十五銀行

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十五銀行(じゅうごぎんこう)はかつて日本に存在した銀行である。1944年帝国銀行に吸収合併された。

概要[編集]

十五銀行本店は東京都中央区木挽町(現在の銀座八丁目)にあった。
営業上は帝国銀行木挽町支店→三井銀行木挽町支店を経て、銀座八丁目の三井銀行新橋支店(旧丁酉銀行本店→十五銀行新橋支店→帝国銀行新橋支店)に吸収された。店舗は1972年に新橋二丁目に移転となり、丁酉銀行本店建物は取り壊された。跡地には三井観光開発(2007年よりグランビスタホテル&リゾート)により、前身の建物を模したデザインで「三井アーバンホテル銀座」が建設され、1977年12月に開業。2008年に「ホテルコムズ銀座」へ名称変更した。

当初の十五銀行本店跡地には銀座第一ホテルを経て、リコー本社と三井ガーデンホテル銀座プレミアが入居する銀座三井ビルディングが2005年に竣工している。このため、2つの帝銀・三銀の店舗跡地に三井系企業によるホテルがそれぞれ建てられた事になる。

なお、後身のさくら銀行新橋支店は三井住友銀行発足時に新橋1丁目の旧住友銀行新橋支店と統合されている。

沿革[編集]

戦時統合及び帝銀分割後の店舗の処遇[編集]

当初安田銀行を中心とした合併に参加する予定であったが、1944年8月1日に安田銀行により昭和銀行が吸収合併となり、当行は同日に帝国銀行に吸収されると同時に6店舗は近隣店に併合した。

その後に他銀行も同様であるが、戦災等により廃止となった店舗もある。

帝銀分割時、近隣店により併合されていない旧当行店舗は、三井銀行と提携し(新)帝国銀行(後の三井銀行)に継承された。また、近隣の店舗については分割時に(新)第一銀行が継承した。

※ただし、(新)帝国銀行が継承した店舗の顧客の中でも同行の三井色を嫌がり、第一銀行と取引する顧客もいた。

その他[編集]

行章は桜花。「桜の銀行」といえば十五銀行を意味した。この桜は帝国銀行の「八重桜」に引き継がれ、後身の三井銀行が1975年まで使用した。1990年、この三井銀行が太陽神戸銀行と合併し太陽神戸三井銀行となった際、意匠は異なるものの行章に再び桜花が採用され、1992年行名もさくら銀行と改称。2001年の三井住友銀行発足まで使用された。

不動産賃貸並びに那須地区のレジャー施設運営と乳業を営む複合企業、ホウライは元々十五銀行の子会社である蓬莱殖産の後身である。

詩人・歌人の黒田忠次郎が最初に勤めた銀行でもあった[1]

脚注[編集]

  1. ^ 金子光晴、他・編集 『日本詩人全集・第三巻』 創元文庫、1953年、241p。

参考文献[編集]

  • 三井銀行八十年史編纂委員会 『三井銀行八十年史』 三井銀行、1957年

関連項目[編集]