北条 (つくば市)

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北条
—  大字  —
北条商店街(2012年2月撮影)
北条の位置(茨城県内)
北条
北条
北条の位置
座標: 北緯36度10分23.5秒 東経140度5分15.0秒 / 北緯36.173194度 東経140.087500度 / 36.173194; 140.087500
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Ibaraki Prefecture.svg 茨城県
市町村 Flag of Tsukuba Ibaraki.JPG つくば市
地区 筑波地区
面積
 - 計 0.69km2 (0.3mi2)
標高 8m (26ft)
人口 (2017年(平成29年)8月1日現在)[1]
 - 計 2,974人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 300-4231 
市外局番 029
ナンバープレート つくば
ウェブサイト http://www.tsukuba-hojo.jp/
※座標・標高はつくば市役所筑波窓口センター付近

北条(ほうじょう)は、茨城県つくば市地名郵便番号は300-4231。

筑波山に程近い、つくば市筑波地区の中心地域であり、筑波地区(旧筑波町)で唯一の商店街を形成している地域である[2]

地理[編集]

つくば市北部、筑波研究学園都市周辺開発地区に位置し、東は小和田小沢山口、西は君島小泉、南は小田、北は杉木漆所神郡と接している。

  • - 大池(北条大池、の名所)
  • 水路 - 北条用水(裏堀)

城山(じょうやま)と通称される多気山(たけやま)の南麓に位置する[3]沖積平野にある[4]。旧国道(茨城県道138号石岡つくば線)沿いには商業地住宅地が形成されているが、周辺部は水田が広がる[4]

歴史[編集]

中世まで[編集]

縄文時代から弥生時代にかけての遺跡である中台遺跡のほか[3]円墳の八坂神社古墳や中台古墳群が見つかっている[5]古代から鎌倉時代には、多気氏が城山に多気城を構え勢力を持っていたが、八田知家らの策略にはまり没落した[6]。多気氏が滅びると、八田知家の時家は、多気村東北部に、小田の支城を築き、北条城主北条七郎と称した。これから多気村は北条村と呼ばれるようになり[7]、北条は小田氏の勢力下となった[8]。この多気城は、戦国時代に大規模な改修が施されたものの、その理由は諸説あり、確定していない[9]。また、寺院跡である北条日向廃寺跡や多気城とは別の城である北条城跡もある[10]。小田氏が衰退した後には佐竹氏の勢力が台頭、佐竹派の真壁氏が北条に入った[8]

近世[編集]

江戸時代には、北条内町北条中町北条新町の3町に分かれ、それぞれ常陸国筑波郡に属した。為政者はたびたび変遷し、慶長7年(1602年)から天領となり、慶長15年(1610年)より佐久間勝之領(後の信濃長沼藩主)、元和2年(1615年)より天領(春日局化粧料)を経て寛永2年(1625年)より堀田正盛領、正盛の下総佐倉藩主就任により、寛永19年(1642年)から佐倉藩領、天和2年(1682年)より正盛の四男・正英が立藩した常陸北条藩領、元禄元年(1688年)に正英が没し天領に復した[8] [11]。その後、元禄11年に土浦藩領に編入されて廃藩置県まで支配が続いた[8]

堀田氏が散在する民家街道沿いに集めたため[11]、3町は共に在郷町として発達し、主要道に沿う土蔵では、大豆米穀綿などが取引された[8]。また徳川家光が地足院中禅寺(現在の大御堂)に木曽ヒノキなどの資材を運び込むために開いた道を筑波山の登山道に転用したことから、その登山口としても賑わった[12]。北条内町には堀田氏や土浦藩によって陣屋が設置された[11]明和3年(1766年)には、北条内町で大火が発生、74戸を焼く被害が出た[11]幕末になると、近隣の小田村(現在のつくば市小田)出身の長島尉信が多気城の遺構調査を実施し、『郁子園雑記』に城跡の略図を掲載している[5]

近代[編集]

常陸北条駅跡地

明治時代になると、3町は合併して北条村となり[11]1887年(明治20年)9月30日に北条町に改称した[8]町村制施行時には、近隣の村々と合併して新しい北条町の1大字となった。北条には1872年明治5年)に北条郵便受付所(後の筑波郵便局)、1874年(明治7年)に北条小学校、1877年(明治10年)に土浦警察署北条分署(後のつくば北警察署)が相次いで設けられ、町村制施行後には北条町役場(後に筑波町役場)と土浦区裁判所北条出張所が置かれ、1918年(大正7年)には筑波鉄道開通に伴い、常陸北条駅が開業するなど、政治経済の中心地として発達した[11]

