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北海道大学工学部液体窒素酸欠事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

北海道大学工学部液体窒素酸欠事故(ほっかいどうだいがくこうがくぶえきたいちっそさんけつじこ)は、1992年(平成4年)8月10日北海道大学工学部で発生した、液体窒素の気化による酸素欠乏事故である。工学部応用物理学科の助手1人と、博士後期課程1年の大学院生1人の計2人が死亡した[1][2]

事故は、冷凍機の故障によって低温実験室の温度が上昇した際、冷凍機の修理が完了するまで室温を0℃以下に保つため、隣接する準備室で約80リットルの液体窒素を、急速に気化させたことによって発生したとされる[2]。大量に発生した窒素ガスが室内の空気を置換し、酸素濃度が低下したことで、室内にいた2人が低酸素状態に陥り死亡した[2]

事故後、人事院は北海道大学に対する現地調査を実施し、安全管理体制・安全教育・酸素欠乏などによる危険の防止措置の3点について、「十分とは言えない面」があったとして、同大学長に文書で改善を指導した[3]

北海道大学工学部は事故を受け、8月10日を「工学部安全の日」と定めた。事故から30年以上が経過した後も、毎年事故を振り返る工学部長訓話が行われており、液体窒素による酸素欠乏事故の事例として、大学の安全教育にも用いられている[1][4]

背景

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事故が発生したのは、北海道大学工学部応用物理学科の低温実験関係施設であった[2]

岩手大学の低温講習会資料は、北海道大学の事故調査委員会報告を引用する形で、事故に関係した低温実験室について、主として「極地等の氷の保管」と実験試料の作製に使用されていたとしている[2]。同資料によれば、低温実験室の面積は約20平方メートルであり、これに隣接して約6平方メートルの準備室が存在した[2]

事故当時、低温実験室の冷凍機が故障し、室内の温度が上昇した。その結果、隣接する準備室の温度も、0℃を超える状態となった[2]

冷凍機の修理にはなお1~2時間を要すると見込まれたため、その間、準備室を0℃以下に保つことを目的として液体窒素が使用された[2]

事故

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液体窒素の使用

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岩手大学の講習資料が引用する北海道大学の事故調査委員会報告によれば、事故当日の1992年8月10日午前、冷凍機の修理が終了するまでの1~2時間にわたって準備室を0℃以下に維持するため、同室内で多量の液体窒素を急速に気化させた[2]

使用された液体窒素は、約80リットルとされる[2]

北海道大学理学研究院極低温液化センターの2024年度講習資料では、事故例として約17立方メートルの準備室に、緊急的に低温室の室温を保つため液体窒素を大量(計80リットルと推定)に投入し、工学部の教員と大学院生の2人が死亡した事故が示されている[5]。同資料は、参考文献として北海道大学工学部事故調査委員会中間報告書を挙げている。

酸素欠乏

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窒素は空気中にも多量に含まれる気体であり、それ自体の毒性によって2人が死亡したのではなく、液体窒素から生じた大量の窒素ガスが室内の空気を置換したことによる酸素欠乏が直接の原因とされている[1][2]

岩手大学の低温講習資料では、液体窒素が気化した場合の体積膨張率を約647倍としている[2]。この値で単純計算した場合、80リットルの液体窒素は約5万2,000リットル(約52立方メートル)の窒素ガスに相当する。事故現場の準備室は約17立方メートルとされており[5]、液体窒素全量が気化した際に発生し得る窒素ガスの体積は、準備室の容積を大きく上回る規模となる。

ただし、実際の室内は完全な密閉容器ではなく、扉や換気設備、建物の隙間などを通じて気体が出入りするため、この体積比のみから、事故当時の正確な酸素濃度を算出することはできない。

北海道大学の2024年度安全講習資料では、通常の空気中の酸素濃度を20~21%程度とし、酸素濃度の低下に伴い、頭痛・吐き気・筋力低下・めまい・意識消失・昏睡・呼吸停止などを生じる危険性を説明している[5]。特に極端な低酸素環境では、急速に意識を失う危険があるとしている[5]

