副手

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副手(ふくしゅ)とは、旧制大学等で助手または助教の下にいて研究室の仕事や研究の補助の役をする人。教務職員、教務補佐員が同様のポストに該当する。

現在は、幾つかの大学で、各大学の内規により設置された職となっている。

旧制大学における副手[編集]

副手は助手とほぼ同様の職務内容をもった、いわば助手の代用人員とされる。

東京帝国大学では、1893年(明治26年)9月、助手の官制化に伴い分科大学無給助手規程と有給助手規程とが廃止され、分科大学通則中に以下の副手規程が設けられた。

  1. 副手は無給で各分科大学(現在の学部のこと)の「教室実験場及医院」に置かれ、
  2. 大学院学生、分科大学の卒業生のみが任用される資格をもち、
  3. その所属する部局長の「稟申」により大学総長が「嘱託」し、
  4. 職務は助手と同一とされ、
  5. 2年間以上勤務し「成績アル」者には総長が「証明書」を与える[1]

副手が設けられた背景としては、官制でも定員が定められ各機関レベルで自由な任用が困難であった助手に対し、同様の職務に従事させつつも学内で随意に採用できるポストが必要とされていたためであった。その後の「副手規定」は、他の帝国大学卒業者の任用が可能とされ(1909年)、有給の副手も認められ(1911年)、さらに帝国大学卒業生だけでなく、それ以外の「相当ノ資格」をもった者も任用されうること(1919年)と改められた。

副手は他の高等教育機関にも置かれており、各機関の副手規定は多少の表現の違いはあるがほぼ同様の内容をもっていた。東京帝大以外の帝国大学でも、例外なく創設後まもなく副手に関する規程が設けられている。官立単科大学もほとんどの機関で副手をもっていたようであるし、助手ポストをもつ非大学型高等教育機関の若干にも副手は置かれていたようであった。[2]

廃止と教務職員制度の誕生[編集]

1949年5月31日に施行された、人事院規則八-八 「臨時職員制度の廃止」によって[3]、副手制度は廃止され助手に任用替えとなる。

その際助手への任用洩れとなった人たちを任用しておくための暫定的措置として、教務職員制度が生まれ、問題の本質的な解決は先送りにされた[4][5]

副手を設置している大学[編集]

その他[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 東京帝国大学一覧. 明治26-27年 第十章 分科大学通則 - 第六 副手規程” (1893年8月11日). 2020年3月9日閲覧。
  2. ^ 伊藤彰浩, 岩田弘三 & 中野実 1990, pp. 6–7.
  3. ^ 官報. 1949年05月31日 規則 / 人事院 / 8-8 / 臨時職員制度の廃止に関する件/p332”. 国立国会図書館デジタルコレクション (1949年5月31日). 2020年3月9日閲覧。
  4. ^ 「教務職員問題の解決のために」”. 東北大学職員組合 (1998年5月). 2020年3月9日閲覧。
  5. ^ 全国大学高専教職員組合 中央執行委員長 蔵元英一 (1999年5月13日). “教務職員制度廃止と教務職員問題の抜本的解決に御尽力下さるよう要望します”. 東京大学教職員組合. 2020年3月9日閲覧。
  6. ^ 長薬同窓会報 第48号 下村脩博士 ノーベル化学賞受賞記念特集” (PDF). 長薬同窓会. p. 14 (2008年). 2020年3月13日閲覧。

参考文献[編集]

  • 伊藤彰浩、岩田弘三、中野実『近代日本高等教育における助手制度の研究』広島大学大学教育研究センター〈高等教育研究叢書 / 広島大学大学教育研究センター [編]〉、1990年。ISBN 4-938664-03-8