北富士演習場

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北富士演習場(きたふじえんしゅうじょう)は、富士山北麓の山梨県富士吉田市山中湖村に、(行政区画上は前記の1市1村)またがる陸上自衛隊演習場。面積は4,597ha。北富士駐屯地業務隊(行政区画上は忍野村)が管理を担当している。

歴史[編集]

  • 1936年(昭和11年)11月:旧日本陸軍により開設
  • 1945年(昭和20年)10月:敗戦により米軍が接収
  • 1958年(昭和33年):日本に返還
  • 1973年(昭和48年)4月:自衛隊管理の演習場に使用転換

北富士演習場問題[編集]

江戸時代から入会地として使われていた同地を明治初期に官営地とされて以降、忍野村農民らは国を相手に入会地を求めて闘争を続けており、戦前には一定の入会権を黙認されていた[1]

戦後、演習場が米軍に接収されると、現地では砲弾が飛び交い、樹木も標的とされ、売春婦が跋扈するなど状況が悪化した。これに対して1947年に忍野村の農民らが入会権を守るための宣言をして米軍に闘争を挑んだ。具体的には実弾射撃が行われている演習場に侵入して着弾地に座り込み、排除されそうになると地形を利用して逃亡するというゲリラ的抵抗であった[1]

入会地からの収入が減り、生計を維持するために男性たちが出稼ぎに出ざるを得なくなったことから、忍野村農家の女性らが1960年に「忍草母の会」を結成して、入会権等を巡って反対運動を行った[1]

「忍草母の会」は三里塚芝山連合空港反対同盟とも交流をしており、三里塚闘争に大きな影響を与えている[1][2]中核派系の動労千葉とも共闘関係にあった[3]

「忍草母の会」は現在も活動を続けている[4]


主な使用部隊[編集]

陸上自衛隊
米軍
  • 第3海兵隊(キャンプ富士)

周辺の自衛隊[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 福田克彦『三里塚アンドソイル』平原社、2001年、135-141頁。
  2. ^ 伊藤睦 編『三里塚燃ゆ―北総台地の農民魂』平原社、2017年、184-185頁
  3. ^ 日刊 動労千葉 No.1769”. 国鉄千葉動力車労働組合 (1984年10月18日). 2017年11月12日閲覧。
  4. ^ 北富士のページ”. 婦人民主クラブ全国協議会 (2006年5月28日). 2017年9月24日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]