加藤正顕

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加藤 正顕(かとう まさあきら、元文2年(1737年) - 没年不詳)は、江戸時代の武士、旗本。通称は萬次郎、金四郎、幸次郎、勘助。平岡資模の二男。加藤政峯の養子となった。子に正燭、娘(門奈直暉室)、娘(伴政時室)、平岡資能平岡房虎の養子)がいる。

生涯[編集]

宝暦13年(1763年)数え27歳で家督を継ぐ。蔵米300俵。明和2年(1765年)徳川家治に拝謁する。安永元年(1772年)小普請組頭となり、寛政10年(1798年)8月淑姫に仕えるようになる。同年12月布衣を許される。

参考文献[編集]