が劇伴音楽を加えて製作した「47分」の上映尺をもつ「ニュー・サウンド版」が存在する[5]マツダ映画社はそのリストに本作の題名が見当たらない[6]

日本のビデオグラムメーカーのディスクプランが2009年(平成21年)2月25日に、「74分」の上映尺のDVDをリリースしている[7]

エピソード[編集]

稲垣浩はこの作品で、衣笠監督のチーフ助監督についたが、撮影期間29日の間、ほとんど徹夜進行だった。夜間も仕事ができるという利便性から撮影所に電化が入った時期で、夜間撮影の多かった衣笠映画連盟はフクロウをプロダクションのトレードマークにしていたほどである。

途中で休む者もいたが、衣笠監督と杉山公平キャメラマンと稲垣の三人だけは無休が続いた。このため、稲垣は最後の夜明けごろに、ついに宿直室で寝込んでしまった。ラストカットの撮影に、監督はチーフがいないと騒ぎだし、「ここまで無事に来て、最後に落伍したのでは、あいつも口惜しかろう」と、みんなで手分けして稲垣を捜した。稲垣は「ねぼけまなこでラストシーンの移動車を押したことを今でも覚えている」と述懐している。

衣笠貞之助は当時、口ヒゲで有名で、稲垣ら助監督一同は師にあやかるべく、皆ヒゲをはやしていた。この作品が完成すると衣笠監督はフィルムを持って欧州に外遊したが、帰国した時からヒゲがなくなった。帰国歓迎の宴席で、ヒゲのなくなったことを皆が聞くと、衣笠監督は「うん、ヒゲはコーキチ(稲垣浩)に譲った」と答え、稲垣を指差したという[8]

「新しい時代」への衣笠宣言[編集]

衣笠監督はこの映画の公開を前に、“「十字路」に就いて”と題した次の一文を発表した。これはいわば当時のヌーヴェルヴァーグであり、『十字路』は公開後、日本映画で初めてヨーロッパへ輸出された[9]

「時代劇から剣を奪へ。剣戟映画を撲滅しろ。剣戟映画は満喫した。もう剣戟でもあるまい。彼女は魅力を失つた。」といふ。

けれども何故剣戟がいけないのか。何故あれほど剣戟が流行したのか。何をもつて剣戟に代へるか。こゝで一枚の頁を翻し新しい次の頁をどういふ風に用意したらいゝか、それが私にははつきり判らない。

時代劇映画から、剣戟を奪つてしまふことは冒険のやうにも思はれるが、私たちは常に新鮮な勇気を持たなければならない。試にさういふ条件で真摯と努力とを傾倒して、時代劇映画を作つて見たのが、この「十字路」である。

果して私の「十字路」が時代劇映画の進路を把握し得たかどうかは、一切の映画人の御批判を仰がねばならない。進んで御?意を俣たうと思ふ。

スタッフ・作品データ[編集]

クレジットおよびデータは日本映画データベースの本項参照[10]

キャスト[編集]

千早晶子と小川雪子

関連事項[編集]

[編集]

  1. ^ a b 十字路、東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年2月24日閲覧。
  2. ^ 衣笠貞之助、日本映画データベース、2010年2月24日閲覧。
  3. ^ 『週刊サンケイ臨時増刊 大殺陣 チャンバラ映画特集』(サンケイ出版)
  4. ^ 所蔵映画フィルム検索システム、東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年2月24日閲覧。
  5. ^ スターと監督 長谷川一夫と衣笠貞之助 十字路 サウンド版、東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年2月24日閲覧。
  6. ^ 主な所蔵リスト 劇映画=邦画篇マツダ映画社、2010年2月24日閲覧。
  7. ^ 十字路、株式会社ディー・エル・イーコミュニケーションズ、2010年2月24日閲覧。
  8. ^ 『ひげとちょんまげ』(稲垣浩、毎日新聞社刊)
  9. ^ 『ひげとちょんまげ』(稲垣浩、毎日新聞社刊)
  10. ^ 十字路、日本映画データベース、2010年2月24日閲覧。
  11. ^ Film Calculator Archived 2008年12月4日, at the Wayback Machine.換算結果、コダック、2010年2月24日閲覧。

外部リンク[編集]