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勘定吟味役

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

勘定吟味役(かんじょうぎんみやく)は、江戸幕府において、勘定所の職務すべての監査を担当した役職である。

概要

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勘定吟味役は勘定所に設置され、旗本御家人から起用された。勘定所内では勘定奉行に次ぐ地位であったが、勘定奉行の次席ではなく老中直属[1]の機関である。御定員数(おさだめいんずう、定員)は4名から6名。格式石高500石[1]、他に役料(職務手当)300俵[1]。平素は江戸城の中之間(なかのま)に詰めた[1]

幕臣は勘定吟味役になると、六位となり布衣が許される。享保の改革足高の制ができて以降、下級幕吏が到達できるほぼ最高の役職となり、これ以上の昇格は非常にまれとなる。

職務

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勘定所は、幕府財政の収支、幕府領での年貢徴収、長崎貿易郡代代官の勤怠、貨幣改鋳など財政に関する事務一切を扱ったが、勘定吟味役はこれら職務すべてを監査した。財政支出を決定する際には必ず勘定吟味役の賛同を要した。老中直属であるから、勘定奉行を含め勘定所下僚に不正があった場合、ただちに老中に報告する権限を有していた。

歴史

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はじめ徳川綱吉が設置し、元禄期に荻原重秀が独断で廃止したが、新井白石が再度設置した。享保期に財政担当と訴訟担当の吟味役に分離し、その後宝暦期には徳川家重の下命により、直属の部下13名をつけられ、独立した検査監査機構としての体制が整った。

  • 1682年(天和2年) :設置
  • 1699年(元禄12年):廃止
  • 1712年(正徳2年) :再設置
  • 1721年(享保6年) :公事方と勝手方に分離
  • 1758年(宝暦8年) :吏員が増加し、機構が整う
  • 1867年(慶応3年) :廃止

脚注・参考文献

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脚注

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  1. 1 2 3 4 徳川黎明会 編「天保年間諸役大概順」『徳川礼典録 下』1982年、692頁

参考文献

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関連項目

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