事故調査委員会は、多量の液体窒素を急速に気化させたことで室内空気中の酸素濃度が低下し、助手と大学院生の2人が低酸素状態となって死亡したと判断した[2]

事故当時、2人がどのような順序で室内に入り、どの時点で症状を自覚したかなどの詳細は、公開されている資料からは明らかでない。

死亡者

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死亡したのは、北海道大学工学部の助手1人と大学院生1人の計2人であった[1]

北海道大学工学部が現在公開している「工学部安全の日」の資料では、大学院生について博士後期課程1年であったとされている[1]。岩手大学の低温講習資料でも、死亡者を応用物理学科の助手と大学院生(DC)の2人としている[2]

事故原因をめぐる記述

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冷凍機の故障

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事故調査委員会報告を引用する岩手大学資料では、事故の発端は「冷凍機の故障」であったとされている[2]

冷凍機の故障によって低温実験室の室温が上昇し、隣接する準備室も0℃を超えたため、冷凍機の修理が終了するまでの一時的な冷却手段として、液体窒素が用いられた[2]

このため、事故は通常の液体窒素の移送や実験操作の最中ではなく、冷凍設備に異常が生じた際の応急的な冷却作業の過程で発生したものとされる。

極地の氷

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事故については、後年の資料で「南極の氷」を保存するために、液体窒素を使用したと説明されることがある。

事故調査委員会報告を引用する岩手大学資料では、事故に関係した低温実験室について「主に極地等の氷の保管と実験試料の作製」に使用されていたと説明されている[2]。このため、極地由来の氷試料が施設に保管されていたことは、大学の講習資料から確認できる。

一方、同資料の事故調査委員会報告の引用部分では、液体窒素を使用した目的は準備室を冷凍機修理完了まで0℃以下に保持することであったとされており[2]、保存対象を「南極の氷」と特定してはいない。

大阪府立大学(現・大阪公立大学)の液体ヘリウム利用者講習会資料では、後年の事故紹介として、停電によって低温実験室に問題が生じ、「南極の氷」が融解することを防ぐため液体窒素を使用したとの説明がなされている[6]が、北海道大学の事故調査委員会報告を引用した岩手大学資料では「極地等の氷」および「冷凍機の故障」という表現になっている[2]

停電との関係

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事故を紹介する後年の大学安全教材には、事故の背景として「停電」があったとするものがある[6]

一方、事故調査委員会報告を引用する岩手大学資料は事故の起点を「冷凍機の故障」としており、停電と冷凍機故障との具体的な因果関係については記述していない[2]

そのため、公開されている事故調査委員会報告の引用部分から確認できる範囲では、冷凍機が故障して低温室の温度が上昇したことまでは確認できるが、その故障が停電によって直接生じたものであったかどうかは明らかでない。

事故調査

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北海道大学

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事故後、北海道大学工学部には事故調査委員会が設置され、事故原因などについて調査が行われた[2]

北海道大学理学研究院極低温液化センターの安全講習資料は、参考資料として北海道大学工学部事故調査委員会の中間報告書を挙げている[5]。また、岩手大学の低温講習資料は同事故調査委員会の報告内容を引用し、事故について、冷凍機の故障、準備室の温度上昇、約80リットルの液体窒素の急速な気化、酸素濃度低下という経過を記載している[2]

人事院

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事故後、国家公務員の安全管理を所管していた人事院も北海道大学に対する調査を行った。

1993年4月7日の衆議院文教委員会で人事院が説明したところによれば、人事院は事故が発生した1992年8月10日に事故を把握し、8月12日に文部省から事故概要について事情を聴取した[3]

1992年8月28日には、北海道大学長から工学部の死亡事故について「重大災害報告書」が提出された[3]。これを受け、人事院は1992年10月27日に北海道大学を訪問し、事故の発生状況や安全管理状況について事情聴取するとともに、事故現場の実地調査を行った[3]

人事院は調査の結果、北海道大学工学部について、安全管理上「十分とは言えない面」があったとした[3]

具体的には、

  1. 安全管理体制の整備および安全管理者の業務の徹底
  2. 安全教育の徹底
  3. 酸素欠乏などによる危険の防止措置の徹底

の3点について不十分な部分があったと説明している[3]

