北島謙次郎

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北島謙次郎

北島 謙次郎(きたじま けんじろう、1893年明治26年)10月5日[1]1957年昭和32年)11月24日)は、南洋庁長官、拓務次官

経歴[編集]

佐賀県出身。佐賀県立佐賀中学校第五高等学校を経て、1917年大正6年)に東京帝国大学法科大学政治学科卒業[1]高等文官試験に合格して、大蔵省銀行局に勤務し、のち福島税務署長に就任した[1]1919年(大正8年)、拓殖局書記官に任ぜられ、拓務省が設置されると拓殖省書記官に任ぜられた[1]文書課長管理局第一課長などを経て、1932年(昭和7年)より殖産局長を務めた[1]

1936年(昭和11年)に南洋庁長官に任ぜられ、1940年(昭和15年)4月までその職にあった[2]。同年10月に拓務次官に就任し、退官後は陸軍軍政顧問を務めた[2][3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 『帝国大学出身名鑑』キ36
  2. ^ a b 『人事興信録 第13版』
  3. ^ 『人事興信録 第14版』

参考文献[編集]

  • 校友調査会編『帝国大学出身名鑑』校友調査会、1934年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。 
先代
田中武雄
拓務次官
1940年 - 1941年
次代
植場鉄三