劉カイ (南朝宋)

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劉翽(りゅう かい、471年 - 479年)は、南朝宋皇族。随陽王。明帝劉彧の十男。は仲儀。

経歴[編集]

劉彧と杜修華のあいだの子として生まれた。476年元徽4年)8月、南陽王に封じられた。477年昇明元年)7月、使持節・督郢州司州之義陽諸軍事・西中郎将・郢州刺史とされた。任を受けないうちに、督湘州諸軍事・南中郎将・湘州刺史に転じた。湘州に赴任せず、前将軍の号を受けた。478年(昇明2年)11月、随陽王に改封された。479年建元元年)4月、が建てられると、劉翽は舞陰県公に降封された。5月、謀反の罪により、死を賜った。

伝記資料[編集]