人事院は安全管理の充実と災害の未然防止を図るため、1993年2月24日付で北海道大学長に対して文書による指導を行った[3]

北海道大学は同年3月25日付で、改善策を文書で回答した。人事院は、同年4月の国会審議時点で、北海道大学が安全管理体制の整備や安全教育などについて、改善計画を立てて実施に取り組んでおり、指導事項は「充足されつつある」と評価していた[3]

国会では、本事故は前年までに発生していた他大学の重大災害とあわせ、国立大学における安全管理上の問題として取り上げられた[3]

事故後の安全対策

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工学部安全の日

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北海道大学工学部は本事故を受け、事故が発生した8月10日を「工学部安全の日」と定めた[4]

北海道大学によれば、「工学部安全の日」は、1992年8月10日に発生した重大事故を受け、工学部における安全管理・安全教育体制の整備と安全意識の向上を目的として制定されたものである[4]

その後も毎年、8月10日前後に工学部長による訓話が行われている。2026年の工学部長訓話でも、34年前の事故で助手と博士後期課程1年の大学院生の2人が死亡し、事故原因が液化窒素から発生した大量の窒素による酸欠であったことが説明された[1]

同訓話では、事故を風化させず、安全な教育・研究環境を維持することが呼びかけられている[1]

液化ガス安全教育

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本事故は、北海道大学における液化ガス取扱者向けの安全教育でも、事故例として使用されている。

北海道大学理学研究院極低温液化センターの講習資料では、「低酸素濃度形成による危険性」の事故例として本事故を紹介し、準備室の大きさ、使用された液体窒素量および2人が死亡したことを示している[5]

同資料では酸素欠乏事故を防止するための基本的な対策として、換気設備や酸素濃度計の設置、液体窒素使用時の換気などを挙げている[5]。また、酸素欠乏が疑われる場所に人が倒れている場合、救助者が二次災害に遭う危険があるため、安易に単独で救助に入らないことなども注意事項として示されている[5]

大学院生の災害補償をめぐる国会審議

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本事故で死亡した2人は、一方が北海道大学工学部の助手、もう一方が大学院生であり、大学における身分が異なっていた[1]

1993年4月7日の衆議院文教委員会では、北海道大学の死亡事故や国立大学の安全管理をめぐる質疑に続いて、研究活動中に事故に遭った学生に対する保険制度の問題が取り上げられた[7][8]

当時、財団法人内外学生センターによる学生教育研究災害傷害保険が存在していたが、任意加入の保険制度であり、公的な災害補償制度ではなかった[7]

文部省は同委員会で、この保険について、正課、学校行事、課外活動など学校施設内における事故を対象とし、当時、国公私立大学・短期大学の学生のおよそ80%が加入していたと説明した。また、死亡時の保険金額は最高2,000万円と説明している[8]

ただし、同会議録では、北海道大学の事故で死亡した大学院生本人が学生教育研究災害傷害保険に加入していたかどうかや、遺族に対して実際にどのような給付が行われたかについては明らかにされていない。

後世の言及

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北海道大学の科学技術コミュニケーション教育研究部門 (CoSTEP) が運営する「いいね!Hokudai」は2024年、東野圭吾の小説『沈黙のパレード』に描かれた、低温実験室の機械故障後に大量の冷媒を床にまき、窒息事故が発生するという作中のエピソードについて、状況と原因から1992年8月10日の北海道大学工学部の事故を指していると思われると紹介した[9]

同記事は、北海道大学工学部が事故のあった8月10日を「工学部安全の日」とし、事故を繰り返さないための取り組みを継続していることにも言及している[9]

評価と位置づけ

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本事故は、北海道大学内では30年以上にわたり重大事故として記憶され、安全管理・安全教育の題材として継承されている[1][4]

