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加藤慎也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
加藤 慎也
名前
カタカナ カトウ シンヤ
ラテン文字 KATO Shinya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-09-19) 1980年9月19日(44歳)
出身地 茨城県鹿嶋市
身長 187cm
体重 78kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1993-1998 日本の旗 鹿島アントラーズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2003 日本の旗 鹿島アントラーズ 0 (0)
2002 日本の旗 ジェフユナイテッド市原 0 (0)
2002 日本の旗 横浜F・マリノス 0 (0)
2005-2009 日本の旗 柏レイソル 3 (0)
2009 日本の旗 愛媛FC 7 (0)
2010 日本の旗 ヴァンフォーレ甲府 0 (0)
2011 日本の旗 AC長野パルセイロ 19 (0)
通算 29 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

加藤 慎也(かとう しんや、1980年9月19日 - )は、日本の元プロサッカー選手ゴールキーパー)。鹿島学園高等学校卒業。実弟は元プロ野球選手加藤暁彦

来歴

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栃木県宇都宮市で生まれ茨城県鹿嶋市で育つ[1]。小学4年生のときにサッカーを始め、中学2年生からゴールキーパーとしてプレーするようになる[2]

小学6年生[1]から鹿島アントラーズで育ち、1999年にトップチームに昇格。同じポジションには曽ヶ端準高桑大二朗がおり、出場機会は回ってこなかった[2]。2002年7月よりジェフユナイテッド市原、10月より横浜F・マリノスに期限付き移籍。鹿島に復帰した2003年はヘルニアで腰を痛め、同年限りで戦力外となった[2]

無所属期間を経て、2005年に柏レイソルと契約[2]。2005年11月23日のJ1第32節・サンフレッチェ広島戦でJリーグデビュー[3]。2008年に菅野孝憲が加入して序列が下がるまでは南雄太に次ぐGKの2番手という位置付けだった[2]

2009年6月、川北裕介の負傷に伴い愛媛FCに期限付き移籍すると出場機会を得た。しかしバルバリッチ新監督の下では一転して山本浩正の控えとなった。2010年は鶴田達也と入れ替わる形でヴァンフォーレ甲府に移籍したが荻晃太の前に出番なしに終わった。同年退団。2011年よりJFLAC長野パルセイロに加入。正GKとして19試合に出場するも1年で退団し、そのまま現役引退することになった。

所属クラブ

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ユース経歴
  • チグリーニョ(鹿島小学校)
  • 鹿島アントラーズジュニア(鹿島小学校、三笠小学校)
  • 1993年 - 1995年 鹿島アントラーズジュニアユース(鹿島中学校)
  • 1996年 - 1998年 鹿島アントラーズユース (鹿島学園高等学校)
プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999 鹿島 29 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2000 0 0 0 0 0 0 0 0
2001 0 0 0 0 0 0 0 0
2002 1 0 0 0 0 - 0 0
市原 0 0 0 0 - 0 0
横浜FM 40 0 0 0 0 0 0 0 0
2003 鹿島 1 0 0 0 0 0 0 0 0
2005 31 1 0 0 0 1 0 2 0
2006 J2 2 0 - 1 0 3 0
2007 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2008 0 0 0 0 0 0 0 0
2009 0 0 0 0 - 0 0
愛媛 J2 7 0 - 0 0 7 0
2010 甲府 22 0 0 - 0 0 0 0
2011 長野 21 JFL 19 0 - - 19 0
通算 日本 J1 1 0 0 0 1 0 2 0
日本 J2 9 0 - 1 0 10 0
日本 JFL 19 0 - 0 0 19 0
総通算 29 0 0 0 2 0 31 0

出典

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  1. ^ a b スポーツ情報 NO.1” (PDF). 市報かしま 2001年6月1日号. 鹿嶋市. 2017年7月8日閲覧。
  2. ^ a b c d e 大泉実成 「Hard After Hard 三番手というジレンマ」 『サッカー批評 issue 39』 双葉社、2008年、100-105頁。
  3. ^ https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=2367

関連項目

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外部リンク

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