現代[編集]

竜巻襲来後の商店街

第二次世界大戦後には、1950年(昭和25年)に茨城県立筑波高等学校の前身である茨城県立土浦第二高等学校北条分校が開校した[11]。商業に関しては、1959年(昭和34年)に出された『筑波町建設基礎調査書』によると、当時の筑波町のおよそ3分の1の商店金融サービス業を含む)が集まっていた[2]。北条が交通の要衝かつ公共機関が集まる地域であることから、周辺農村の購買力に支えられていたからである[2]。しかしモータリゼーションの進展により、商店街の道路渋滞駐車場不足が問題化したこと、土浦市下妻市への購買力流出が進んだことにより、1976年(昭和51年)の筑波町外への購買力流出率は48%、筑波研究学園都市の勢力が台頭してきた1986年(昭和61年)には57%にのぼった[2]

2007年(平成19年)9月29日、地元の商店主や住民、筑波大学教員学生らが協同して「北条街づくり振興会」を結成、特産品の北条米を使った「北条米スクリーム」(北条米のアイスクリーム)の開発や北条市(ほうじょういち)を開くなど地域活性化に取り組んでいる[13]。この活動が評価され、県内の商店街では唯一、「新・がんばる商店街77選」に選出された[13]

2012年(平成24年)5月6日午後1時頃[14]突風により当地区の一部[15]の建物が被害を受け、死者1名・ケガ人が複数出た[16]気象庁は翌5月7日に、この突風現象は竜巻によるもので、強さは藤田スケールでF2と推定したと発表した[14]が、6月8日にF3に変更された[17]

沿革[編集]

  • 1889年(明治22年)- 筑波郡小泉村、泉村、君島村と合併し、筑波郡北条町大字北条となる。
  • 1950年(昭和25年) - 北条の一部が田井村に編入される[11]
  • 1955年(昭和30年)- 筑波郡筑波町、田井村、小田村と合併し、筑波郡筑波町大字北条となる。
  • 1988年(昭和63年)- つくば市と筑波町が合併し、つくば市大字北条となる。
  • 2002年(平成14年)- 住所表記より「大字」が撤廃され、つくば市北条となる。

地名の由来[編集]

筑波郡を桜川で南北に分割した時、北側を北条と呼んだことに由来する[3]。北条と呼ばれる以前は「多気邑」であったと『新編常陸国誌』にある[8]

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
北条 1,206世帯 2,974人

人口の変遷[編集]

総数 [戸数または世帯数: R10.png 、人口: G10.png ]

1721年享保6年)[11] R05.pngR01.pngR01.pngR01.pngR01.png 186戸
G50.pngG10.pngG10.pngG05.png 1,512人
1891年(明治24年)[11] R10.pngR05.pngR01.png 321戸
G50.pngG10.pngG10.pngG10.pngG10.pngG01.pngG01.pngG01.png 1,868人
1980年(昭和55年)[4] R50.pngR01.png 1,032世帯
G100.pngG50.pngG10.pngG10.pngG10.pngG10.pngG05.pngG01.png 3,935人
2012年(平成24年)[18] R50.pngR05.pngR01.pngR01.pngR01.png 1,163世帯
G100.pngG50.pngG10.png 3,199人

小・中学校の学区[編集]

市立中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[19]

番地 義務教育学校
全域 秀峰筑波義務教育学校

交通[編集]

つくばりんりんロード(2010年4月)
北条駅入口停留所(2009年3月15日撮影。真壁駅行きは既に廃止。)

路線バス[編集]

筑波山、つくばセンターつくば駅)、土浦、下妻の4方面への路線が集まる。関東鉄道の筑波山口土浦線、同社と関鉄パープルバスの下妻土浦線及びつくバス小田シャトルが北条停留所を含む中心部を経由する他、つくバス北部シャトルが筑波交流センター停留所を発着する。その他、筑波高校入口停留所に東茨城郡茨城町にある運転免許センター発着バス「わかば号」の古河・下妻・新治ルートが停車していたが、2014年7月22日のダイヤ改正でルートが変更されたことに伴い停車しなくなった。

