北京原人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
北京原人
ホモ・エレクトス・ペキネンシス
生息年代: 更新世中期
Sinathropus pekinensis.jpg
1929年に周口店で発見された最初の北京原人の頭蓋骨(レプリカ)
地質時代
更新世
分類
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 哺乳綱 Mammalia
: 霊長目(サル目) Primates
亜目 : 真猿亜目 Haplorhini
下目 : 狭鼻下目 Catarrhini
上科 : ヒト上科 Hominoidae
: ヒト科 Hominidae
亜科 : ヒト亜科 Homininae
: ヒト属 Homo
: ホモ・エレクトス
H. erectus
亜種 : ホモ・エレクトス・ペキネンシス
H. e. pekinensis
学名
Homo erectus pekinensis
中国歴史
先史時代
伝説時代
三皇五帝
黄河文明
長江文明
遼河文明
西周

東周
春秋時代
戦国時代
前漢
後漢

孫呉

蜀漢

曹魏
西晋
東晋 十六国
劉宋 北魏
南斉

(西魏)

(東魏)

(後梁)

(北周)

(北斉)
 
武周
 
五代十国 契丹

北宋

(西夏)

南宋

(北元)

南明
後金
 
 
中華民国 満洲
 
中華人民
共和国
中華
民国

台湾

北京原人(ペキンげんじん、Homo erectus pekinensis[注釈 1])は、中国北京市房山県周口店竜骨山の森林で発見された化石人類である。学名はホモ・エレクトス・ペキネンシス。2015年現在はホモ・エレクトス (Homo erectus) の亜種として扱われる。北京原人を含むホモ・エレクトスが生きていた時代は更新世中期である。従来は上記の化石の年代は約50万年前とされていたが、最新の研究では約68万-78万年前と推定されている。

周口店の北京原人遺跡ユネスコ世界遺産として登録されている。

研究史[編集]

1921年スウェーデンの地質学者 ユハン・アンデショーンとオットー・ズダンスキーが人類のものと思われる歯の化石を発見した[1]。さらに、その後の調査で1929年12月2日、中国の考古学者 裴文中が完全な頭蓋骨を発見した[2]。結果的に合計十数人分の原人の骨が発掘された。

しかし、日中戦争の激化により、化石は調査のためにアメリカへ輸送する途中に紛失した[3][4]。紛失の前に協和医学院の客員解剖学教授であったドイツ出身の学者F・ワイデンライヒがすでに詳細な記録や研究を残しており、レプリカが現存しているので、これが今日の北京原人の研究資料となっている。戦後の断続的な調査により、1966年に頭蓋骨破片2個と歯1本が見つかる[5]など若干数が発掘されたが、1980年代までに周口店での発掘はほぼ完了した。

彼を含め、北京原人を現生人類(アジア人)の祖先とする考えがあった。2012年現在では、現代人のミトコンドリアDNAの系統解析により否定されている。

北京原人はアフリカ大陸に起源を持つ原人のひとつであるが、現生人類の祖先ではなく、何らかの理由で絶滅したと考えられている。石器や炉の跡が同時に発見されている[6]ことから、石器や火を利用していたとも考えられている。また、動物の骨が近くに見つかったことから、それらを焼いて食べていたという説もある。さらに、原人の骨自体が粉々にされていたので、北京原人の間では食人の風習もあったという説もまた有力であった。しかし、レプリカに残っていた食痕からハイエナ類によるものであるという見解が提出された[7]

額が現代人に比べ、なだらかに傾斜し、後頭部の骨は突き出していた。類人猿でも現代の人間でもない、その進化の過程の原人だとされた。

骨の行方[編集]

1941年以降に行方不明となった骨の化石については、多くの仮説を生み謎のままとなっている[8]。1970年代にはオーストラリアの実業家が情報提供者に15万ドルの懸賞金を出すと公表すると、骨らしきものがシドニー美術館に持ち込まれたが、本物と断定するには至らなかった[9]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 発見当初の旧学名はシナントロプス・ペキネンシス (Sinanthropus pekinensis) とされたが、現在はホモ・エレクトス・ペキネンシス (Homo erectus pekinensis) とする意見が支配的である。

出典[編集]

  1. ^ コパン 2002, p. 116.
  2. ^ コパン 2002, p. 117.
  3. ^ 北京原人化石の行方不明の謎”. 中国百科. 2015年3月29日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年3月29日閲覧。
  4. ^ コパン 2002, p. 118.
  5. ^ 劉世昭 (2004年1月). “東アジア文明のあけぼの : 人類の歴史ぬりかえた北京原人遺跡”. 人民中国. 世界遺産めぐり(23) 北京・周口店. 2015年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月31日閲覧。
  6. ^ コパン 2002, p. 119.
  7. ^ Noel T. Boaz, Russell Ciochon, Xu Qinqi, and Liu Jinyi (2000). “Large Mammalian Carnivores as a Taphonomic Factor in the Bone Accumulation at Zhoukoudian”. Acta Anthropologica Sinica (19). 
  8. ^ 【中国観察】北京原人発見から90年 「消えた頭蓋骨」は今も不明”. 産経新聞社 (2019年12月12日). 2021年1月4日閲覧。
  9. ^ 本物?北京原人の化石 シドニー美術館が入手『朝日新聞』1976年(1951年)4月29日朝刊、13版、22面

参考文献[編集]

  • イヴ・コパン、馬場悠男,奈良貴史『ルーシーの膝 : 人類進化のシナリオ』紀伊國国屋書店、2002年。ISBN 4-314-00910-1

関連項目[編集]

ウィキメディア・コモンズには、北京原人に関するカテゴリがあります。

ウィキスピーシーズには、北京原人に関する情報があります。

外部リンク[編集]

座標: 北緯39度43分59秒 東経115度55分01秒 / 北緯39.733度 東経115.917度 / 39.733; 115.917