加藤茂苞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
加藤茂苞

加藤 茂苞(かとう しげもと、慶応4年5月27日1868年7月16日) - 1949年8月17日)は、出羽国鶴岡(現・山形県鶴岡市)出身の、農学者農学博士九州帝国大学教授。水原高等農林学校教授。東京農業大学教授。

人物[編集]

水稲品種改良に約25年に渡り取り組み続け、数多くの新品種の創出を指導し東北稲作改良の父といわれた。代表的な新品種に「陸羽132号」がある。また、世界に存在する稲を印度型と日本型の2種類の型に分類する事を提案した。著作物に、水稲品種の改良、新品種育成に関する論文25編、講演筆記22編がある。

略歴[編集]

  • 1868年7月16日、庄内藩士・加藤甚平の長男として、出羽国鶴岡家中新町に生れる。
  • 1891年東京帝国大学農学部農学科を卒業し、山形県師範学校教諭となる。
  • 1896年農商務省農事試験場技師となり、陸羽支場に勤務する。
  • 1903年、畿内支場勤務となる。
  • 1904年、日本で初めて20組み合わせの稲の人工交配に成功する。
  • 1908年、これまでの稲の人工交配の組み合わせ総数が235になる。
  • 1916年、陸羽支場勤務となる。
  • 1919年、農学博士号を取得する。
  • 1921年、九州帝国大学(現・九州大学)教授に就任する。
  • 1926年、朝鮮国の水原高等農林学校(現・ソウル大学校農業科学生命大学)教授を兼務する。
  • 1928年朝鮮総督府農事試験場技師となる。
  • 1934年、同職を退官し、東京農業大学教授となる。
  • 1949年8月17日、死去する。享年82

栄典[編集]

著作[編集]

  • 述『米穀改良に就て』愛知県内務部、1912年。
  • 講演『稲の品種改良に就て』三重県立農事試験場、1913年。
  • 述『産米改良講話』福島県内務部、1919年。

親族[編集]

  • 父:加藤甚平 - 庄内藩士
  • 弟:田倉八郎 - 満州国交通部次長、逓信総合博物館長

共同研究者[編集]

  • 安藤広太郎 - 東京帝国大学農学部教授、農商務省農事試験場長

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第1508号「叙任及辞令」1932年1月13日。

外部リンク[編集]