関東鉄道
  • 筑波山口 - 北条 - 土浦駅
  • 筑波交流センター - 小田 - つくばセンター(つくバス小田シャトル)
  • 筑波山口 - 筑波交流センター - つくばセンター(つくバス北部シャトル)
関鉄パープルバス
  • 下妻駅 - 北条 - 土浦駅(一部便は関東鉄道担当)

道路[編集]

施設[編集]

筑波郵便局

出身者[編集]

史跡[編集]

  • 多気城 - 多気山城、城山城とも称する。平安時代中期に平維幹(多気維幹)が築城したという説があるが、現在の遺構は戦国時代のものとされる。
  • 北条城跡 - 多気氏没落後、小田氏が小田城の支城として築城したものと見られる[5]。城跡は小字古城に比定され[5]、現地はつくば市立北条小学校となっている。
  • 多気太郎の墓 - 多気氏の6代義幹の墓とされる五輪塔。現在でも住民から「たきたろさま」と呼ばれ親しまれている[21]
  • 八坂神社 - 旧社格は村社。境内に茨城県指定有形文化財(工芸品)の石造五輪塔がある[8]
  • 北条日向遺跡(日向廃寺跡) - 寺院跡とされ、須恵器土師器花崗岩製の礎石などが発掘されている[8]平安時代末期から鎌倉時代初期の遺構であることから、浄土思想を多気氏が受容していたのではないか、と考えられる[5]
  • 毘沙門天種子板碑 - 黒雲母方岩で構成された板碑であり、つくば市指定文化財のひとつである。
  • 旧田村呉服店 - 大正期の建物。観光案内所「北条ふれあい館」として運用されている。

脚注[編集]

  1. ^ a b 平成29年度行政区別人口表”. つくば市 (2017年8月9日). 2017年8月15日閲覧。
  2. ^ a b c d 筑波町史編纂専門委員会(1990):605 - 607ページ
  3. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1983):853ページ
  4. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1983):1257ページ
  5. ^ a b c d e 平凡社(1982):567ページ
  6. ^ 相模原郷土の歴史研究会"多気山城と多気氏"(2012年5月10日閲覧。)
  7. ^ 宮本宣一『筑波歴史散歩』(日経事業出版センター,2014)
  8. ^ a b c d e f g h i 平凡社(1982):566ページ
  9. ^ 茨城城郭研究会 編(2006):198ページ
  10. ^ 平凡社(1982):566 - 567ページ
  11. ^ a b c d e f g h i j 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1983):854ページ
  12. ^ 笹盛 編(1967):25ページ
  13. ^ a b 北条街づくり振興会"つくば道 北条さんぽ |北条街づくり振興会"(2010年10月27日閲覧。)
  14. ^ a b http://www.jma.go.jp/jma/press/1205/07a/toppu120507.pdf 平成 24 年5 月6 日に茨城県つくば市付近で発生した突風について (PDF) 気象庁報道発表資料(2012年5月9日閲覧。)
  15. ^ 竜巻 北条地区と周辺30%以上に被害NHK(2012年5月9日閲覧。)
  16. ^ 風速60メートル級の竜巻 自宅崩れ、中3死亡東京新聞TOKYO Web(2012年5月9日閲覧。)
  17. ^ http://www.jma.go.jp/jma/press/1206/08b/toppu120608.pdf 平成24年5月6日に発生した竜巻について(報告) (PDF) 気象庁報道発表資料(2012年6月9日閲覧。)
  18. ^ つくば市役所市民課"つくば市 行政区別人口統計表"平成24年4月1日現在(2012年5月9日閲覧。)
  19. ^ 義務教育学校への就学(2018年4月16日閲覧)
  20. ^ リトルヘブン 2009年冬・14号”. 山田養蜂場. 2012年5月10日閲覧。
  21. ^ 北条街づくり振興会(2009)"つくば道 北条さんぽ|北条歴史手帖"(2010年12月19日閲覧。)

参考文献[編集]

  • 茨城城郭研究会 編『図説 茨城の城郭』国書刊行会、平成18年10月20日、291pp. ISBN 4-336-04771-5
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 8 茨城県』角川書店、昭和58年12月8日、1617pp.
  • 笹盛治平 編『常陽新聞シリーズIII』常陽新聞社、昭和42年2月1日、175pp.
  • 筑波町史編纂専門委員会『筑波町史 下巻』発行者:倉田弘、平成2年3月25日、697pp.
  • 『茨城県の地名』平凡社、1982年11月4日、977pp.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]