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医者裁判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
医師裁判から転送)
医者裁判で判決を受けるカール・ブラント

医者裁判(いしゃさいばん、: Doctors' Trial: Ärzteprozess)は、1946年12月9日から1947年8月20日にかけてアメリカ合衆国ニュルンベルクで行ったナチ戦犯法廷。ナチス体制下で重い地位にあった医師や医療関係者、ナチス・ドイツの人体実験安楽死計画に関与した者たちを裁いた。ニュルンベルク継続裁判と総称される12の裁判の中で最初に行われた裁判である。

23人の被告人が裁かれ、うち7名が絞首刑となった。裁判長はワシントン出身のウォルター・ビールス(Walter B. Beals)が務めた。その他の裁判官としてフロリダ州出身のハロルド・セブリングen:Harold L. Sebring)、オクラホマ州出身のジョンソン・クロフォード(Johnson T. Crawford)などがいる。

この裁判の判決文の中の「許容されうる医学実験」と題された一節が、ニュルンベルク綱領である。

なお、人体実験の中心人物であるヨーゼフ・メンゲレ行方不明のまま死亡扱いとなり、1980年代になって逃亡先のブラジルで死亡が確認された。

ヒュー・グレゴリー・ギャラファーはT4作戦についての著書の中で「この裁判では五十年後の今日もなお議論の的となる法秩序上の問題が生じた。正統な政府からの命令で個人がとった行動の責任を問えるのか、ドイツ国民がドイツ国民に対して犯した罪に戦争犯罪を適用できるのか、1939年9月1日第二次世界大戦勃発より前の罪を訴追し得るのか……しかし、連合国が何も手を打てない場合には悩みは比較にならないほど大きかったに違いない」と述べている。[1]

23人の被告人

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4つの訴因があった。

  1. 戦争犯罪人道に対する罪の陰謀。2と3の訴因で評価される。
  2. 戦争犯罪。本人の同意なしで行った医学実験安楽死計画への参加、強制収容所での囚人の虐殺への参加など。
  3. 人道に対する罪。2の訴因で評価される
  4. 犯罪組織(親衛隊)への参加。
名前 写真 地位 1 2 3 4 判決
ヘルマン・ベッカー=フライゼンク
de:Hermann Becker-Freyseng
01/ ドイツ空軍軍医大尉 起訴 有罪 有罪   1/懲役20年
のち10年に減刑
ヴィルヘルム・バイグルベック
en:Wilhelm Beiglböck
02/ ドイツ空軍顧問内科医 起訴 有罪 有罪   1/懲役15年
のち10年に減刑
クルト・ブローメ
en:Kurt Blome
03/ 全国保健指導者代理 起訴 起訴 起訴   無罪
フィクトール・ブラック
en:Viktor Brack
04/ 親衛隊上級大佐
武装親衛隊少佐
起訴 有罪 有罪 有罪 3/死刑
カール・ブラント
Karl Brandt
05/ 親衛隊中将
アドルフ・ヒトラー付き内科医
起訴 有罪 有罪 有罪 3/死刑
ルドルフ・ブラント
Rudolf Brandt
06/ 親衛隊大佐
ハインリヒ・ヒムラー個人秘書
内務大臣官房長
起訴 有罪 有罪 有罪 3/死刑
フリッツ・フィッシャー
Fritz Fischer
07/ 親衛隊少佐
親衛隊内科医
カール・ゲプハルトの副官
起訴 有罪 有罪 有罪 2/終身刑
のち15年に減刑
1954年に釈放
カール・ゲープハルト
Karl Gebhardt
08/ 親衛隊中将
親衛隊全国指導者侍医兼主治医
ドイツ赤十字社副総裁
親衛隊及び警察医師団外科医部長
起訴 有罪 有罪 有罪 3/死刑
カール・ゲンツケン
Karl Genzken
09/ 親衛隊中将
武装親衛隊医師長
起訴 有罪 有罪 有罪 2/終身刑
のち20年に減刑
1954年に釈放
ジークフリート・ハントローザー
Siegfried Handloser
10/ 陸軍軍医大将
国防軍衛生本部長官
起訴 有罪 有罪   2/終身刑
のち20年に減刑
1954年に釈放
ヴァルデマール・ホーフェン
Waldemar Hoven
11/ 親衛隊大尉
ブーヘンヴァルト強制収容所医師長
起訴 有罪 有罪 有罪 3/死刑
ヨアヒム・ムルゴウスキー
Joachim Mrugowsky
12/ 親衛隊上級大佐
医学博士
武装親衛隊衛生協会会長
親衛隊及び警察医師団衛生部長
起訴 有罪 有罪 有罪 3/死刑
ヘルタ・オーバーホイザー
Herta Oberheuser
13/ ラーフェンスブリュック強制収容所女医 起訴 有罪 有罪   1/懲役20年
のち10年に減刑
1952年に釈放
アドルフ・ポコルニー
en:Adolf Pokorny
14/ 内科医
皮膚と性病の専門家
起訴 起訴 起訴   無罪
ヘルムート・ポッペンディック
en:Helmut Poppendick
15/ 親衛隊上級大佐
親衛隊内科医
起訴 起訴 起訴 有罪 1/懲役10年
1951年に釈放
ハンス・ヴォルフガンク・ロームベルク
de:Hans Wolfgang Romberg
16/ ドイツ航空実験協会航空医学部門所属の医師 起訴 起訴 起訴   無罪
ゲルハルト・ローゼ
en:Gerhard Rose
17/ 空軍軍医少将
熱帯医学部門長
ロベルト・コッホ協会教授
起訴 有罪 有罪   2/終身刑
のち20年に減刑
1955年釈放
パウル・ロストック
Paul Rostock
18/ ベルリン外科医診療所医師
陸軍外科相談役
医学科学研究事務所長
起訴 起訴 起訴   無罪
ジークフリート・ルフ
de:Siegfried Ruff
19/ ドイツ航空実験協会航空医学部門検査官 起訴 起訴 起訴   無罪
コンラート・シェーファー
de:Konrad Schäfer
20/ ベルリン航空医学協会員の医師 起訴 起訴 起訴   無罪
オスカー・シュレーダー
de:Oskar Schröder
21/ 空軍軍医大将
空軍医療班検査官部長
空軍医療班長
起訴 有罪 有罪   2/終身刑
のち15年に減刑
ヴォルフラム・ジーヴァス
Wolfram Sievers
22/ 親衛隊大佐
アーネンエルベ事務長
起訴 有罪 有罪 有罪 3/死刑
ゲオルク・アウグスト・ヴェルツ
de:Georg August Weltz
23/ 空軍軍医中佐
ミュンヘン航空医学協会会長
起訴 起訴 起訴   無罪
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脚注

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  1. ^ ヒュー・グレゴリー・ギャラファー『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』 長瀬修訳、現代書館、1996年 ISBN 4-7684-6687-7、P289~290

外部リンク

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