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北ボルネオ会社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Board of directors
W. C. Cowie, Managing Director with the Sultan of Sulu
Area of the Chartered Company's Property

北ボルネオ会社(きたボルネオがいしゃ、英語: North Borneo Chartered Company)またはイギリス北ボルネオ会社(イギリス-、British North Borneo Company)は、北ボルネオ(現在のサバ州)を統治するために、1881年8月にアルフレッド・デントらが設立したイギリスの勅許会社

歴史

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現在のサバ州に当たる地域はブルネイ王国の支配下にあったが、1877年から1878年にかけてスルタンから土地の割譲を受け、同地の統治を目的として1881年に北ボルネオ会社が設立された[1][2][3]

設立当初は、北インドのシク教徒を警官とするために連れてきて、法律を制定した。そして貿易を盛んにし、政治システムや法や罰則を施行するための裁判所を導入し、ジェッセルトン(現在のコタキナバル)からテノム英語版(Tenom)まで鉄道を敷き、農産物のバーター貿易を奨励し、プランテーションを造園した。1882年、北ボルネオ会社はガヤ島英語版(Pulau Gaya)の居住区に創設され、1年後に本国よりサバ州統治の委任を受けた。

1888年に北ボルネオはイギリスの保護領(イギリス保護国北ボルネオ)となるが、統治は引き続き同社に任された[2]

しかし1897年にサバの部族によってガヤ島居住区が襲撃されて焼け落ち、以後再建されることは無かった。

1946年に同社が統治していた土地の所有権はイギリス政府に移り、同国の直轄植民地になった[2][3]

脚注

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  1. ^ 田中和夫『大東亜旧英領地域の法律』巌松堂、1944年、21頁。 
  2. ^ a b c 田村慶子 (1988). “マレーシア連邦における国家統一:サバ、サラワクを中心として”. アジア研究 (アジア政経学会) 35 (1): 1-44. 
  3. ^ a b 都築一子 (1999). “マレイシア・サバ州における植民地時代の土地制度”. 国際協力研究 (独立行政法人国際協力機構) 15 (1): 61-69. 

関連項目

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