また、北海道大学以外の大学でも液体窒素による酸素欠乏事故の事例が紹介されている。岩手大学の寒剤取扱講習では「重大事故例」の一つとして本事故が取り上げられ[2]、千葉大学の低温施設による安全資料では、1992年8月に北海道で、冷凍機の故障による室温上昇を抑えるため液体窒素を使用し2人が死亡した事故が紹介されている。ただし、千葉大学の資料は大学名を明記していない[10]

事故後の人事院調査では、事故を被災者個人の行為のみの問題とはせず、大学側の安全管理体制、安全教育、酸素欠乏などによる危険の防止措置についても不十分な点が指摘され、改善指導の対象となった[3]

類似する事故

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2025年10月20日、徳島大学医薬創製教育研究棟の低温培養室で、徳島大学の報告書でいう「特別研究学生」(他大学院または外国の大学に在籍し、徳島大学で研究指導を受ける学生)1人が死亡する事故が発生した。徳島大学の事故調査委員会は、計画停電に備えて室内に設置されていた31kgのドライアイスが気化し、高濃度の二酸化炭素が発生したことで、学生が二酸化炭素中毒および酸素欠乏に陥ったことが死亡原因であると強く推測している[11]

事故が発生した低温培養室は、体積23.75立方メートルで、換気装置は設置されていなかった。事故調査委員会の試算では、31kgのドライアイスが完全に気化し、室内空気と均一に混合した場合、二酸化炭素濃度44.3%、酸素濃度12.2%となるとしている[11]

ドライアイスを設置した研究室と、死亡した学生の所属研究室は異なっており、後者には低温培養室でドライアイスを使用していることが、周知されていなかった。また、室外には注意を促す掲示がなく、酸素濃度計や二酸化炭素濃度計も設置されていなかった[11]。同委員会は事故原因として、ドライアイスの危険性に対する認識の不足、必要な安全対策の未実施、研究室間の情報共有不足を挙げた[11]

事故を報じた四国放送は、大学における過去の酸素欠乏死亡事故として、1992年の北海道大学工学部における本事故を紹介している[12]

脚注

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  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 2026年8月10日 工学部長訓話”. 北海道大学大学院工学研究院・工学部 (2026年8月10日). 2026年8月28日閲覧。
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 寒剤の正しい取扱について―低温講習会(岩手大学)― (PDF). 岩手大学地域連携推進センター機器活用専門委員・低温部門. 2026年8月28日閲覧。
  3. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 第126回国会 衆議院 文教委員会 第5号 平成5年4月7日”. 国立国会図書館 国会会議録検索システム (1993年4月7日). 2026年8月28日閲覧。
  4. 1 2 3 4 工学部安全の日ホームページ”. 北海道大学大学院工学研究院・工学部. 2026年8月28日閲覧。
  5. 1 2 3 4 5 6 7 8 安全講習会 第一部 高圧ガスボンベの取り扱い、液化ガスの性質・危険性について(2024年度版) (PDF). 北海道大学理学研究院 極低温液化センター (2024年). 2026年8月28日閲覧。
  6. 1 2 液体ヘリウム利用者講習会原稿 (PDF). 大阪府立大学 (2021年). 2026年8月28日閲覧。
  7. 1 2 第126回国会 衆議院 文教委員会 第5号 平成5年4月7日”. 国立国会図書館 国会会議録検索システム (1993年4月7日). 2026年8月28日閲覧。
  8. 1 2 第126回国会 衆議院 文教委員会 第5号 平成5年4月7日”. 国立国会図書館 国会会議録検索システム (1993年4月7日). 2026年8月28日閲覧。
  9. 1 2 『沈黙のパレード』痛ましい事故[物語の中の北大No.25]”. いいね!Hokudai (2024年8月9日). 2026年8月28日閲覧。
  10. 寒剤による事故”. 千葉大学. 2026年8月28日閲覧。
  11. 1 2 3 4 徳島大学医薬創製教育研究棟低温培養室での特別研究学生の死亡事故に係る調査結果報告書 (PDF). 徳島大学事故調査委員会 (2026年). 2026年8月28日閲覧。
  12. “悲劇はなぜ?ドライアイスの危険性 徳大研究棟で学生死亡【徳島】”. 四国放送NEWS. 2025年11月7日.

関連項目

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外部リンク

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