加藤士津八

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加藤士津八
Shizuya-Kato20111225.jpg
現役最終騎乗
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県
生年月日 (1985-02-02) 1985年2月2日(33歳)
身長 161.5cm
体重 48.5kg
血液型 A型
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 フリー
初免許年 2003年
免許区分 平地・障害
騎手引退日 2011年12月31日
経歴
所属 美浦・国枝栄(2003.3.1 - 2006.3.31)
美浦・加藤和宏(2006.4.1 - 2009.8.31)
美浦・フリー(2009.9.1 - 2011.12.31)
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加藤 士津八(かとう しづや、1985年2月2日 - )は、JRA美浦トレーニングセンターに所属する元騎手で現在は調教師。父は加藤和宏調教師。弟は小島太厩舎で厩務員をしていた。

来歴[編集]

1985年2月2日、和宏の長男として誕生する。この年、父・和宏はシリウスシンボリ東京優駿(日本ダービー)を制し、口取り式では馬上で生後4か月の士津八を抱いて臨んでいる。

2003年JRA競馬学校19期生、美浦国枝栄厩舎の所属騎手としてデビュー。父・和宏も当時現役騎手であったため、親子騎手として当時のメディア等で話題となった。なお同期には石橋脩長谷川浩大松岡正海佐久間寛志南田雅昭らがいる。

初年度に7勝を挙げたものの、デビュー3年間の勝ち鞍は19勝という結果に終わり、見習い騎手の斤量減を解かれた2006年以降は徐々に騎乗数・勝利数ともに減少の一途を辿る。

この間、2007年秋にはアイルランドイギリスフランスにて自主研修、2011年10月29日には中国・湖北省武漢競馬場で行われた騎手招待レースに騎乗、JRA所属騎手として初の中国競馬騎乗を記録[1]などもあったが、国内競馬では2009年以降は未勝利と低迷が続いた。

また2009年より騎乗機会を増やすべく障害競走への騎乗も行われたが通算7戦未勝利と成果は出ず2011年より平地に専念となるも、平地・障害双方で特記すべき実績を挙げることは無く、2011年12月31日をもって騎手を引退[2]。引退後は父の和宏厩舎で調教助手を務めていたが、2017年12月7日に発表されたJRAの新規調教師試験に合格。2018年3月1日付で調教師免許発効となる[3]

成績表[編集]

日付 競馬場・開催・レース 競走名 馬名 頭数 人気 着順
平地 初騎乗 2003年3月1日 3回中山1日12R 4歳上1000万円下 ダンシングスナーク 16頭 6 7着
初勝利 2003年3月8日 1回中京1日8R 4歳上500万円下 エグジジェ 16頭 4 1着
重賞初騎乗 2003年8月31日 3回新潟6日11R 新潟記念 クロンヌドール 17頭 16 17着
障害 初騎乗 2009年7月26日 2回新潟4日4R 障害未勝利 テイエムアーバン 10頭 10 10着
年度 平地競走 障害競走
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2003年 7 14 12 220 .032 .095 .150 -
2004年 5 11 6 219 .023 .073 .100 -
2005年 5 10 12 204 .025 .074 .132 -
2006年 1 3 10 121 .008 .033 .116 -
2007年 0 6 3 70 .000 .086 .129 -
2008年 2 11 11 106 .019 .123 .226 -
2009年 0 0 0 37 .000 .000 .000 0 0 0 1 .000 .000 .000
2010年 0 0 1 48 .000 .000 .021 0 0 0 6 .000 .000 .000
2011年 0 0 0 22 .000 .000 .000 -
中央 20 55 55 1047 .019 .072 .124 0 0 0 7 .000 .000 .000
地方 0 0 0 11 .000 .000 .000 -

脚注[編集]

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  1. ^ JRA騎手が史上初めて中国の競馬に騎乗 - 東京スポーツ・2011年11月7日
  2. ^ 加藤 士津八騎手が引退”. 日本中央競馬会 (2011年12月27日). 2012年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月7日閲覧。
  3. ^ 平成30年度新規調教師試験、上村洋行元騎手など5人が合格”. 日経ラジオ社(ラジオNIKKEI) (2017年12月7日). 2017年12月7日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]