北口本宮冨士浅間神社

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北口本宮冨士浅間神社
北口本宮冨士浅間神社
鳥居
所在地 山梨県富士吉田市上吉田5558
位置 北緯35度28分14.8秒
東経138度47分32.6秒
座標: 北緯35度28分14.8秒 東経138度47分32.6秒
主祭神 木花開耶姫命
彦火瓊瓊杵命
大山祇神
社格県社
別表神社
例祭 5月5日
地図
北口本宮冨士浅間神社の位置(山梨県内)
北口本宮冨士浅間神社
北口本宮冨士浅間神社
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北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)は、山梨県富士吉田市上吉田にある神社旧社格県社で、現在は神社本庁別表神社

全国にある浅間神社の一社である。「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産のひとつである「富士山域」の一部として世界文化遺産に登録されている。

祭神[編集]

歴史[編集]

延暦7年(788年)に甲斐守である紀豊庭が現在地に社殿を造営したと伝わる。中世には同社が所在する郡内地方の領主である小山田氏からの庇護を受けた。社号について、甲斐国の地誌である『甲斐国志』では以下のように記される。

往古ヨリ此社中ヲ諏方ノ森ト称スルハ、浅間明神勧請セザル以前ヨリ諏方明神鎮座アル故ナリト云、古文書二諏方ノ森浅間明神トアル是ナリ

このように古来より社中に「諏訪の森」が位置し、諏訪神社の鎮座地に浅間神社を勧請したと伝わる。現在当社は浅間神社であり祭神も木花開耶姫命を主祭神としているが、当初は諏訪神社であったと考えられている。例えば天文17年(1548年)5月26日、小山田信有[要曖昧さ回避]は吉田の諏訪禰宜に富士山神事の際に新宮を建てる場合は披露するように命じている。このように富士山神事に関わる案件に対しても、諏訪禰宜に宛てがわれている。永禄4年(1561年)3月2日、武田信玄は吉田の諏訪の森の木を伐ることを禁止している。『甲斐国志』によると、同年に武田信玄が富士権現を造営したとある。これらの事柄から、永禄4年(1561年)の信玄による富士権現造営が現在の北口本宮冨士浅間神社の元になるものであるとし、それ以前は諏訪社のみが鎮座していたとする。[1]

その後は元和元年(1615年)、谷村城主鳥居土佐守成次が現在の本殿を建立、貞享5年(1688年)に社殿が造修された。一時荒廃していたが、享保年間になって、富士講の行者であった村上光清が私財を投げ打って再興し、富士講の参詣者を集めた。拝殿の前の両脇には樹齢千年の「富士太郎杉」「富士夫婦檜」の名を持つ大きな御神木がある。

富士登山道の吉田口の起点にあたる。江戸時代には富士講が流行し、周辺には御師宿坊が百件近く立ち並んだこともあるが、これは神社に属さない独自の宗教活動であった。昭和初期には神社北の裏手から登山バス浅間神社 - 馬返線が運行していた。

同じ富士吉田市下吉田にある小室浅間神社に対して「上浅間」と呼ばれる事があるが、直接的な関係は無い。富士吉田地域に於いて、この神社が前述した富士講御師に依る対外的な信仰を集め、下吉田の小室浅間は農耕信仰を中心として地元民の生活に根差した文化があった。

明治初期、のちに扶桑教を起こす宍野半は北口本宮冨士浅間神社の社司と富士山本宮浅間大社宮司を兼務していた。そのため隣接地には扶桑教元祠があり、現在も扶桑教ではここから北口本宮内の吉田口登山道を登って頂上に至り、富士宮口登山道を下って浅間大社まで参拝している。

境内[編集]

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昭和初期の拝殿[2] 拝殿 東宮本殿 西宮本殿

祭事[編集]

7月1日の富士開山祭(お山開き)と、8月26日27日の鎮火大祭(吉田の火祭)が有名である。

文化財[編集]

重要文化財(国指定)[編集]

  • 北口本宮冨士浅間神社東宮本殿(建造物) - 1907年(明治40年)8月28日指定。
  • 北口本宮冨士浅間神社西宮本殿(建造物) - 1953年(昭和28年)3月31日指定。
  • 北口本宮冨士浅間神社本殿(附 棟札1枚)(建造物) - 1953年(昭和28年)3月31日指定。
  • 北口本宮冨士浅間神社 8棟(建造物) - 2017年(平成29年)11月28日指定[3][4]
    • 拝殿及び幣殿
    • 惠毘壽社及び透塀
    • 神楽殿
    • 手水舎(附 棟札1枚)
    • 隨神門(附 棟札1枚)
    • 福地八幡社(附 棟札2枚)
    • 諏訪神社拝殿
    • 社務所(附 棟札1枚)
    • (附指定)灯籠 1基
  • 太刀 銘備州長船経家 文安二年二月日(附 糸巻太刀拵)(工芸品) - 1923年(大正12年)3月28日指定。

国の史跡[編集]

  • 国の史跡「富士山」に包括

現地情報[編集]

所在地
交通アクセス

脚注[編集]

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  1. ^ 笹本正治は、小山田信有が富士山に関する神事を諏訪禰宜に命じていることから当時諏訪社のみが鎮座していたとし、また永禄期の信玄の施策は、信玄の富士信仰の一端であるとしている。
  2. ^ 甲斐保勝協会編『甲斐勝景写真帳』昭和初期の「富士浅間神社」昭和7年(1932年)発行、国立国会図書館蔵書、平成29年10月21日閲覧。
  3. ^ 国宝・重要文化財の指定について(文化庁サイト)
  4. ^ 平成29年11月28日文部科学省告示177号。

参考文献[編集]

  • 笹本正治、「武田信玄と富士信仰」『戦国大名武田氏』、名著出版、1991年